いや本当、男女の情交場面が過激で多いといい、NHKどないなっとるねんな
『獄門島』の「キチガイ」のみならず、「メカケ(妾)」「インバイ(淫売)」が聞ける点は大いに評価するけどな
自由を盾にして、好いたハレタだの、相性の良し悪し知るためお試し同棲だの、お試しに失敗して?出来婚だの
無節操でヤリまくり、何とも無責任な現代を反映したん(・・?
現代だからこそ、コンプラか何か知らんがに抵触しないのか不思議だw
だもんで、NHK版金田一耕助シーズのトホホな点:「同時代感が感じられない」
輪廻解脱し、転生無し~犬神家の一族(2006年)~ - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
『犬神家の一族』も、1976年ならば共感性が抜群で、2006年ならば共感性は残るも薄れている
2006年版出演陣にも 、昭和20何年頃の姿で現れようと、「同時代感」が弱い者チラホラだよ
ま、撮影技術が1976年からの30年間に進んでアナログ感が薄く、とにかく「平成の空気感」が否めない
こちらが余程、監督が昭和の名匠で、昭和期から活躍する俳優陣も少なくない分、まだマシ
つか、NHK版は、現代風の音楽ジャカジャカ鳴らすのが煩く、センスを疑うw
あと、玉虫伯爵の存在感が希薄を通り越して無いに等しく感じる
【Hatena版】禁断の果実には、生きる厳しさ、そして死の宿命~悪魔が来りて笛を吹く~ - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
一度見たら忘れない威厳というか陰険というか腹黒というか
とにもかくにも強い存在感を、平成後半から令和にかけての時代に求めるのは無理な相談なん(・・?
『悪魔が来りて笛を吹く』の物語は
椿子爵邸で第一の犠牲者となったのが、玉虫伯爵
治雄にとって敵は実両親、淫靡極まる新宮兄妹であり、大伯父に当たる伯爵の殺害予定は無かった
人一倍家名を気にする伯爵が治雄の素性を知って青菜に塩状態となったままならね
自分への殺意を含んだ敵意に気付き、気が変わって絞殺した
それやっぱ、伯爵の初動ミスへの復讐に思える
良くも悪くも、日本には「根回し文化」がある
伯爵で貴族院議員なら事前調整に長けると思うのに、醜聞=失脚を恐れるあまり、中途半端な手を打った
治雄(と小夜子)を理不尽な悲劇へ追い込んでおきながら、治雄に殺意を含んだ敵意を向けるとか
そら因果は巡る自分の末路にとばかり必殺仕置きだっての
玉虫伯爵がある意味、諸悪の根源にして、椿邸での惨劇の真犯人と言える
玉虫家には立派な跡取りがおり、他にも多くの実子達がいるにもかかわらず
椿邸は椿子爵実家なのに、伯爵は子爵両親の同居を許さず、まず子爵の義兄・利彦とその妻子、次に伯爵とその妾・菊江が乗り込んで来た
伯爵が戦災で焼け出された後、戦災を免れた椿邸に身を寄せた理由について
菊江曰く、先に焼け出された利彦が椿邸に転がり込んだので秌子を心配し、利彦を監視するためという
とにかく伯爵には「睥睨」、邸内にニラミ利かせて支配出来るだけの存在感が不可欠だ
ま、若き日の新宮兄妹への監督不行き届きを見ると、あんまし効果無いと思うものの
「原作とは逆に秌子が利彦の姉であり、近親相姦も積極的に主導していた」
兄妹の力関係は概ね、体力でも勝る男性上位であり、しばしば妹への性暴行起きる
姉弟という女性上位の力関係に変えてみ
男子たる利彦の教育に見事失敗してるのに、女三界に家無しが常識の時代に女子を完全監視下に置いて「女子たるもの」と躾出来る道理が?
「椿邸で起きた一連の出来事は、オナゴには一切不要で無駄な主導権を認めた弊害の招いた惨劇じゃ~」
ちゃう(・・?w
1979年東映版で知れる通り
横溝ミステリーのうち『悪魔が来りて笛を吹く』に限り
端役の人員整理などは別にして登場人物設定と相関関係の変更は不可
独自性は演出で打ち出し 、それが無理だったら手を出すべからずの作品だよ
「私は、この恐ろしい小説だけは、映画にしたくなかった」
原作者の独白による東映版のキャッチフレーズに納得行くワイ
…それくらい、NHKが横溝ミステリーを扱うとロクな結果にならないという感想よw
最後の場面に、金田一宛に岡山県警の磯川警部から電話が掛かって来て、「金田一さん、八つ墓村で事件です!」
んで、『八つ墓村』も観たけど
吉岡秀隆が萩原健一の幼年期を演じた1977年松竹版、探偵不要のオカルト仕立てがマシに思える惨状だったのガー
トラウマ物でも絶対忘れない存在感ってホンマ大事やでw