mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

愛のレッスン劇場~学生王子~

後期高齢者が若年性ボケ起こしたみたいな備忘録をば


ドイツのザクセン地方のカールブルク公国(架空の国、実際にあるのはコーブルク公国)の王子、カール・ハインリッヒは、両親が早く亡くなったため、後見となった叔父の大公に育てられてきた。学齢に達した王子は、晴れて学生生活を過ごすべく家庭教師の哲学博士とともにハイデルベルクにやってきた。王子の住まいはネッカー川そばのリューダーという下宿屋で、1階は居酒屋兼食堂になっていていつも学生たちで溢れかえっていた。リューダーの遠縁で、ここで女給として働いていたケーティは、たちまち王子に夢中になった。そして、4か月がたち、いっしょにパリに連れていってあげるから、とびきり上等のドレスでおめかしして待っているように言われた直後に、王子の国元から使者がやってきて、大公の容態が悪く、直ちに帰国して欲しいとの知らせを伝えた。王子は1年の予定だった遊学を早々に切り上げて帰国を余儀なくされた。

それから2年後、カール・ハインリッヒはカールブルク大公となった。2週間後に不本意な結婚を迎える予定の彼のもとに、ハイデルベルクでの短い学生時代「いつか自分が大公になったら給仕長に取り立ててやるぞ」と約束した相手のケラーマンが訪ねてきて、ハイデルベルクの人々の消息を語った。そこで大公は青春の思い出のハイデルベルクが懐かしくてたまらなくなり、ケラーマンを伴って再びハイデルベルクを訪ねることにした。

しかし、ハイデルベルクの街はすっかり変わってしまっており、学生気質も変わり、リューダーの居酒屋も学生たちが寄り付かなくなっていた。ケーティもまもなく結婚を控えていたが、彼女だけは大公のことを忘れずに思ってくれていた。再びハイデルベルクを後にする大公の胸には青春のハイデルベルクの思い出だけが残っていた。

Wikipediaアルト・ハイデルベルクより引用 )









映画と原作に細かい違いあるが、男女逆転版ローマの休日ではある
物語の背景は、王子と姫の組み合わせ、一般市民の組み合わせにも見られよう
「自由恋愛など、ごく一握りを除いて、無責任で、青春は遠く過ぎ去ってから懐かしく想ふもの」




『王子』を「王の座に至るまでの中途半端やのぉな地位」と見做せば

評価
没後50年を超える今でも数多くの研究やアーカイブの発掘が進められ、また活発なファンクラブや関連サイトでの交流が行われていることから、アメリカ音楽界における存在の意味は大きい。また、3大テノールパヴァロッティドミンゴカレーラス)がランツァの功績を讃え、度々その旨をメディアに向け発言し、ランツァに対しての再評価がなされている。
しかし、生前から正統派テノール歌手としてのランツァには厳しい評価が下されていたことも事実であり、1951年の8月6日号のタイム誌ではカバーを飾ったが、誌中の匿名記事は、必ずしも好意的とは受け取りにくく、ランツァの歌唱スタイル上の欠陥を指摘し、「このままではその美声も失うのではないかとの懸念」や、「オペラ歌手として要求される知性に欠けるのではないか」と冷ややかに評している。
同時代の共演者、リチア・アルバネーゼは、「ランツァは素晴らしいリリコスピントの歌手であり、カルーソーに次ぐテノール歌手であり、ステファーノの上に位置する」と語っているが、きちんとしたコーチが必要であったことも指摘しており、同様のことはベルカント・トリオを組んだジョージ・ロンドンからも指摘されている。 日本では『歌劇王カルーソ』以外の映画が今日にまでテレビ放送等を含めて正式に公開されることが無く、またLPレコードの時代からも国内盤があまりリリースされなかったため、正しく評価される機会が無かった。

Wikipediaマリオ・ランツァより引用 )

歌の吹き替えした彼もかね




今日は再び、FC2のコメント欄閉鎖してある
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