mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

心の綴り方教室に輝いた夢

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業務スーパーまで買い出しの帰り、すぐ横のセブンイレブンで買った惣菜
コンビニ商品は割高だからあまり買わないけど、セブンイレブンの惣菜類、他と比べて豊富じゃん




それはさておき、買い物行くたび、思う事:「視覚障害者と聴覚障害者、どっちが買い物に不便なのやら」
物見えない視覚障害が面倒多そうな気がする
言語障害セットでの聴覚障害が、文字読めて筆談出来る分、一人で行きやすい?
ちなみに、高齢の聴覚障害者の場合、手話出来ず、読み書き教育不十分の可能性はある




今日は、某所で読んだ、聴覚障害ばあちゃんとの話を思い出し
2010/6/14(月) 午前 1:34 【不屈のライオンには守護天使がいっぱい】
2010/3/23(火) 午後 7:17 【サッカー家族の肖像~聖地に輝いた夢~】
探し出して読んでいた






日韓W杯では、来日が5日も遅れたカメルーン代表を村民たちが待ち続け、ようやく到着した一行を温かく迎えた
合宿地に名乗り上げたのは過疎化進むド田舎の町興しだったようだけど、ま、許したれ
チーム遅れたのだって、向こうのサッカー協会とスッタモンダのせいだ、チームも許したれ
「私たちは過疎の田舎者だが、カメルーンのおかげで誇りを持てた」
自称「日本人のカメルーン人」である、大分県日田郡中津江村の、自治体としての同村の最後の村長
ちょっくら調べたら、86歳で健在と安心した
現職が
財団法人中津江村地球財団理事長
大分トリニータ後援会名誉会長
大分トリニータを支える県民会議会長
ニータン、J2降格&J2昇格の九州ダービーに劇的V弾でアビスパ福岡に勝利メデタイね
2003年には、カメルーン政府から「友好関係に貢献した」とシュヴァリエ勲章を贈られている
Chevalier?フランス語の「騎士」よ
首都のヤウンデであった授賞式に飛んだ元気良さのため
2010年、80歳手前にして遠い南アフリカまで飛んでカメルーン応援したに、ホンマ泣けて来るわ
不屈のライオン中津江村お互い、相手が守護天使いう事にしとこ




この記事のコメント欄

カメルーンデンマークも日韓大会では、どこかの代表が忘れている部分を日本に残してくれましたからね。
中津江村も和歌山も応援するのは、当然・・・(笑)。
あの代表は、人間的な部分が大いに欠落してるからな~(笑)。

某極道(最近、ラーメン食べる暇あるのかいうほどFacebookに忙しいらしい)が残している




日韓でのデンマークとは?




ウルグアイ、フランスを泣かせ、セネガルと引き分け、グループA首位通過し
決勝トーナメント1回戦で、どーせ永遠の優勝候補のくせにのイングランドに泣かされた
残念ね、キャンプ地の和歌山市も悲しんだんじゃないの




デンマークが和歌山を選んだ理由に、日本地図見て、日本の真ん中辺りに思ったと聞いた
大阪寄りの紀北とはいえ、行ってみたらま~田舎で、思わずコケたんちゃうかい




宿泊ホテルの料理長によると、監督に希望を尋ねたら、出される物何でも頂くと返って来た
遠征先の気候や料理に慣れるのが、コンディション作りに好影響もたらす
2010年、高級シェフを帯同させながら、パラグアイ戦で腹具合悪くなる敗退を喫したアノ代表とは大違いね
練習を全面公開し、和歌山県民との交流を積極的に行い
練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い、握手会、サイン会もたびたび行った
とにもかくにも、イイ人たちだった




ある日、恒例となったサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを、県民たちは皆大好きになり、その日も長蛇の列が出来上がっていた
気軽に応じるデンマーク選手たちの中に、中心選手のFWヨン・ダール・トマソンもいたのは言うまでもあるまい
トマソンの前に1人の少年が立った
彼は、少しモジモジし、後ろに立っていた母親らしき女性が「ホラ、早くしなさい」と彼を促す
トマソンが通訳を介し、「どうしたの?」と彼に聞くと、少年はポケットから一枚の紙切れを出した
学校の英語教師に書いて貰ったもので

ボクは小さい頃に、病気に罹ってしまい、耳と口が不自由です
耳は聞こえません、話せません…
だけどサッカーだけはずっと観て来ました
大好きです
デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
頑張って下さい

その手紙に、皆驚いた
と思ったら、トマソンはニッコリと微笑み、少年に「それなら君は手話は出来ますか?」と、手話で語りかけた
少年と母親が驚く番だった
「手話はわかりませんか?」とトマソンが聞くと
それを見ていた人が、「トマソンさん、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と言った
手話は万国共通でなく、国によって、日本国内に於いても地方によって違う
「そうだったのか…」という顔をしたトマソン、通訳に次のように言った
「ボクは彼と紙で文字を通して話をしたいのですが手伝って下さい」
通訳は快諾し、トマソンは「後ろの人たちにも、彼と話す時間をボクに下さいと言っておいて下さい」と加えた
誰一人、文句を言わなかった




以下、トマソン少年の会話

「君はサッカーが好きですか?」
「ハイ。大好きです」
「そうですか。デンマークを応援して下さいね」
「ハイ…あの、聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いて下さい」
トマソン選手はどうして手話が出来るんですか?正直、ビックリしました」
「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます。その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」
「君の試練は君にとって辛い事だと思いますが
君と同じように君の家族も、その試練を共有しています
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
「わかっているなら、OK!
誰にも辛い事はあります。君にも、ボクにも。そして君のお母さんにも辛い事はあるのです
それを乗り越える勇気を持って下さい」

「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように、ボクは祈っておきます」

「ハイ!応援しますから、頑張って下さい」




少年の母親が後で、その場にいた記者に、目に涙を浮かべ、そして笑いながら
「あんな事されたらデンマークを応援しないわけには行かないですよ
日本と試合する事になっても、私らはデンマークを応援しますよ」




トマソンは少年との約束を守り、1点どころか、4得点という大活躍を見せた
和歌山県民も、試合が韓国であろうとも、応援に駆けつけた
デンマーク代表監督オルセン
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった。あれが我々の力になった」
…そりゃそーでしょ
「ダニッシュ・ダイナマイトで…にわかイングランドファンを黙らせろ!」
ベッカムがナンボのもんじゃ! 頼むぞ! デンマーク
新潟スタジアムだっけ、和歌山県民が絶叫したっちゅうやん
ベッカムは無得点だったが、決めたファーディナンドオーウェンヘスキーはさぞかし怖かったろうよ




なお、トマソンは帰国前、デンマークお疲れ様!会に、例の少年と母親を見つけた

「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」
「お疲れ様でした。負けたけどカッコ良かったです
それに約束通り点を獲ってくれたからボクは嬉しかったです」

「有難う」
「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いて下さい」
「ハイ」
「君には前にも言った通り、試練が与えられている
それは神様が決めた事であり、今からは変えられない
ボクが言いたい事わかりますか?」

「ハイ」
「神様は君に試練を与えたけれど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めて下さい」

「(満面の笑顔で)ハイ」
「さようなら」
「頑張って」

最後に、とびっきりの笑顔で仲良く写真に収まった
この8年後、トマソンは、2010年8月8日に代表からの引退を表明
国際Aマッチ112試合出場は歴代2位、52得点はポウル・ニールセンと共に歴代最多記録である




これかて絶対、和歌山人のデンマーク人は、トマソン応援したわな!?




【サッカー家族の肖像~聖地に輝いた夢~】について触れると

う~ん、いい話ですね。
ディ・マッテオという懐かしい名前も聞けましたし。

>>ma3104hさん
言うは易し、結果出すのは至難だけにです
1日かけて思い出しました(笑)

この話だったんですか!
全く知りませんでした(笑)。

この話です(笑)
確かウチに資料あるはずやと、半日部屋をひっくり返して(笑)





おかげ様で、翌日のネタが一丁出来上がり☆

2010/3/24(水) 午後 7:17 【口に税金はかからない】

マメですね~(笑)。