mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

死者に勝る存在はいないが、光仄かに

オトコって見苦しいわねと思った↓
『【山口県光市母子札害事件】被害者の旦那さんって再婚してたんだね』

犯人がドラえもんが助けてくれるとか言ってた事件の人?
加害者が結婚してたら驚くけど
被害者はええやろ
つか裁判中に再婚したのが何だかなぁって感じ
天国の奥さんや子供が可哀想って感じで
>>38
なんで4んだ嫁に遠慮せなあかんねん
復讐も終わったんやから今度は自分が幸せになる番でええやろ
>>52
だめ
一生、4んだ妻と子供だけを思って
生きてほしい
>>59
いくらなんでもクソすぎる
一生被害者面し続けろってか
知り合いと談笑してるの見ただけで不謹慎って非難しそうやな
なんで嫁とこども頃された上に
再婚不可の罰ゲームせなアカンねん
なんでや再婚相手は頃された嫁の生まれ変わりかもしれんやろ
そら穴を埋めなきゃ精神保てんやろ
応援してた奴らが結婚した事実を知ってから掌返してて可哀想だと思った
再婚相手も支援者とか言うね…
このタイプの被害者男性に寄り添うのが好きなタイプの女がいるから自然とそうなる。
旦那も若いし、仇は打ったから自分の人生やり直してもいいだろ。
芸能人みたいにすぐ離婚して再婚するやつよりはずっとマシやと思うわ
赤の他人の人生に口出ししたい奴が多いんやなぁ
ほな自分が配偶者と子供惨頃されてみたら気持ちわかるんちゃうか
まあ文句言ってる奴はただ一度の結婚すら一生できん奴らやろうからね
嫉妬は仕方ないね





金田一探偵みたいにボリボリ頭かきながら用意した画像と説明↓

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スイス移住と死去

1949年にオットーはオランダ国籍を取得していたが、1952年には母と姉がいるスイスのバーゼルへ移住した。

1953年11月10日にエルフリーデ・ガイリンガー”フィリッツィ”と再婚した。このエルフリーデオーストリアから逃れフランク家に近いメルヴェデプレイン46番で暮らしていたユダヤ人で娘のはアンネと同い年で知り合いだった。ガイリンガー家は1944年5月に密告されてアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、夫と息子は解放寸前にマウトハウゼン強制収容所への「死の行進」を命じられ落命していた。彼女自身は解放後に生き残った娘とアムステルダムへの帰路に就いたが、ある駅で停まったとき、娘がオットーを見つけて「たったいまアンネ・フランクのお父さんを見かけたわ」と告げてきたのがきっかけでオットーと知り合い、マルセイユまでの帰路を同行した関係だった。アムステルダムへ帰国した後に再開し、関係が深まっていた。1954年2月にエルフリーデバーゼルへ移住した。

1962年にエルフリーデとともにバーゼル郊外のビルスフェルデンに引越した。
1980年8月19日にオットーは死去した。1963年にオットーがスイスの法律に基づいてエルフリーデと共同で創設した公共財団「アンネ・フランク基金」(在バーゼル)がオットーの包括相続人となっており、『アンネの日記』に関する権利を相続した。アンネの日記のaテキスト(手帳、ノート)とbテキスト(ばらの用紙)はオランダ政府に遺贈されている。マルゴーとアンネは未婚で子供を残しておらず、再婚相手エルフリーデとの間にも子供はいない為、直系の子孫はいない。但し、エルフリーデの連れ子で義理の娘エファには3人の子供(1男2女)がおり、子供たちはオットーの血の繋がらない義理の孫、マルゴー・アンネ姉妹の義理の甥姪にあたる。

Wikipediaオットー・フランクより引用 )





エファはアンネより1ヶ月早く誕生したので、アンネの義姉、マルゴーの義妹に当たる
「アンネ、ハンネ、サンネの3人組」、ハンネリ・ホースラル、サンネ・レーデルマンのような親友ではなかったが
町内の友だち関係としてアンネと親しくしていた




アムステルダム帰還後のオットーは、娘たちの行方を求めていた
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所解放直前に亡くなった妻エーディトに関しては
オランダのヴェステルボルク収容所でも一緒だったローザ・ド・ヴィンテルから知らされていたが
ビルケナウからベルゲン=ベルゼンに移送された娘たちに関しては何一つ知らなかった
娘たちに一縷の望みを賭け、アムステルダム帰還を決意した結果
1945年6月、生存者名簿を辿って訪れた先で、エルフリーデ母娘と再会を果たした
この時、母娘の方は、娘から見て父と兄の行方未だし
娘を学校に戻すか、それとも職業訓練校にやるべきか
新生活を始めたもののあれこれ悩むエルフリーデに手助けしたのが、オットーだった
アンネとマルゴーの行方については
1945年7月、ベルゲン=ベルゼンで姉妹と一緒にいたヤニー・ブリレスレイペルが
オランダ赤十字社からの行方不明者に関する調査に対して姉妹の死亡を報告を受けたにより
ヤニーと直接面会したオットーにも伝えられた
オットーはその後
渡英して就職するエファに手筈を整え、エファが1952年に結婚する折には証人も引き受けるなど
自分は秘書ミープ・ヒースの家に世話になったりしながらも、エルフリーデ母娘の支援も続けた
(孤児となったハンネリとその妹の支援もした)




オットーは娘たちの死亡宣告当時
「短い間とはいえ家族で幸せに暮らせた事は、お前にとってせめてもの慰めと思う
彼女たちはもう苦しんではいない
生きる事、絶望しない事、愛する者たちの思い出を大事にする事、それがお前の役目だ
こんなに辛い目に遭ってもお前は怒りや憎しみの言葉を口にしない
本当に感心している」
という手紙を、ロンドンにいる兄ロベルトから贈られた




兄といえば、エーディトの兄に当たる、アメリカ亡命していたユリウスとヴァルターのホーレンダー兄弟共に
妹と姪たちの死を知ったショックから、終生立ち直れなかったという
長兄ユリウスは1967年10月4日に、次兄ヴァルターは1968年9月19日に、共にニューヨークで死去した
イスラエル国家への遺産寄付を遺言していた
また兄弟共に生涯独身であった




…理不尽な理由により家族を奪われたのは、オットーとホーレンダー兄弟の双方変わりない
過去の記憶は薄れて行けど、完全には払拭出来ないものである
それでも人生は続く
機会に恵まれたなら
相互理解は出来る、言葉がマトモに通じない夫婦だろうと、戦争被害者同士夫婦だろうと
それなり若い組み合わせが子供作ったって良く、ジジババのまったり茶飲み婚も良い
エファが独立すると独りになるエルフリーデを、もう誰に遠慮など要るもんかのオットーが家族に迎える
誰に文句が言える?




光市事件の旦那さん、一連の流れから見ればモヤモヤするものの
相手が納得するかは置き、亡くなった奥さんの遺族に筋は通してと思う
再婚したって構わんでしょ
ゴチャゴチャ難癖付ける奴は、彼女いない歴=年齢、あるいは、乙女拗らせたような正義厨だね
ゴチャゴチャ言いたいんだったら
「彼女にガソリン撒いて火を点けた男が、数年経たずに社会復帰して来やがった
彼女は一命を取り留めたものの重度の火傷負ったため、生涯、医者の世話になる身となっている
彼女が元カレに対し民事で賠償請求起こした所
彼は釈放後サッサと結婚しており、『禊は済んでるんじゃッ』と逆切れかました」
刑期は終えれど、贖罪は生涯に亘るもの
まともな頭持ってりゃわかる事がわからんカス男を特定して襲撃掛けてやれ




未解決事件で打線組むと必ず入り、真夜中に読むとトイレ行けない猟奇的事件だよね
不幸中の幸いが、胎児は間一髪セーフだった点に尽きよう
その子も今年31歳を迎える
母方祖父が公訴時効成立直前の2003年2月、『中日新聞』『読売新聞』取材に対し
・犯人も人の子として生まれて来た以上、「この15年間は罪の意識に苦しんで来たはずだ」と思いたい
・事件の事は忘れようとしているが、心には一生残る
・娘の墓・仏壇は(義理の息子・孫が移住した)ハワイにあるからここ(自宅)には無い
・孫もそのうち事件の事を理解するかもしれないが、成長をゆがめない事を願いたい
子供は小学高学年まで日本に居たから、事件について知らされていなくたって、「色眼鏡」の空気が?
とにもかくにも、日本は加害者に甘く被害者に厳しい社会だ
パパラッチの類は何処の国にも存在するが、他国へ行けば只の人として暮らせる率が上がる
自国を断捨離し異郷に骨埋める覚悟で海外移住するのが正解よ




もっとも加害者側とて、バッカッター従業員家族などは、被害者なのが気の毒過ぎる
ほれ、アフォな動画作成し、Twitterに投稿したら、炎上食らって職場に飛び火という話よ
雇い主が高額の賠償請求起こしてみ、下っ端従業員にゃ支払い能力無く、親兄弟に甚だしく迷惑掛ける
ワイドショー、写真週刊誌が主体の頃の犯罪報道でさえ一つ間違えれば
親が協議離婚して引っ越し、加害者と他人のフリする道が塞がれたのに
瞬時に幅広く拡散されるSNSなんて
自爆リスク以上に、炎上させるようなバカも数多い意味となる事がわからんのやら
ネットリテラシー以前の一般常識有無の問題という事よ




上の二段、「光の世界の一寸先は真っ暗闇夜」
わかった?
記事題名の「光仄かに」、これは、アンネの日記最初の邦訳に付けられた日本語題名より