mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

聖母の愛と生涯(後篇)

前篇から続いた




ニッポン列島は今年もやっぱ、聖夜が性夜とお盛んだった?
ま~成人以降、出来れば大学卒業後なら、好きにしたらイイけど
子供出来ないようにはしたでしょね
クリスマスイヴが、出来ちゃった婚授かり婚と美化し、天に責任転嫁する絶好の機会じゃん
長年付き合って、ハラボテを機に結婚するってんならともかく
出来ちゃった婚=合コンお持ち帰り等による、無計画、出来心なんぞ、原則は恥である離婚の温床となる
離婚しなくたって、貧乏共稼ぎ一直線!で結局、男女ともにシンドイ思いする
授かり物といえば、ナザレの大工さんと婚約するマリアちゃんとて、どっかの兵士が仕込んだ
人間の女一人で孕めるわけ無いんだからさ
何?大工さんに托卵したとな??失敬な!!!
大工さんも一度は婚約破棄しようと考えるも、救世主の養父に輝ける栄誉を有り難くだよ
ATMにすら失格するような、子供が病気でも二親必死で稼がにゃ食えんボンビ~と一緒にするなっての




病気や怪我の心配要る乳幼児を人手任せで稼ぐにしたって
本当はもう無理に仕事したくなかった、クラシック音楽界二大聖母様の爪の垢煎じて飲んでからにしやがれ




一人目は、以前にも書いた、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス

Victoria de los Angeles sings "Habanera" from Bizet's Carmen
With The RTVE Orchestra. Odón Alonso conductor. Madrid, 1972


カルメンは、1950年代の全盛期に正式録音した、サー・トーマス・ビーチャム指揮レコードが存在する
しかし舞台では、40歳過ぎた1960年代半ばにリサイタルへ活動の場を移して以降まで歌わなかった
米国ニュージャージー州ニューアークでの映像が、舞台デビューである
50代半ばとキャリア晩年に差し掛かる時期に、正式の歌劇場持たない地方都市で歌った理由は
ダウン症の息子が将来、親いなくなっても暮らせるだけの預貯金を考えて」
米国の地方都市には、Jリーグ初期みたいな、往年のスターに大枚ポン♪☆と弾む所があった
1回引き受けるだけで、息子を施設に預ける等の余裕持てるくらいの額をね
バイロイト音楽祭出演歴持つほどの世界的な歌姫が、矜持かなぐり捨てるような仕事を善しとする
高学歴に相応しくないとか御託並べるキャリアウーマン=ヤリマンが同じ事やれるもんならやってみろ




二人目は、こちらも記事で触れた事あるビヴァリー・シルズ


ベヴァリー(またはビヴァリー・シルズBeverly Sills, 1929年5月25日 - 2007年7月2日)は、アメリカ合衆国の最も有名なオペラの歌手の一人。1960年代から1970年代にかけて、コロラトゥーラ・ソプラノとして活躍した。1980年に引退してからは、ニューヨーク・シティ・オペラのゼネラル・マネージャーに就任した。成功した著名人ではあるものの、現実的な人柄や、先天的欠損症に対する予防や加療を支援する慈善活動によって多大な好感を集めていた。

1956年にオハイオ州の新聞「クリーヴランド・プレイン・ディーラー」紙の社主ピーター・グリーナウ(Peter Greenough)と結婚、2児をもうけるが、一人は聾者であり、もう一人は精神遅滞児であると告げられた。このため一時的に引退して、育児に専念することとなる。

1964年1月に歌手活動を再開し、オペラ・カンパニー・オブ・ボストンの『魔笛』に「夜の女王」役で出演した。驚異的なコロラトゥーラの技能によって、その演技は非常に持て囃されたものの、シルズ本人はこの役柄を好いてはいなかった。

声質としては本質的に、明るく力強いリリック・コロラトゥーラであったにもかかわらず、年齢を重ねるにつれて、ドニゼッティの《ロベルト・デヴルー》のマリア・ステュアートやヴェルディの《椿姫》のヴィオレッタなど、ドラマティック・コロラトゥーラ・ソプラノ歌手に適した、より重い役柄を数多く手がけるようになった。劇的な解釈により自分の声の軽やかさを克服する能力ゆえに絶賛されたが、そのことは犠牲を強いるものであったろう。シルズは後に、《ロベルト・デヴルー》は彼女の歌手生命を4年は縮めたと語っている。

1980年に引退後は、1991年までニューヨーク・シティ・オペラのゼネラル・マネージャーを勤め、当時経済的に苦境にあった同劇場が、企業として独立できるように尽力した。1994年から2000年までリンカーン・センターの会長を務めている。数々の芸術問題や、慈善団体“March of Dimes”による福祉事業にも献身を惜しまなかった。2002年にメトロポリタン歌劇場の委員長を務めるために復職したが、2005年1月に家庭の事情により辞職した。それまで8年にわたって彼女が老人ホームで介護を続けていた夫を喪ったからである。

Wikipediaビヴァリー・シルズより引用 )

「障害児が1人でなく2人であった」
1人でも大変なのに
子供たちの将来は無論、親の老後を見据えれば、より一層
いくら上層中流階級夫婦とて、経済的な余裕と安定が求められる
家庭とのバランス取りながらも、実力者が15年も活動すれば、十二分に稼げ、貯まるもんが貯まる

2016/3/27(日) 午後 6:51 【雪が解けて川になって流れて行く春の声】

元女優だけあって、身のこなし抜群で舞台映えするが、娘役向きの小柄な体格
リリコの役柄も歌ったとはいうものの本質的には軽いコロラトゥーラ
エディタ・グルベローヴァのように、劇的な役柄へと移行して還暦以降も現役は無理
故障無くたって、45歳や50歳を迎えると必然的にオペラ舞台を去るタイプのドゥセ
花の命は短くて、されど春風の心地良さを与えた名花一輪であった

シルズの声質も、ナタリー・ドゥセに近い
50歳での現役引退を、夫と約束し、実行した
本当は、一時引退からそのまま、家庭専念したかったと推察する
「2005年1月に家庭の事情により辞職した」
これもね、今度は、「母親だけが頼りとなった子供たちに専念のため」じゃないの?




好きなだけキャリア極める才能と実力究める者が、不満言わず、諦める時は諦める潔さを見せる
子供が健康である一点だけで満足し感謝すべきを知らない無病息災組など人外の理由、わかった?
ある日突如、子供が発症した際に備え、四の五の言わず親の責任果たせる環境を整えとけ!