mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

失われた原風景への憧憬から、現実への回帰~フランスの思い出~

11月22日は、「いい夫婦の日
んで思い出した映画をば





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フランスの思い出 Le Grand Chemin (1987年)

フランスの田舎を舞台に、都会の少年が夏休みにそこで過ごして得た様々な人との心の交流を描く。製作はパスカル・オメと「赤ちゃんに乾杯!」のジャン・フランソワ・ルプティ、監督・脚本はジャン・ルー・ユベール、撮影はクロード・ルコント、音楽はジョルジュ・グラニエが担当。出演はアネモーヌ、「サブウェイ」のリシャール・ボーランジェ、アントワーヌ・ユベールほか。88年セザール賞主演男優賞(リシャール・ボーランジェ)主演女優賞(アネモーヌ)。88年モントリオール・オクメニック賞作品賞。87年ドイツ児童映画祭作品賞。87年ジョルジュ・ボールギャール賞監督賞。87年ポール・ヴァイヤン・クテュリエ賞作品賞。87年アカデミー・ナショナル映画賞作品賞。

「大通り、つぎは大通り!」ガタゴト道をバスに揺られ続けて、ようやくルイ(アントワーヌ・ユベール)は母親クレール(クリスティーヌ・パスカル)と二人、目的地のルーアンス村に着いた。母がこの夏お産をするので、夏休みを母の幼友達のマルセル・リュカ(アネモーヌ)の家で過ごすことになっているのだ。母親の胸中にはお産のほかに、実は別居中の夫と離婚の危機、という大問題もあるのたが、大人たちの配慮で、ルイ少年にはそれは知らされていない。久し振りに会ったマルセルにルイを預けると、すぐに母は帰ってしまった。ルイにとっては初めての、一人ぼっちの、田舎での不安な長い夏休みが始まった。最初の夜はロクに眠れないという情けない有り様だったが、何日か過ごすうち、ルイも少しずつ田舎の暮らしに馴じんできた。隣の少女マルティーヌ(ヴァネッサ・ゲジ)とも仲良くなり、マルセルの亭主で木工職人のプロ(リシャール・ボーランジェ)も、見かけよりずっと優しかった。マルセルとプロの仲が良くないことだけが、ルイの気がかりであった。数日後、マルティーヌと村のお葬式をのぞき見していたルイは、小さな墓を見つけた。「ジャン・ピエール・リュカ 一九四九年没」リュカ家、つまりマルセルとプロには、かつて男の子が生まれるはずだったが、難産で死んでしまったという話を、ルイはプロから聞いた。ある日、ルイに母からの待ちかねた手紙が来た。こちらは暑い、赤ちゃんはまだ生まれない。パパは忙しい……等々、たがそこには大人たちの許せない嘘があった。憤慨し悲しんだルイは、ある“決死の行動”をおこす。必死に救おうとするプロ、マルセル、そして村人たち。夏の終わりに、出産を終えた母が無事だった、そしてもう少し大人になったルイを迎えに来た。ルーアンスともお別れだ。今度は逆の方向にむかって、ルイと母親はガタゴト道をバスで都会へ帰って行く。秋の冷たい雨が降り出した。長い夏休みは終わった。

https://movie.walkerplus.com/mv11842/




Paradise Theatrical Trailer (1991)
メラニー・グリフィスドン・ジョンソンが二度目の夫婦当時に共演した‘愛に翼を’
アメリカ映画版が、日本では馴染み深いかしらん
アメリカ映画が欧州映画に手を出して、オリジナル以上に面白かった試し無い
却下しといて




「子は鎹(かすがい)」
これ大体、子供のためにしゃ~ないわと嫌々ながら仮面夫婦続けるに使われる言葉よね




子供の成人後に離婚した親を持つ者に言わせると
子供が見ていて「はよ離婚せい」と思うくらいの仲悪が別れないのは、子供にとって有難迷惑極まる
夫婦が別れても子供の親である事に変わりないと協力関係結べるのだったら、はよ別れるのが善という
無論、ギリギリまで再構築の努力した上でよ
近藤紘一著‘サイゴンから来た妻と娘’には、サイゴン女房が
ベトナムでは、どんなに仲悪い夫婦でも、子供の前ではベタベタベタ~する」
ナウさんは前夫との離婚について、このまま一緒だと殺し合いになるかもまでの状況を解決すべくであり
離れて暮らせば、嫁実家への出入り、元夫婦デートなど、ホドホドの友人関係を築けた




「子は鎹(かすがい)」
本来は、結婚していようと離婚しようと、自分より子供の人生を優先する親に使われる言葉であろう
男女が信頼関係築けているかを示す言葉なのよ




子無し夫婦の場合、もう精神的に自立した大人同士でないと困難と思うわ
子供を亡くした夫婦ならば、特にね





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Le Grand Cheminのプロとマルセルもだ
ルイを預かるについて夫が妻に、「試練だな」みたいに言うけど
産む性である妻がトラウマ克服出来ないまま、生きていれば息子と同じ年頃の少年をどう受け入れるか?
この夏休みは所詮、「親子ゲーム」に過ぎない
変えられない過去に呪縛される妻を案じる故にと見る




スッタモンダ起きるものの、ルイを預かった事が結果的に、妻を呪縛から解き放った
寡黙で無骨な夫の差し出す手を改めて取る
これは思うに、「夫を完全に拒絶しておらず、信頼していたから、ワガママ言えてたの?」
フランスがいくら離婚手続きに骨折るとはいえ可能であり
女は一度アカンと判断したら、男より潔く、サッサと切り捨てる冷血動物でしょが