mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

記憶の旋律を残す楽譜代わりに、聖母の愛と生涯

モテナイ君が義理でギリギリ甘い御慈悲に恵まれる日ね
義理にさえありつけなければ
『1度は見たいホラー洋画13 血のバレンタイン』
女なんて男性差別促進主義者のくせに、媚売って生きるクソッタレ~と、映画以上の血祭りに上げて許す




Valentine's Dayが、この間正月だったのに(旧正月の意味に於いても)、2月も真ん中に到達した
毎年2月来るたび、自分で自分の誕生日祝いやるけど
ホント言うと、1日でなく、2日であって欲しかった
1日なら、そりゃま、中村雅俊ジョン・フォード監督の他に


1901年2月1日生まれのドイツ系であったハリウッドの王様と同じなのも嬉しい
しかしながら、2日なら


左側の御婦人よ
1919年2月2日生まれ
数多いるクラッシク歌姫の中で、永遠の女神様リ-ザ・デラ・カーザと同じだったのに~




ずっと前にも記事で怒ってるけど、まだ収まらないので、また怒る








https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BD%8F%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%BA%8C&aq=-1&oq=&ai=jkg0LgTtTu.E3NmI.6L1NA&ts=5242&ei=UTF-8&x=wrt

ドイツ・グラモフォンにSP原盤を提供した実績をお持ち
偉大なワーグナー歌手ハンス・ホッターの伝記を邦訳
スイス出身の名花リーザ・デラ・カーザが、永遠のアイドル
半世紀前のアメリカ留学時代、一瞬ながら目が合い、会釈してもらったのが、いまだに…
 



「古のドイツ出身の名花より、デラ・カーザの方が断然素晴らしいですよ」
と、R・シュトラウスの♪ばらの騎士を大絶賛したら(掛け値無し)
「嬉しいですね~。見る目聴く耳ありますよ」と褒められた




古のドイツ出身の名花=Elizabeth schwarzkopf
1960年ザルツブルク音楽祭での映像収録
日本では、シュヴァルツコップの舞台というのが一般の認識
舞台裏は、7,8回の公演中、映像収録日の1回だけ
英EMIのレコードプロデューサーだったウォルター・レッグのおかげ様だっての
本来、デラ・カーザのための舞台なんだってばッ
 



住田先生も、アタシも、メッチャ悔しい
デラ・カーザ御本尊もよほど悔しかった模様
裏話を先生に話した、メゾ・ソプラノ歌手クリスタ・ルートヴィヒによれば
デラ・カーザはたおやかな御方なのに、この件に関しては、顔に血の気が充満するとか
 



ドイツ・グラモフォンが、本来の主役登場日ライヴ録音発売した時には
先生は、日本盤CD解説執筆を依頼されて大喜び(頼まれんでもネジ込んだと思うけど)
それを読んだアタシは、公開ラヴレターもどきに赤面するやら感動するやら
デラ・カーザは最高の元帥夫人にして、騎士オクタヴィアンも同じくらい素晴らしい
キャリア初期には、成金貴族小娘ゾフィーも手がけた
元帥夫人しか歌えんシュヴァルツコップがナンボのもんじゃ




…先生の話では
シュヴァルツコップは1970年代の来日時、楽屋でメソメソ泣いてたんだって
好調と言えず、納得行かない出来に終わったのが原因
1915年12月9日生まれ、当時50代後半でしょ
出来不出来にメソメソ泣くほどだったら、更年期障害の心配要る年頃まで歌うなっ中年




その点、デラ・カーザは、潔かった
こちらは全盛期過ぎても、大崩れ見られなかったのに、55歳で引退した
引退の理由:「息子の看病するため」
https://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/archive/2017/12/25
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、ビヴァリー・シルズの両名花は、カネに余裕持つため歌い続けたが
デラ・カーザは、スイス上流階級令嬢出身だけあって、無理する必要持たなかったわけ




好きなだけキャリア極める才能と実力究める者が、不満言わず、諦める時は諦める潔さを見せる
というより、本当に有能な者だけが、引き際を見極められるってか