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国葬「反対論」拡大で世論を二分 国民の納得得られず…背景は?(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース
今日が、酷葬の日
ツッコミ入れるのが面倒なので、「アベちゃ~ん、さよなら!バイバイ!!アディオス!!!」
黄色い髪ヒカリが敵成敗後によく使う決め台詞を捧ぐw
折角だから、葬送行進曲ペタリ
アタシがベートヴェン嫌いに加え、第3番の標題が「英雄」アウトw
ま~スットコドッコイの英雄ならアリってんで、Yahoo!の頃から何度目だろーの
Wagner - Trauermarsch (Funeral March) from Götterdämmerung, Act III - YouTube
ワーグナー『神々の黄昏』第3幕第3場、ジークフリートの葬送行進曲
ジークフリートが何故スットコドッコイか、長くなるため割愛する
個人的な理由:「1.17以来、アタシが『ジークフリート』を聴くと高確率で地震発生の元凶w」
中国大使館誤爆、オラの飼い犬が倒れたetc.の原因にまでされたりしたしね~と絶叫しといて
上のYouTube持って来た訳は、「救いの無さ」
レコード芸術1988年10月号より
1988年から1992年までバイロイト音楽祭で上演されたハリー・クプファー演出『ニーベルングの指環』
人呼んで「チェルノブイリ・リング」
終末後の世界を描く、007と世界は二度死ぬみたいなオチの後に
アフォな大人達から離れた少年少女のペアが現れ、懐中電灯で未来への道を照らし、一条の希望を観衆に残して終わるけど
この演出の提供する問題性は、「権力が行使され、悪用される所であれば何処にも通じる、時代を越えたもの」
人間は誤謬に塗れ、個人の自由と社会の秩序に喘ぎながら、歴史という道を歩く
しかしそれはやがてカタストローフに至る道であり、そこから生き残った者達がまた、新たに道を歩いていく
Der Ring des Nibelungen: Das Rheingold, Bayreuth Doku (1993) - YouTube
『ラインの黄金』冒頭には終末の風景が広がっているが
それが人間の歴史の始まりでなく、カタストローフ👉再出発という螺旋運動の1コマを意味している
これに対応するのが、『神々の黄昏』幕切れ、少年少女のペアなんだけど
少年少女が模索する新しい道もまた、次のカタストローフがもたらされる可能性を考えてみれや
少年少女以外の人間達が存在すれば、そこで新たなる権力闘争など起きるかも知れんやんけ
ジークフリートの葬走行進曲へ戻ると
薄暗い舞台の中央にジークフリートの墓
手前に、さすらい人の姿だが神々の長ヴォータン
奥に、ヴォータンの娘、かつての戦乙女(ワルキューレ)で今は神性を剥奪されたブリュンヒルデ
これ実は、ワーグナーの台本に反した設定で、ヴォータンはそもそも『神々の黄昏』に登場しない
ヴォータンの登場は、『ジークフリート』第3幕にてジークフリートに権力の象徴である槍を折られたのが最後だからね
折れた槍をジークフリートの墓に投げ入れる、これは死者へのはなむけというか、権力との訣別を示している
ブリュンヒルデはと言えば、かつて父の怒りを買い、それでも新しいユートピアの実現を信じ、今は死を覚悟している
演出のクプファー曰く、「ヴォータン、ブリュンヒルデ、ジークフリートが、『ニーベルングの指環』の主役」
いずれも三様に「権力や欲に振り回される」世界の犠牲者だという
ジークフリートの後を追うブリュンヒルデの自己犠牲により、ヴァルハラ城が炎上して神々と世界の滅亡を迎えるが
人間が築く新しい世界もまた、権力闘争に塗れたカタスタローフを迎えるのであれば
人間ってまるで学習能力持たず、ホント救いさ過ぎるとしか
…何が言いたいか(・・?
人間は何度でも同じ過ちを犯す生き物だから、戦争など全く無くならないまま、古今東西、何世紀も続いている
「このような事件が起きていいと思わないし、哀悼の意を述べるが、それはそれ
過去の検証や総括を排して封印など絶対許してはならない」
事実関係さておき、黒い疑惑に覆われる人物を英雄視してしまう空気を恐れている
死者に鞭打たない、出る杭を打ちまくる、同調圧力で右へ倣えさせる国民性が発揮されようものなら
アベちゃ~ん逃げ得、永遠の闇を招くを考えれ
「眼を曇らせてしまうと道を誤り、やがて国民の払うツケは無限大」、ほれメモ📝