昨日寒いとういより冷たい中を用足しに出てクタビレ、今日は狸寝入り中のため、ダラダラ暇潰しネタをば
Bewegendes Video von Jürgen Klopp an Franz Beckenbauer - YouTube
Farewell to the Kaiser | Thank you, Franz Beckenbauer! - YouTube
Der Kaiser(皇帝)の訃報を受け
レジェンド級とあってドイツ国内のみならず世界各国で大々的に報じられ、関連動画わんさかUPされている
ドイツ代表に限らず新旧の代表選手が登場したりするけど
WM 1990: Matthäus und Beckenbauer albern über Schuh-Anekdote - YouTube
口軽いというかオトコなのに喋りたがりのLoli👧😻もといローター・マテウスが何故出て来ない?気するのアタシだけかね(・・?
いや、それより、マテウスで頭に浮かんだ件が1つ
西ドイツ代表もしくは東ドイツ代表が、その後統一ドイツ代表として活躍した例って?(゜_゜>)
すぐに浮かぶのが、マテウスである
マテウスは通算5回のFIFAワールドカップ(1982、1986、1990、1994、1998)に出場しているが、
これはフィールドプレーヤーではマテウスと元メキシコ代表DFラファエル・マルケス、
ポルトガル代表FWのクリスティアーノ・ロナウド、アルゼンチン代表FWのリオネル・メッシの4人のみ記録している。
また、ワールドカップ出場25試合もリオネル・メッシに更新されるまで史上最多であった。
マテウスはイタリアで開催された1990FIFAワールドカップを制した西ドイツ代表のキャプテンであり、
アメリカ開催の1994FIFAワールドカップでも同じくキャプテンを務めた。
1980年にはUEFA欧州選手権1980優勝を果たし、
UEFA欧州選手権1984、UEFA欧州選手権1988そしてUEFA EURO2000にも参加している。
1999年、38歳にしてドイツ人年間最優秀サッカー選手賞を受賞し、1990年の受賞と合わせて2度目の選出となった。
イタリアW杯はベルリンの壁崩壊後だけど、ベッケンバウアーが優勝監督となったドイツ代表は西ドイツのそれだ
つまりベッケンバウアーは監督としても選手としても西ドイツ代表優勝を意味する
東ドイツ代表も加わった統一代表が国際大会に初登場したのは、EURO’92だが
ドイツ代表はEURO’96準決勝で開催国及び女王陛下に恥をかかせて優勝したものの
マテウス自身は最後の国際大会となるEURO2000まで優勝果たしていないのが御愁傷様に尽きる
1996年メンバーに何故いないかって?
1994年アメリカW杯に於いて、ユルゲン・クリンスマンとの確執などにより
ベルティ・フォクツ監督の構想外となり代表への招集は見送られ、EURO’96は不参加となった
ユルゲン・クリンスマンとは犬猿の仲とされている。
自身が負傷で離脱中、代表の試合でクリンスマンが主将を務めたことに怒り、
「クリンスマンが自分を代表チームから追放しようと画策している」と主張し自ら大会出場を辞退。
その後も所属クラブのバイエルンでもチームメイトだったクリンスマンへの口撃は続いたが、
これに対しクリンスマンは
「我々は異なる人間だが、彼のことを悪くは思わない。むしろ尊敬している」と平静を保っていた。
やがてマテウスは暴露本を出版したことで、
バイエルンからの追放の危機を迎えたが、副会長のベッケンバウアーの仲介により主将の地位を剥奪されるだけに終わり、
この一件以降はマテウスの口撃は沈静化していったという。
1994年W杯中なんて、内輪ネタを国際電話使って雑誌等に売ってたらしい件は置き
統一ドイツ代表初のタイトル獲得の背景:「マテウス不在=平和保てるのおかげ様」w
と、本来なら、そのまま35歳を代表から肩叩き出来てたのに
そうは行かなくなる事態がEURO翌年の1997年に発生するからメンドクサイ
マテウスの選手キャリア後半はベッケンバウアーと同じリベロ(攻撃に参加するスイーパー)として活躍したが
1996年のマテウス不在を補った元東ドイツ代表マティアス・ザマー
彼が10代の頃から膝に抱えていた爆弾がドカン!、mathichenさんのドルトムントUCL優勝が最後の檜舞台となってしもた
結果、1998年フランスW杯直前に、37歳マテウスが代表に出戻り、この時はベスト8まで進出果たすも
EURO2000ではポルトガル、ルーマニア、イングランドに次ぐグループA最下位敗退とか、4年後思えば縁起悪過ぎるわ!
※EURO2004の場合、死の組と言われたグループAを3位敗退だが
新顔ラトビアに勝ち点1献呈のみならず、仲悪隣国オランダが1位、そして詳細割愛するがチェコの陰謀に嵌ったんじゃ~
ドイツ代表は2004年を機に底上げ強化が開始
その10年後遂に、統一ドイツとしても欧州勢としても初の南米開催W杯優勝を果たした
けど、そっから先はまたまた下降線を辿り、🗾に一度ならず二度までも負け腐るまで没落した
結局、強化が下手なん(・・?
どー言うか、強い時には悪魔的な西ドイツ代表当時から「陥穽」あった気してならんのね
ドイツ自体が東西統一にあたって東を軽視したブーメランに当たっている気もする
旧東国民は聞くところによれば、かねてよりこっそり西ドイツ代表を応援していたそうな
西ドイツW杯で実現した最初で最後の東西対決で西が負けた時は、内心ガッカリ
堂々と応援出来る1990年も、応援した?
応援した人もいるでしょうが、少なからぬ数の人々は違ったようです
統一とは名ばかり、早くも夢破れた、そんな人たちは、代表でなく、クラブチームへ
商業主義的ブンデスでなく、おらが町の貧乏クラブへ
ザマーを始め西に需要あって無事順応出来た東出身者少なくないながら、順応と成功は別物よ
マテウスが闘将として機能している時点で、東の代表及びクラブチームを重要視していれば…
舞台はやはり東ドイツだけど、話はサッカーから音楽へ移る
DDRとはDeutsche Demokratische Republik、ドイツ民主共和国の正式名称の略
東ドイツ時代のオペラ歌手の映像や音源を紹介するチャンネルで
主にベルリン国立歌劇場(Staatsoper Unter den Linden)で活躍した歌手が取り上げられている
ベルリンには3つの歌劇場がある
東に、国立歌劇場、それと敢えて海外公演でも訳詞作品を取り上げ続けるベルリン・コーミッシェ・オーパー(Komische Oper Berlin)
西に、ベルリン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper Berlin)
東西統一前はベルリン・ドイツ・オペラが優勢だったが、🗾では1970年以降1987年まで空白期が生まれた
その間に初来日し、割とマメにやって来たのが、ベルリン国立歌劇場だった
モーツァルト「魔笛」【日本語字幕】ベルリン国立歌劇場/スイトナー Mozart: Die Zauberflöte /Staatsoper Berlin/Suitner/1980 - YouTube
Die Meistersinger von Nürnberg - Suitner - Tokyo 1987 - YouTube
あと
Rossini: Der Barbier von Sevilla - 1. Akt (Suitner, Berghaus, dt.) - YouTube
1971年に初演されたこのプロダクションも🗾で上演されたはず
今日、目に留まった動画
1990年10月~11月にかけて行われたベルリン国立歌劇場🗾引っ越し公演時の映像よ
R・シュトラウス『ばらの騎士』、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、ウェーバー『魔弾の射手』のが上演され
その中からトリスタンがNHK教育テレビで放送された
東西統一の時期であり、政変に追いつかずバタバタ気味というか、全体的に、正直な感想、貧乏臭い印象を受けた
30年以上経った今観ると
現代のドイツ語圏の劇場で、古典的というか何の作品やってるかわかる舞台はもう無いに等しく懐かし屋
ベルリン国立歌劇場の変革が始まったのは、2年後の1992年
ダニエル・バレンボイムが音楽監督に就任した
バイロイト音楽祭からの繋がりである、コーミッシェ・オーパーを活動拠点としていた演出家ハリー・クプファーと組んだのが
Richard Wagner: Parsifal - Staatsoper Berlin - YouTube
その頃、楽団員に「下手な奴はリストラするぞ」と言い渡したそう
東時代からの座付き歌手に対してまではわからないが、結構いなくなったのは間違いない
更年期障害の心配要る55歳BBAが娘役に居座る所為で、25歳の若手が浮かばれないとかアカンやろw
結果
【日本語字幕】魔笛 Die Zauberflöte K.620 - YouTube
1997年11月13日、東京文化会館大ホール
指揮:ダニエル・バレンボイム
演出:アウグスト・エヴァーディング
ザラストロ:ジョン・トムリンソン
夜の女王:アナ・カメリア・ステファネック
タミーノ:エンドリク・ウォットリヒ
パミーナ:ティーナ・キーベルク
パパゲーノ:ロマン・トレケル
パパゲーナ:シモーヌ・ノルト
弁者:ルネ・パーペ
モノスタトス:ペール・リンドスクーグ
東出身者も含まれるが、4年そこらでガラリ様変わりした
つまり生き残る東出身者は実力と需要があり、しぶとく生き残る
Carola Höhn (Sängerin) – Wikipedia
当時まだ30前の若さとはいえ、西出身者や欧米各国のスター歌手様も招聘される中
1998年の春に初演されたワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』新演出でヒロインのエーファに起用されたからね
「東ドイツヽ(^。^)ノ」と思ったもんだw
超個人的には「その4年後の件、未だ謎が解けない~」
DAS RHEINGOLD de Richard Wagner (2002-03) - YouTube
ベルリン演出を借りたバルセロナ・リセウ大劇場版より
2002年、東京で『ニーベルングの指環』全曲上演時にミタ
東京版には1つ謎が残される
『ラインの黄金』美と青春の女神フライアの他、『神々の黄昏』ではグートルーネと運命の女神其の参
当初、やはり東出身者リカルダ・メルベトが発表されていた
しかし病気で来日せず、ベルリン座付きのカローラ・ヘーンが代役に立ち、ラインの乙女(ヴォークリンデ)も歌った
フライア、グートルーネ、運命の女神三姉妹のいずれも、ラインの乙女と同じ場面で歌わないからノー問題
と思った直後、「『ラインの黄金』幕切れは?」
フライアは歌わないが、ヴァルハラ入城するため、舞台上にいる
ラインの乙女達は姿見せないが、舞台裏で歌う
默役のフライアがカローラ嬢と入れ替わる
…火の神ローゲ場面の間、神々は舞台後方にいるタイミングで不可能じゃないけど
それでも、ヴォータン(盗人からドロボー猫する神さんじゃ、尚更)でも無理の神業かと思われる
幕切れだけ、ヴォークリンデ歌手が代わった
…そんな案内、NHKホールからも、運命の女神三姉妹からも、聞かなかったぞ
舞台上のフライア、あれ一体ナニモノだったの!?w
当記事題名の意味?
考えるのメンドクサイため
DDR国歌そのまんまパクッタまでに加え
2024年は1996年のカレンダーと完全に一致する!?当時のできごとも振り返り
1996年と完全に一致するなら 、ドイツ代表もお願いしますの意味を込めてある
EURO開催国優勝を諦めてないもんで、優勝したらそれこそ「廃墟からの復活」ちゃうんかw