mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

普通の人々

朝一番では「さよなら、サヨナラ、SAYONARA」したくなり、絶対観たくない映画↓

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第53回(1980年)のアカデミー作品賞、監督賞(ロバート・レッドフォード)、助演男優賞ティモシー・ハットン)、脚色賞(アルヴィン・サージェント)の4部門を獲得した。

俳優としてのロバート・レッドフォードはまだアカデミー賞の演技賞を手に入れていない(アカデミー名誉賞は受賞している)が、演出家としてはこの処女作で作品賞、監督賞を獲得した。

『普通の人々』は家族の断絶の問題を真摯な態度でわかりやすく描かれている。シカゴ郊外の弁護士の一家。半年前に長男が水死事故を起こして以後、父、母、次男の悩みが露呈し、心がちぐはぐになり、家庭は崩壊していく。気の弱い父親、冷淡で他人と協調できない母親、繊細で感受性豊かな次男で構成されるホーム・ドラマ。

かつての米国映画は、郊外の高級住宅街に立派な邸宅を構えるWASPの上流中産家庭を理想的に描いたものだが、いまやその家庭は機能不全で崩壊している。似たようなテーマとしては『アイス・ストーム』(1997)や『アメリカン・ビューティー』(1999)でも描かれていて、後者は監督したサム・メンデスも本作を意識したと語っており、オマージュとして本作で使われたクローゼットと同じものを『アメリカン・ビューティー』の終盤に登場させている。『スタンド・バイ・ミー』(1986)のゴーディが年の離れた兄デニーを事故で亡くし、その影響で両親からも冷遇され、トラウマになっている。デンマークの映画『ある愛の風景』とそのハリウッド版『マイ・ブラザー』も同じような兄の喪失を描いている。

若い頃は画家志望だったレッドフォードは移りゆく季節感や中西部の町を美しくとらえることにもみずみずしい感性を示した。

Wikipedia普通の人々より引用 )

日本に舞台を置き換えられる、題名に示されるように、時代を越える普遍的なテーマを取り上げた
派手なCGなど無縁の、アカデミー作品賞受賞作史上最も地味な内容である




今月12日、和歌山病院クリスマス会終了後、茄~子
「重心障害児(者)病棟なら、ジジババ施設みたいに、帰宅願望からトンズラする心配無いわな」と言うと
茄~子はウチのお坊っちゃま向かい側ベッドの世話しながら
「酸素ボンベ着けたまま逃げられへん人なんかいますしね~」と返って来た




茄~子ともう一つ意見一致したのは、昨年春のJR踏切事故裁判判決の正当性であった
認知症爺さん及び遺族、JR、どちらも被害者で、加害者はいない事故
・強いて加害者を決めれば、爺さん死なせたJRだが、一方的に非難するのは酷過ぎる
・遺族が負ける判決だと、悪い前例を作り、崩壊する介護家庭続出する懸念大
・本音どうあれ、JRが負けを受け入れたのは賢明だった
これら4点が理解出来る茄~子というわけ
個人的に、あの裁判判決が、俗世間の民を、地球人と宇宙人のどちらか見分けるリトマス試験紙と考える
上述4点を理解出来る者:メンドクサイけど面倒片付ける事から逃げない地球人
JRをひたすら擁護するor一方的に非難する者:自分の無知を認めない面倒嫌よカネはくれ宇宙人
どちら様も人からヒトデナシと思われたくないならお気をつけ遊ばせ





…普通の人々が、JR事故に何の関係がって?




戦後の物質文明にドップリ浸かって育った、戦争を知らない子供たち
その一部がいまや、ボケ老人と化してるんだよ
全員がそうとは言わんが、やはり社会的地位があった者ほど、性格的に難しいも多いよう
施設では、「俺がカネを稼いで来たんじゃッ」という強烈な自負を持つ爺さんどもが
特に女性に対して、非常に手厳しく、嫁などの家族はもちろん、女性職員も召し使いのように考える
それらを注意しようものなら
「俺を誰だと思ってるんだ!」「俺は元○○だぞ!特別扱いしろ!」 とキレる
「俺は社会的地位があったからボケるわけがない!!」など、170%無い事がわからない
また、「元○○だ!」=過去の栄光であり、大多数の他の人間の知った事じゃないもわからない




よくよく考えてみると、上段の俺様タイプは、ボケ老人に限らない
すぐ切れるジジババ増殖した現代、街中によく見かける
幼稚園児より遥かにガキなジジババ多過ぎる
ただし本当にボケてるのも、施設空間のみならず一般社会にわんさか棲息するわな
ある意味、ボケ老人と普通の人々との境界線は有って無いに等しい
というのも




ボケ老人なんて、「施設に放り込めよ」「家でちゃんと飼っとけよ」
普通の人々から見れば、放し飼いにするなであろう




皆が皆施設に入れるものなら、よほど酔狂な身内以外とっくの昔に施設放り込んでるわ
介護認定は、百人百様の生身相手を判断するもので
サギみたいに数字高い、被介護者なりに元気な者
祖母ちゃんボケ散らかしてるのに、要介護1しか出なかったよ(泣)
など、調査員が真面目に仕事しても完全無欠はそうそう望めまい




特に認知症って、首から下は健康優良爺いたりするから、介護認定が厄介な生き物
特養申し込みすら不可の要介護2以下となれば、家で放し飼いしか手が無い
一応人間だからね、ボケなりの自由を認めてやる配慮も要る
放し飼いにせよ監視するにせよ、きょうび、誰が一日中ボケ守りするの?
経済力に関係無く、専業主婦(夫)、介護離職者くらいだ
他は、共稼ぎ嫁が必死で時間やりくりして、ボケと鬼ごっこ、ボケに要る用足しと思う
いや…
介護なんて、誰もやりたくない
しかし、誰かがやらざるを得ない
嫁がやらざるを得ないから、どうにか頑張る嫁少なくないものの
嫁がやらざるを得ないのに、拒否して逃げる嫁が世の常
…嫁が面倒引き受けると決まってないか




そもそも、ジジババ全員に、子供及び嫁や婿がいると決まってない
子無し夫婦もいれば、子供いるが絶縁状態夫婦もいる
死別、離婚、生涯未婚のどれかで、高齢おひとり様かもしれない
独居ボケ老人ならば、ワシやアテクシの好き放題生活を、誰がサル回しする?




先に脱線しとくと




ぶっちゃけ、これからの時代、おひとり様が、介護地獄社会を促進させる元凶の一つと見るぞ
いつも言ってるだろ
一生食える資格だの、預貯金わんさかだの、んなもん、生涯最期の日まで無事に過ごせる大前提だ
そんなん、まず、意味不明なまでのアレルギー増えて虚弱な現代及び未来にいてへんわ
ボケたり寝込んだりしたら、カネ握ったまま独り朽ち果てよう
孤独死免れる場合は、どんだけ行政の手を焼かせるのやら
その前に、賃貸暮らしは慎重にね
60何歳過ぎると、引っ越そうにも、孤独死リスク回避から入居断られる事がある
保証人や緊急連絡先が必須である施設への引越しする場合
業者にその場限りの保証人頼めるアパートと違って、身内頼れないと大変よ
入念な計画性や特別な事情無いおひとり様なんて、親戚から見れば産業廃棄物だから
億単位稼いだってボケたら親戚で分けっこと、人生負け組を覚えといてね
それと、一人親家庭なんて、真面目な方々も当然多いけど、親が子供に迷惑掛ける必至
女一人で稼がなければ食えない低い身分を女の自立とかは、頭と尻の両方軽いバイタと断言してやる
「母子家庭だから、ワタシ可哀想なのよ~」と、母子手当や生活保護狙うタイプにゃ
「本当に可哀想なのは、親の身勝手から、二親揃った価値観知らずに育つ子供じゃ、ゴミめが」に尽きる
行政が手当や保護をホイホイくれる状況が、近い将来、ブーメランとして跳ね返る恐れをわかれ
低福祉高負担
介護保険等が破綻しなくたって、サーヴィスは手薄になる見込みである
利用料は逆に、徐々にながらも値上がりするんだよ
2018年に、要注意!
老害、ジジババでなく子供にカネ使えと、やいのやいの騒ぐ小娘青二才多い
これもいつも言ってるように、「ジジババを無事旅立たさせる」が先決だ
いまだ元気なジジババ抱える育児世代ならば、低福祉高負担の近未来をどう乗り切る?
ジジババ放置して子供ばかりにカネ注ぎ込んでたら、ジジババ介護に要るカネはどう捻出する?
早い話、過剰な子供手当生活保護貰うは、子供や孫の将来を食い潰す、社会の寄生虫を意味する
未来の宝であるはずの子供の将来暗くするほど素寒貧社会が来るよ
老若男女ともに精神年齢低い現代では、ガキが子供を作るに等しい親が増殖した
机上の学歴を鼻に掛けるような賢しらぶった小娘青二才の自業自得とあって文句言えないぜ
大事な子供持てる人生は自分の意思でも、親の存在あればこそ、なのに恩知らずどもには当然だけどね
まだ少しは無理が利く41歳から
事務処理だけの場合でも、疲れた
50歳以降に介護デビューであれば
自分が困るから同じ事やるけど
青息吐息に違いない
気合いだけでは厳しくなる40歳以降に
呑気に考える輩は漏れなく死ぬ思いを覚悟しとけ

てか
ボケたりは何も、ジジババの専売特許じゃない
面倒から逃げた者が、若年性を発症したのに、連れ合いに捨てられる羽目に陥ろうものなら
「鬼と映る連れ合いが、かつてのオマエの姿だよ」





元へ戻ると




好き放題は独居のみならず、同居者いるジジババにも見られる
ボケてるからって、座敷牢こしらえて仕舞っとくわけに行くまい
んで…
独居と同居の両方
デイサーヴィスの義務化みたいなの、無理な相談かい
要介護の数字によって利用可能回数異なるなどを廃し
免除される者はもちろん認めた上で
原則は介護認定下りたジジババ全員、義務教育のように通わせるのよ
独居ジジババの中に、入浴と食事が目的で通う者がいるね
入浴は、その危険性を考えてみな
周囲の目前での銭湯での転倒、誰もいない内風呂での事故
どっちも怖い
食事は、栄養バランス取れた内容を望むのだったら
一日1食は確実にありつける通所サーヴィス利用が最善である
踏切を突破するとか、コンビニ行って自覚しない万引き騒ぎ起こすとか
無知なのに生意気で無恥な無病息災組の偏見と差別の助長を考えれば
ボケ老人が好きに外出する時間を減らす事によって
ボケ老人の安全保証する利点あると思う





生涯ボケ知らずで終える者は掃いて捨てるほど存在する
自分もその一人であるかは、神のみぞ知る
老化、障害は決して、対岸の火事じゃないんだよ
人間誰しも災難降り掛かる可能性持つ限り
思考、行動が明後日の方向であっても、ボケ老人もまた、普通の人々と認められる権利持つでしょ
制限は課すが、不要なイジメに遭わないくらいは保証してあげましょ




「夜中に目を覚ましたベスは、階下の部屋で1人泣いているカルヴィンの姿を見て当惑する
彼は妻に初めて君への愛があるのかわからないと本心を告げた
明け方、彼女は家を出て行く
庭で1人立ちつくすカルヴィンのもとにコンラッドが近づき、2人は無言のままいつまでも抱き合うのだった」
映画のOrdinaryPeople幕切れ部分ね
息子二人のうち長男だけを愛していたベス
ひょっとすると、家族でなく、彼女自身だけを愛していたと思えるふしがある
父親と次男は時間薬で、どうにか立ち直り、絆を保てると見るけど
夫の言葉の意味を理解出来ないままか、反省したのか
いずれにせよ、自分から平和を捨てたような母親はその後、宇宙人と同じような末路を?




最後にもう一つ




21世紀ニッポン版OrdinaryPeopleを製作するとすれば
被介護者発生により、上辺に留まる仲良しファミリーが一転、骨肉の争いを演じるテーマでしょね