年を追う毎に、9月2日が辛くなる
腐れ縁には終止符を打ち、想ひ出という秋止符に変える頃 - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
テレーゼのおっちゃん命日にして、中岡さんの生きてりゃ今年2023年は69回目の誕生日である
鮎釣りの師匠と弟子が今も仲良く釣り糸垂れてるを想像するたび
昭和17年・29年・41年と一回りずつ違うものの同じ午年のアタシもお呼び近いのかと考え込んで困るのだガー
享年52歳で逝ったテレーゼのおっちゃんより5個年上となり、享年61歳で逝った中岡さん年齢まで残り3年半弱やど
目下、今頃夏バテ気味+腰イタタタとあって、アタシだってアタシだって逝きそーな気分やわw
とにかく何もしたくないので、昨夜からTabletでYouTube眺めながら狸寝入り決め込んでいた
眺めていたYouTubeは概ね、古ーいクラシック音楽映像でやんす
そしたら「花の命は短くて…」と泣けた理由
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Anna Moffo George London Mozart’s “Don Giovanni” - “La Ci Darem La Mano" 1962 colour - YouTube
怪優ジョン・マルコヴィッチが中村雅俊の奥さん五十嵐淳子を口説いてるように見える件は置きw
1962年当時、30歳乃至32歳のモッフォと42歳のロンドン
還暦過ぎても平気な顔して現役やってる21世紀基準で見れば、まだまだ小娘青二才年齢だけど
モッフォは当時が花の盛りを極めていた頃だ
歌イマイチだが絵になる『椿姫』の30代後半までが絶頂期だった
...酷使が祟ったためか、1960年代後半からは高音の衰えが目立つようになり
カルメンなどのメゾ・ソプラノ役にも新境地を示したものの、
ソプラノ歌手としてもやや早すぎる40代半ばで活動をほぼ停止した。
ドイツオペラはモーツァルトを除くと必ずしもメインのレパートリーではなかったが、
活動最末期の70年代前半にはドイツでのレコーディングや撮影が多かった。
まずはフランスオペラだがベルリンでマゼール指揮により《カルメン》、
ミュンヘンでアイヒホルン指揮で《ヘンゼルとグレーテル》《美しきガラテア》を録音、
さらにやはりミュンヘンでルネ・コロとの共演で《チャルダーシュの女王》《美しきヘレナ(ドイツ語版)》の2本の映画に主演。
高音の衰えは隠せないものの、美貌と演技力(前者では他のオペラでは見せることのなかった激しい踊りも)をフルに示した。
声が衰える60年代以前については、時代もあって録音はともかくオペラの映像記録が乏しく、
1968年の映画『椿姫』が劣化したフィルム音声に拠ったと思われる音質でDVD化されている程度なため、
ステレオ音声と35ミリカラーフィルムが残る最後の2本の映画は非常に貴重な記録となった。
20代の頃のオペラ映像は
MADAMA BUTTERFLY - Anna Moffo - 1956 television - Restored DES STEREO - YouTube
ルネ・コロとの共演映像は
Die Csardasfürstin, Anna Moffo, Rene Kollo, Imre Kalman - YouTube
Jacques Offenbach - La Belle Helene - Anna Moffo, Rene Kollo - YouTube
Anna Moffo sings "Die schöne Helena" - YouTube
『チャルダーシュの女王』では、太股ながら8頭身美女を発揮した
尚、50歳過ぎても所謂「美魔女」のため
'Anna Moffo sings Operetta' - Television 1985 - HD & DES STEREO - YouTube
Anna Moffo - Liebe du Himmel auf Erden 1985 - YouTube
ドイツ辺りのTV番組で歌ったりしてたしね
ただ、オペラと関係無い劇場映画にも主演するなど、完全に女優として通用する美貌と演技力に恵まれたからって
"Una storia d'amore" fragments - YouTube
声楽面で下降線辿る40歳前後が、ほとんど🔞🎥で汚嫁役とか哀し過ぎるわ勘弁してクレ
40歳前後でヘアヌード写真集出した🗾のSHŌGUN女優よりマシやけどw
声楽面で下降線辿るでも現役続けられた点で恵まれてるしね
というのも
Norma, Act II: Norma's Aria: Casta Diva
20歳~30歳と僅か10年足らずのキャリアで、スタジオ録音も英国Deccaへのポンキエッリ『ラ・ジョコンダ』とアリア集の2つだけ
長らく「幻のソプラノ」とされた彼女も、まだ、生きてるだけで丸儲けで恵まれていると言える
問題は
George London - Boris Death from Boris Godunov - Mussorgsky 1964 - YouTube
...1964年9月には東京オリンピック開幕を控えた日本を訪れ、岩城宏之指揮NHK交響楽団と共演し、
得意のボリスのほかモーツァルト、ヴェルディ、ボロディンの作品のアリアを歌った。
しかし、ジョージのキャリアは突然終わることとなった。
1961年ごろから声帯に障害ができつつあることを自覚しており、ジョージはだましだまし歌い続けることを試みていた。
障害は、具体的には声帯につながる神経のうちの一つが萎縮していたというものであった。
1968年、ジョージはワシントンD.C.のジョン・F・ケネディ・センター芸術監督に就任。
これは同時に、歌手人生からの退場をも意味していた。
ケネディ・センターでの職務を1971年まで務めたあと、国立オペラ研究所の監督を1971年から、
ワシントン・ナショナル・オペラの芸術監督を1975年からそれぞれ務めて後進の指導やオペラ上演の監督を務めていた。
ロサンゼルスとワシントンでオペラ上演を扱う興行会社の設立の話もあったが、
1977年に心臓発作に見舞われた際に脳にも障害を負って話すことも書くことも不自由となり、
1980年以降は一切の仕事から退いて自宅での介護生活を余儀なくされた。
1981年、ケネディ・センターは慈善コンサートを開き、その収益をジョージの介護生活にかかる費用の足しとした。
1985年3月24日夜、ジョージ・ロンドンはニューヨーク州アーモンクで生涯を終えた。64歳没。
つまり、Anna Moffo George London Mozart’s “Don Giovanni” - “La Ci Darem La Mano" 1962の頃には既に
歌唱にこれといった破綻見られないため、周囲が違和感覚えずとも、徐々に、下降線を辿り始めていた
いくら半世紀余り前の時代とて、47歳で引退なんて早過ぎる
病により道半ばで終止符を打ったのみならず
50代後半で心臓発作に見舞われた際に脳にも障害を負って話すことも書くことも不自由となり
還暦迎えた1980年以降は一切の仕事から退いて自宅での介護生活を余儀なくされるなんて
50歳過ぎて「仕事あればイイから~」
生涯現役を信じ込んで呑気に構える🗾の永遠の小娘青二才を発狂寸止めまでシバキ回したいくらいだ
呑気に構えるというのは、親介護問題は言うに及ばず、自分自身いつ再起不能となるやら知れぬことが理解不能を指す
GALA GEORGE LONDON VIENA 21/06/1984 1/2
GALA GEORGE LONDON VIENA 21/06/1984 2/2
ロンドンが国立歌劇場で歌い活躍していたウィーンの街で行われた支援ガラコンサートね
旦那介護続ける奥方が舞台上で紹介され、温かい支援に涙ぐむ
凡人には絶対あり得ず、また、生涯現役は自分で決められないだけに、知恵遅れ過ぎてホント情けないっての
人生劇場に終止符を打つ日が訪れるのは男女平等なのにね