mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

鬼畜もまた人間であり、復讐するは我に在り~鬼畜~

「昭和の笑いと令和の笑いは相容れない」

そこから連想し、Yahoo!旧本館記事をいくつか加筆修正して再編集+αによるHatena記事をば

 

 

 

 

 

2004年TBSドラマ版『砂の器

松雪泰子が演じた成瀬あさみは、劇団「響」の舞台役者で、30歳、原作には登場しないオリジナルキャラクターであった

未婚の母を持ち、現在絶縁している

母親の訃報を親戚から受け取り、母親の家に赴いたら、「本当に来ちゃった…」

「妹ちゃん何も知らないのよ」と言うが、あさみも妹なんて存在すら知らない

家を覗くと、あさみにとって継父が、妹という娘と一緒に泣いている

妻の連れ子であるあさみを虐待した継父、男手放したくないので虐待許した色惚け母

あさみが家を離れ、邪魔者いなくなったおかげ様で、夫婦両方にとって実娘を囲んでのラブラブ生活堪能した

…あさみのキャラクター、何に着想を得たの(゜_゜)

 

 

 

 

同じ松本清張

鬼畜 (松本清張) - Wikipedia

あらすじ

東京から急行列車で3時間を要するある地方で、32歳の竹中宗吉は、ようやく、印刷屋の主になるところまで漕ぎつけた。

狐のような顔をした妻・お梅との間に、子供はなかった。

商売の順調な宗吉は、ある時、料理屋の女中・菊代に惹かれる。

何とか菊代を養えそうな気がした宗吉は、彼女と関係を持った。

好きな女を囲う身分になれたという充足は出世感に近かった。菊代との間には、3人の子供ができた。

しかしその後、近代的な印刷会社の進出や火事により、宗吉の商売は零落する。

宗吉から生活費の貰えなくなった菊代が、3人の子を連れて、宗吉の家に乗り込んだため、お梅にも事態が露見する。

お梅の仕打ちと女房の前に竦んだ宗吉の腑抜けぶりに、菊代は怒り、出て行ってしまう。

 

3人の子供が残されるが、女房の睨む中、弟は病死、妹は行方不明になり、兄も命を狙われる。

『鬼畜』に登場する庶子達(・・?

 妾の子=未婚ボッシーの子だよ

 

 

 

 

砂の器』は映像化多い

1974年に松竹で映画化、またTBS系列で2回、フジテレビ系列で3回、テレビ朝日系列で2回の7度TVドラマ化され

その都度評判となった

一方『鬼畜』は、1978年に松竹で映画化後の40年間で

2002年:日本テレビ系列、2017年:テレビ朝日系列でのTVドラマ化と、少ない

ビートたけし黒木瞳の日テレ版のDVD持っており、玉木宏常盤貴子のテレ朝版は未見だけど

やっぱ「児童虐待」が高い障壁となってるんでしょかね

『鬼畜』を映像化しようと思えば、虐待場面あれど、昭和の松竹映画版を踏襲するしかあるまい

映画:鬼畜 感動シーン 原作:松本清張 主演:緒方拳 - YouTube

キャッチコピー

・弟は、きっと星になったんだ

・妹は、きっとお金持ちに拾われたんだ

・でも僕だけは、父ちゃんから離れない

・父ちゃんはきっとぼくを殺せないよ

・抱きしめてやりたい!この感動

・この悲しみに言葉はいらない!

・清張・野村が現代社会に追う父と子の愛の絆

 『砂の器』同様、流石は松竹映画&野村芳太郎監督、つまり親子愛という人情路線な

 

 

 

 

原作者が映画化に際し改変を認めたなら、外野が難癖付ける筋合い無いものの

エピソード

映画のラストで、利一が宗吉を「父ちゃんなんかじゃないやい!」と否定するシーンは、

観客によって解釈が分かれることが多い。

「父親をかばった」とする意見と、「父親を拒絶した」という意見である。

脚本の井手雅人の意図は明確である。

幼少時に尺八奏者である父・菊次が芸妓と出奔、伯父夫婦に引き取られた経験がある井手は、

利一に過去の自分を重ねて、自分を捨てた父親への恨みと拒絶を表したものとしてこの台詞を書いたのだった。

ところがそれではあまりに救いがないと判断した野村は、

利一が父親をかばっているのだと解釈する刑事たちの台詞を加えて、どちらとも取れる演出を施した。

この脚本からの改変について、井手は終生「違うんだなあ」と愚痴をこぼしていたという。

脚本家の「違うんだなあ」に同意する

そもそも、『鬼畜』に救いが要るか?

原作には無いというより人間の持つ醜悪な部分が主題なので不要だよ

 

 

 

 

宗吉から生活費を貰えなくなった妾の菊代が、3人の子を連れて、宗吉の家に乗り込んだため

お梅にも事態が露見し、お梅の仕打ちと女房の前に竦んだ宗吉の腑抜けぶりに、菊代が怒り、子供達を置いて去った

本妻公認の2号さんの産んだ子ならいざ知らず、夫の隠し子の育児なんてお断りに決まっている

「この子供達は、アンタ(宗吉)があの女(菊代)の所へ返しておいで」

菊代の家に行ってみると、もぬけの殻で、顔見知りの隣人によれば、菊代は東北にある故郷に帰ると挨拶していったという

本当に帰郷したのか、別な土地に移ったのか、どっちにしても、運送屋を突き止めて調べるだけの気力は宗吉に無かった

父ちゃんの家に帰ると聞かされた、とっくに物心ついている7歳の利一に

「母ちゃんは用があって他所に行った」

「それまで父ちゃんの家で遊んでいるのだ」

「いいかい、おばさん(お梅)の言うことを聞いて大人しくしているんだよ」

 

 

 

 

宗吉は菊代の家から帰る汽車の中で

菊代に似ているとだけと思っていた子供達が、自分と似た所が少しも無いと気付いていたが

ここで、ある疑念が頭をもたげた

自分と菊代の出会いの場は菊代が働く料理屋で、宗吉が仕事で繋がりを持つ石田という印刷外交員も馴染み客だった

疑い出したらキリが無いほど、菊代が石田と結託して托卵を企んだ可能性が浮上する

家に帰ると、お梅が宗吉に、電灯を点けて子供達の顔を上から眺め「本当にアンタの子かえ、似てないよ」と吐き捨て

「いいザマだね、他所の子をしょい込んだりして」

「あの女の方が一枚も二枚もアンタよりウワテだね」

お梅は当然、子供達の世話などせず、顔を見る人毎に、子供達のことを言いふらした

「うちの2号さんの子供達なんですよ」

「呆れたもんだね、女房が印刷の仕事で真っ黒になって働いてる時に、自分は2号さんを囲っていたんですからね」

「それもうちの子か、誰の子かわかりゃしない」

と、吹聴にも露骨な感情が込められていた

 

 

 

 

お梅は子供達の世話しない代わり、雇いの職人が同情するほど、宗吉に盛大なヒステリーをたびたび起こすが

子供達に対しても憎悪を向ける

物心ついている利一は薄々様子がわかっており、お梅に極力近寄らない

利一の泣く声は聞こえないが、時々ぶたれているよう

あまりものを言わない点が却って

「上の男の子は、大きな眼をギロギロさせるばかりで、いけすかない奴だ」

お梅の神経を逆撫でしたりする

4歳の良子も、「父ちゃん、父ちゃん」と仕事している宗吉に纏わってくるが

お梅を一度も「おばちゃん」と呼ばず、険しい表情しているお梅から逃げている

そのため、お梅は良子の髪の特徴から「縮れ」と呼ぶ

「餓鬼」と呼ばれる2歳の庄二はヨチヨチ歩きで、お梅の進路に突き倒され、泣いてばかりである

 

 

 

 

宗吉と子供達にとって地獄と言える日々の中、一番小さい庄二が栄養失調他による衰弱死を迎えた

医師は疑問を抱かなかったが、古く粗悪な毛布が顔に覆い被さった不自然な窒息死って?

お梅が目元に微かな笑いを見せながら「これで、アンタも1つ気が楽になったね」

お梅が…という証拠は何1つ無いが、お梅以外に考えられない

宗吉自身、庄二が死んでくれて「助かった」の安堵を覚え、次第に増長する

庄二が死んだ夜、菊代の件があって以来絶えていたことが起きた

お梅が執拗に身体を持って来て迫るなんて、宗吉は「嫁も、オンナでしたか」、亭主が改めて認識し、新鮮さを感じる

一蓮托生、罪の意識が蜜の味とばかり、燃え上がった

コトが済むと、宗吉はお梅の「他の餓鬼も片付けようよ」に同意せざるを得なくなる

 

 

 

4歳の良子は、東京の街中に置き去りが決まった

良子が東京見物にワクワクし、外食も楽しんでいたら、急に饒舌になった

住所は勿論、名前もロクに言えない子だが、身元不明が確実を見込んでの捨て子計画なので

ウッカリ正確な名前を思い出されたら困るとばかり

父ちゃんはちょっと用事あるからここで待っておいでと、百貨店のエレベーター前に良子を置き去りにし

帰宅後、人には、良子を実母の所へ返したと吹聴した

女房の不機嫌、子供の気重な存在からの解放感は切実にあり

庄二の時以上に、気が楽になっているのは言うまでもあるまい

 

 

 

 

2人片付いた

しかし、まだもう1人、7歳と大きく、それなりの知恵持つ子が残っている!

毒殺、ボート転覆による溺死は失敗した

利一が死なず生きて帰ったら、お梅に虐待される宗吉は

利一を断崖から海へ放り込む手にって出て、遂に完全な解放感を得たが

生憎、利一は断崖から突き出ている松の根方に引っ掛かっているのを漁夫に発見され、一命を取り留めた

警察暑で、「父ちゃんと遊びに来て眠くなり眠ってる間に落ちた」とだけ語り、詳細は黙秘を続ける利一

警察は利一の様子から、誰かに突き落とされたのだと判断し、殺人未遂事件として捜査を決めた結果

利一の所持品から印刷業へと繋がり、それに拠って警察の捜査が始められた

 

 

 

 

…要するに、『鬼畜』は、宗吉とお梅はいずれ逮捕されるを予告するみたいな幕引きの作品である

それだと映画にならないので、宗吉がお縄食らい、利一に面通しさせる結末が有効となるけど

宗吉とお梅夫婦揃って、子供達を始末して解放感を得る点を考えてみれや

利一の黙秘は、父ちゃんを庇う、呆れてとっくに見限ってるけど最後の情け、どちらとも取れるが

父ちゃんから息子への愛情なんて、「俺の子じゃない」を自分に言い聞かせながらの犯行時点で消滅してるでしょ

いや、庄二の死がお梅の仕業に見て見ぬ振りし、良子を自らの手で置き去りにした時点でか

とにかく利一への愛情なんて、面通しする前に既にサラサラ持たず

「父ちゃんじゃないよ!」に、あ”~そうですかそうだよねが正直な感情でしょね

罪を悔いる場合、在獄中に発狂死したという、宗吉のモデルとなった実在の骨董屋のようなケースであろう

罪を意識する、あるいは完全に絶望したら、簡単に発狂出来るものよ、犯罪者というか人間なんて

 

 

 

 

何はともあれ、『鬼畜』の映像化って、人情路線に走るとしてもだ

無駄に意識高く、コンプラ五月蠅過ぎる令和現在、「児童虐待」が高い障壁となるでしょね

 

 

 

 

2014年7月20日Yahoo!旧本館記事【復讐するは我に在り】に

昨年だっけ、清張ドラマにちょっと調べたい事あってのYahoo!検索中、あるYahoo!ブログに行き着いた

ブログ管理人さんは原作未読のため、初めて接した映画版の強烈さに、長年トラウマ抱えた模様

愛人役の小川真由美は同じ野村芳太郎監督の‘八つ墓村’の時から、顔見ただけでビビるほど怖いが

嫁役の岩下志麻はどんだけ、亭主が他所でこしらえた子供たちイビリ回したやらの戦慄度数200%

映画観た人皆トラウマ抱える、無理おまへん話ざます

原作読んだ方なら、ド派手なイビリ場面描かずとも成立する物語であるをご存知でしょしね

本当、ド派手なイビリ場面描かずとも成立する物語だよ

良子は、殴る蹴るなどの折檻受けていない

ヨチヨチ歩きで、お梅の進路に突き倒され、泣いてばかりている庄二は

恐らく、軽く蹴られる程度で、蹴っ飛ばされるまで至らず、運が悪い程度と思う

育児放棄による衰弱と不自然な窒息死が虐待そのもので、飯を口に押し込んだりする暴力場面が無くても何とかなる

お梅が「癪に障るから、時々ひっぱたいてやる」利一の場合、虐待と言えば虐待だが

これも表現次第でコンプラの抜け道あるはずよ

それでも、無駄に意識高く、自分の気に入らない物事にすぐガーガー騒ぐ1億総クレーマー社会っぽい現代には無理な相談かしらん

つか、身体的特徴などアウトで、学校では仇名禁止で「苗字さん」

なのに、「ちびまる子ちゃん」の「ちび」、ソコは構わんのかね(・・?w

 

 

 

 

『鬼畜』に関しては、もう作らなくても構わない

松竹映画版を、作品発表時の時代的背景ウンタラの断りテロップを流した上で放送したり市販ソフト販売したりが出来ればな

ブログ管理人さんとmathichenさんに共通したのは

「何でもありみたいな昭和から、ファブ○ーズ仕様の物喜ばれる平成へ移って以来

陰惨な物語でも小綺麗に描かれ、問題をどぎつく深く追求しなくなった

子供の人権無視は、過去の問題じゃない

日本全国津々浦々、連日のように起き、幼い命喪われるニュースが報道されている

クサイ物に蓋せず解決望むためにも、映画版を昭和からの教訓として、後世へ残すべきだ

 

 

 

 

最後に、2014年記事には

ワーグナー師匠格曰く、「子供の人権や保護に関する考え方をクリアすれば、現代ドイツ版可能」

東洋では、兄姉が弟妹をお守りする鍵っ子文化が、いまでも辺境に行けば見られるのに対し

西洋では、子供だけで家に居ると、フランスでは4時間超えたら?、育児放棄と見なされ、警察が飛んで来る

東西の文化の違いを踏まえた脚色すれば、アホな中年男女の愛憎劇ドイツ編描けるいうのよ

 

子供イビリ描いた松本清張小説に、シェークスピアの‘マクベス’の要素を絡め

ドルトムント市井を中心としたドイツを舞台に繰り広げられる愛憎劇

♪garde-moi la derniere dance(ラストダンスは私に)、♪時の過ぎゆくままにが主旋律

20余年前に構想した

大真面目な話、『鬼畜』は『マクベス』の要素を持つぞなもし

マクベス夫人狂乱の場、罪の意識に苛まれるからでしょ

お梅は宗吉ともども、餓鬼が1人片付いただけで「気が楽になった」と罪の意識が麻痺してしまうけどね

アホな中年男女の愛憎劇ドイツ版『鬼畜』

どなたか興味あれば、アタシにご協力お願いしますw🥺

 

 

 

 

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