ストーカーというのは恐ろし屋である
某女性芸能人のマネージャーが元ストーカーらしい
ストーカーするくらい自分を好きなんだし、仕事を一生懸命するだろうって思ったそうw
外に置いとくと危ないけど、手元に置いときゃ危なくないってさ
飼い殺しに甘んじてくれるストーカーなら、追っかけられる側もイロイロ助かるが
そうそう都合良く進まないから何かしらの事件が後を絶たない
ところで
『パッション・ダモーレ』、この映画は確か、フォスカ亡き後のジョルジョが昔語り風だったね
女が本懐を遂げて逝き、男は一生一度の大恋愛が終わって抜け殻っぽくなった
魔が差したというより、彼をその気にさせてしまう魔力を彼女が持っていたのやら
ストーカーが相手を酷い目に遭わせたものの殺したりせず、最後は遂にGETし本懐を遂げた
その意味で近い話って(・・?
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【悲惨】硫酸ぶっかけて人生終了…史上最恐のストーカー - YouTube
加害者と結婚したリンダやばいって言ってる人いるけど、
そりゃあ見た目で振られ続けたら、加害者でも好きでいてくれて、人生でお金に困らない人に逃げたくなるでしょ
私もそうだと思います。
見た目だけしか見てくれない男に振られ続けて、
加害者ではあれど自分をまるっと愛してくれて経済力のある男に収まりたくなりますよね。
経済力って言ってるけど人間結局どこかで愛に飢えるから愛を注いでくれる人に行っちゃうんですよ。
だから浮気なんか無くならないんですよ
だから、リンダはバートと一緒になったんですよね。
逃げた2人の彼氏の心の傷の事もあって愛に飢えてたんですよね。
分かります。見た目で振られ続けて、そんな時に好きだと言ってくれたらそっちに行きたくなるのも不思議ではない。
浮気はしてもずっと一緒にいてくれたのであれば結婚して良かったんじゃないでしょうか。
人間は1人では生きられませんから。
慰めて寄り添ってくれる男が、元通りの美貌に戻れなかった女を見て驚愕のあまり逃げた
女心の傷は決して癒えない
まだまだ長い余生を、経済的不安もあって、フラレ通しのおひとり様で過ごすなんて辛過ぎる
だったら、硫酸ぶっかけたストーカーという、女を襲った災難の元凶でも
たまに浮気するけど、元通りの別嬪さんじゃない自分をまるっと受け入れ、寄り添ってくれる男の方がマシやろ
男が平均以上の経済力を持つならば、女の人生潰した責任を取らせる意味でも元ストーカーとの結婚以外あるまい
バートの妻と障害持ち娘にとっても災難で、外を歩けないほど恥ずかし過ぎる話だけど
バートが、リンダに独身と偽り婚約まで交わした詐欺の格好となるも、サッサと離婚しとけば
リンダもバートが好きで婚約したわけだし、身軽となったバートと改めて婚約を交わし結婚して貰えた可能性あったでしょしね
ツッコミ素晴らしすぎて声出して笑いましたwwwwwwwww
年重ねて二人とも綺麗になってるのびっくり...なんかなあ、ある意味運命の相手だったんかな........
私もある意味運命の二人だと思いました。
そこまでの過程が色々とぶっ飛んでてツッコミどころが多すぎるのですが。
最後は
支配する者と支配される者でなく、ほぼ対等になっている
「運命の二人」なんて、🗾では巨大掲示板名物の汚嫁&間男の寝言戯言くらいに捉えてるけど
結婚生活ほぼ40年なんて、マジ、同棲3年結婚生活半年みたいに頭と尻の両方軽い21世紀人種ども見習えやw
男の異常なまでの執着心が原因により長年掛け違えていたボタンが元通りの位置にという気がする話だけど
逆に、男女お互い平行線のまま起きる悲劇って(・・?
散々考えた結果
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マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の成功(1890年)を目の当たりにしたレオンカヴァッロが、
自ら台本を書いて短期間で作曲を完成したもの。
なおこのプロットは、1865年5月にカラブリア州モンタルトで発生し、
判事だったレオンカヴァッロの父が裁判を担当した実在の事件にヒントを得たというのが作曲者の主張である。
Pagliacci - Roberto alagna - YouTube
お”い、プラシド・ドミンゴの愛人が2番目の嫁と云われるアラーニャ、ネッダ役は3番目の嫁を外して正解
実際の夫婦が共演して歌ったら、もしも離婚した際「モラ夫が原因(・・?」と疑われるがなは置いといてw
旅回りの一座の座長カニオには、二回りくらい年の離れた若妻ネッダがいる
ネッダは自由な生活への憧憬を持っている
そんな彼女に想いを寄せていたせむしの道化役者トニオが、物陰から現れて言い寄るも、手酷く鞭で打たれ、逃げ出した
それで済めば良かったが
トニオと入れ違いに、8月15日の聖母被昇天祭日に訪れた村の青年シルヴィオが現れたのが、ネッダにとって運の尽き
実はネッダとシルヴィオは相思相愛の仲で、一座がこの村に寄るたび、逢瀬を重ねていた
トニオが見~ちゃった見~ちゃった、仕返しの好機とばかりにカニオを呼んでくる
カニオが逆上し修羅場と化すが
芝居を楽しみにしている村人達のために、怒りも悲しみも隠して道化芝居を演じ、客を笑わせる身支度を始める
結果
Placido Domingo - No, pagliaccio non son - YouTube
ネッダ扮するコロンビーナが恋人アルレッキーノを待ちわびている所へ
下男タッデーオが現れ言い寄るが、あっけなく蹴り飛ばされ退場
アルレッキーノとコロンビーナがやっと逢いびきを始める所に、タッデーオが「パリアッチョが帰ってきた!」と急を告げる
パリアッチョを演ずるカニオは、コロンビーナが逃げ出すアルレッキーノに向かって「今夜からずっと、あたしはあんたのもの」
それを聞いて、先ほどの現実世界と同じ台詞であることに混乱し、芝居と現実との見境がつかなくなっていく
「情夫の名を言え!俺はもう道化師ではない!」と叫ぶカニオの迫真の演技に、村人達は拍手喝采する
ネッダは危険を悟り逃げ出そうとするが、カニオは彼女を刺殺し
ネッダを助けようと舞台に上がってきたシルヴィオもまたカニオに殺される
村人達が大混乱の中、カニオは「芝居はこれでおしまいです」と呟き、終幕となる
※「芝居はこれでおしまいです(La commedia è finita.)」の部分
今日ではカニオが台詞として語るのが一般的な上演形態になっているが
トニオが歌うのが本来の原曲の形であり、今もたまにトニオが語る演出もある
カニオとネッダの何が平行線か?
カニオ:「愛してくれなくても同情して欲しかった」
ネッダ:「道で生き倒れになってる孤児を拾ってくれた恩義あるけど、生活は窮屈過ぎるし、あたしだって生身の女だ」
不惑の男性と少女のアンバランスだよ
年の差カップル自体に罪は無く、おっさんが、嫁をいつまで子供扱いして管理していた点が不幸の始まりとなった
ネッダは、暴力等無いだけでモラ夫、我欲しか無いストーカーと24時間過ごすみたいなもの
ネッダは人妻と言えど、カニオに女優として仕込まれ、日常では自動的に結婚した形であり、ネッダ自身の意思はガン無視されている
まだ16や17の小娘である
年の近い青年が現れたら惚れ、駆け落ちしようと言われたら「自由になれる!」と即応じるに決まってるやろ
本当、同じストーカーなら
標的を自分の妄想に基づく偶像化したり、始終束縛して完全管理したりするのでなく
ありのままの自分をまるっと受け入れ、尚且つ、自分の一生安泰を100%安心保証してくれるATMである方が有難い罠w