mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

伝説の97に止まっても、輝かしい栄光なら一発屋も悪くない

2017.6.4
レジェンド来日インタビュー

7月のボルシア・ドルトムント来日に先駆け、BVBのレジェンドであるカール=ハインツ・リードレとラース・リッケンが来日を果たした。さいたま市Jリーグを訪問し、精力的にクラブのPR活動を行った二人に、今シーズンのBVBのこと、そして浦和レッズ戦の見どころなどについて聞いた。
 

まずはDFBポカール優勝おめでとうございます。二人はどのように優勝を祝ったのですか?
リードレ:試合当日はスタジアムにいたよ。ハラハラしながら見ていたけど、優勝した時は大いに喜んだ。その後、ホテルで祝勝会が準備されていたので、それにも参加した。もちろん、あの盛大なパレードにもね。

 
リッケン:3年連続で決勝で敗れていたから、勝てたことでクラブも選手たちも安堵していたと思う。優勝が決まった後は24時間みんなで飲み続けたよ(笑)。優勝パレードには30万人もの人が集まってくれたけど、恐らくあんな盛大なお祝いは他ではないんじゃないかな。
 

30万人というのは町の人口の約半分だそうですね。改めてドルトムントのサポーターについてどう思いますか?
リードレ:
まず、ファンにとってドルドムントというのは“すべて”と言っていいくらいの存在なんだと思う。自分が現役だった頃はドイツチャンピオンになった(95年と96年にリーグ連覇)ということもあって、今回と同じようなお祝いをしてもらった。97年のチャンピオンズリーグ(CL)優勝後は、しばらくビッグタイトルから見放されていたけど、またクラブが盛大なお祝いをできるようになったのは私にとってもうれしいよ。

 
リッケン:パレードに集まったのは、恐らくドルトムント市民だけではなく、ドイツ全国から、あるいは他の国から来てくれた人も大勢いたと思う。日本にもドルトムントファンはたくさんいる。そういう人たちが一緒に祝ってくれて本当にうれしく思うよ。

今シーズンはDFBポカールで優勝、リーグ戦は3位、CLはベスト8でした。総括するとどんなシーズンでしたか?
リードレ:非常に良いシーズンだったと思う。目標としていたことはすべて達成できたし、来季のCLにも出られる状態になった。残念なのはモナコ戦の前に起きたバス襲撃事件だ。あれがなければ、もっと上までいくことができたかもしれない。今シーズンはケガ人も多く出てしまった。それがなければもっともっといい成績が残せたんじゃないかと思う。

 
リッケン:忘れてはいけないのが、我々は昨夏にマッツ・フンメルス、ヘンリク・ミキタリアン、イルカイ・ギュンドアンと3人の主力選手を失っていたという点だ。若い選手には「新しい出発だぞ!」という話をしたが、彼らをチームにしっかりと根づかせることができた。2012年以来となるタイトルも取ることができたし、良いシーズンだったと思う。
 

今、若い選手の話が出ましたが、今シーズン特に印象に残っている選手は誰ですか?
リードレ:例えばエムレ・モルはそこまで出場機会に恵まれなかったが、出場したゲームではその才能を十分に見せてくれた。マルク・バルトラはしっかりとチームに溶け込んでいたし、ラファエウ・ゲレイロも思っていた以上に活躍してくれた。でも、一番注目されてしかるべきなのは、ウスマン・デンベレかな。彼はサッカー選手に必要なものをすべて身につけている。これからが楽しみな選手だよ。

 
リッケン:デンベレに関しては、恐らく他のチームのスカウトが「なぜ、アイツをを獲得しなかったんだ!」とドヤされるぐらいの選手だよ(笑)。現時点でヨーロッパでも屈指の選手に成長してくれた。それからクリスティアン・プリシッチは、まだユースチームでプレーできる年齢だけど、ブンデスリーガでもアメリカ代表でも重要なゴールを決めている。ポカールの決勝でも決定的なPKを獲得してくれた。
 

シーズン後半に重要な役割を果たした香川真司の印象はどうでしょう?
リードレ:君の言うとおり、後半戦は活躍してくれたね。ゴールにつながる決定的なパスをたくさん出していたし、チームにとって貴重な選手だったと思う。クラブに戻って来て2年目だけど、その前からチームにいたわけで、なくてはならない選手だと思う。

 
リッケン:シンジがあれだけのパフォーマンスを見せてくれたのはチームにとって大きかった。同じポジションのマリオ・ゲッツェアンドレ・シュールレがあまり試合に出られなかったことを考えると、香川がいなければチームはここまでの成績を収められなかったかもしれない。彼が最初にドルトムントにやって来た時は、まだ若く、プレッシャーを感じずにプレーしていた。でも今は豊富な経験を持っているし、年齢を重ねて、チーム内での立場も変わってきた。今後はチームを導いていくような存在、若い選手を引っ張っていくような存在になってくれることを期待している。
 

ピッチ外の香川についての印象も聞かせてください。
リードレ:シンジは半分ドイツ人と言ってもいい。周りの人にいつも親切だし、時間に正確で几帳面だ。パフォーマンスについても出すべき時にしっかりと出してくれる。そういうメンタリティーはドイツに合っていると思う。

 
リッケン:シンジは地に足がついていて、控え目だ。でもスポーツ面では、「絶対にやってやる!」という野心を持っている。日本からやって来て、注目される中で、若い頃から大人として振る舞わなければいけなかったということもあるが、そういう中で人間的にも成長してきた。監督なら誰もがほしいと思う選手だし、チームの中でも非常に好かれているよ。
 

あなたたちのゴールでドルトムントがヨーロッパを制してからちょうど20年が経ちます。1997年のCL決勝の思い出を聞かせてください。
リードレ:クラブにとっても自分たちのキャリアにとっても歴史的な瞬間だったと思う。ラースなんて、いつもアレ(優勝メダル)を持ち歩いているぐらいだ(笑)。昼も夜も、寝る時も、肌身離さず持っているんだ(笑)。

 
リッケン:とにかく「あの瞬間!」という感じだね。そうとしか言いようがない。僕はドルトムントで生まれ、子どもの頃は一人のファンとして南スタンドで試合を見ていた。そんな人間があんな“世紀のゴール”を決められたんだから本当に名誉だよ。ファンと当時の話をすると、私のゴールそのものよりも、“あのゴールの瞬間に何をしていたか”という話題になることが多いんだ。直前に選手交代があったから、トイレに行ったり、ビールを買いに行ったりしていたファンも多かったようで、スタジアムにいた3分の1ぐらいのファンがあのゴールを見ていなかったなんて話も聞く(笑)。それから、あの試合をパブリックビューイングで見ていたファンから聞いた面白いエピソードもあるんだ。ああいう場所ではゴールの瞬間に隣の見知らぬ人と抱き合ったりするでしょ? そういう男女が、それをきっかけに出会って、結婚をして、産まれた子どもに「ラース」と名づけたんだって! これは本当の話だよ(笑)。
 

ドルトムントは7月に浦和レッズと対戦します。日本のファンにどんなところを注目してほしいですか?
リードレ:ドルトムントが多くのゴールを決めるからそれを見てほしい、っていうのは冗談だよ(笑)。浦和レッズもホームで試合をするわけだから、「絶対に負けたくない」という気持ちでくるだろうし、簡単な試合にはならない。お互いがそういう思いでぶつかるわけで、面白い試合になるだろう。ドルトムントはドイツを代表して、ブンデスリーガを代表して日本に来るわけだから、ドルトムントがどんなプレーをするかを見てほしい。

 
リッケン:何よりまずは新しい監督に注目してください。新たに就任する監督にとってはおそらく浦和レッズ戦が初陣になるはずだからね。監督が代わったことで、当然選手たちもまた自分たちをアピールする場になると思うし、全力でプレーすると思う。浦和も全力でぶつかってこないと、簡単に我々には勝てないだろうし、お互いが全力で戦う試合になるだろう。
 
1965年9月16生まれと1976年7月10日生まれにしては若い

駄菓子歌詞、男だって劣化するんだよの証明でもある




男女両方、元の顔が可愛いと、経年劣化目立つ
リッケンなんて

経歴

1993年にボルシア・ドルトムントに入団すると、1994年3月8日の対シュトゥットガルト戦で最年少記録となる17歳という若さでブンデスリーガデビューを飾った。1996-97シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、対ユヴェントス戦では途中出場から16秒後にファーストタッチで見事なループシュートを決め、チームのタイトル獲得に貢献した。これらの活躍により将来のドイツ代表を背負って立つ逸材として注目を集めた。

1997年10月10日のワールドカップ予選の対アルメニア代表戦で代表デビューをするも、度重なる怪我により、ワールドカップ・フランス大会、EURO2000と2度のビッグトーナメントに出場する機会を逃した。クラブでも2000-01シーズン途中には、ポジションの重なるロシツキーが加入。2001-02シーズンは、ロシツキーアモローゾ、コレル、エベルトンを中心とした攻撃陣で優勝するも、彼自身は、途中出場や一列下がったポジションでの出場が多くなった。ダイスラーの怪我もあり、ドイツ代表としてワールドカップ・日韓大会代表に選出、同国は準優勝するも、リッケンはピッチに立つことなく大会を後にした。

2007年4月にトーマス・ドルにリザーブチーム行きを命じられ、同年の11月に現役を引退すると発表したものの、現役復帰を目指し、2008年2月にMLSコロンバス・クルーのキャンプに参加した。しかし、数日でドイツに帰国することとなった。

周囲の過度な期待や怪我などの影響もあり、伸び悩み、期待されたほどの結果を残すこと出来ず、2008年11月に正式に現役を引退することが発表され、併せてボルシア・ドルトムントのユース・コーディネーターに就任することが発表された。

Wikipediaラース・リッケンより引用 )

あのファーストタッチでのゴールに、一生分の運使い果たしたとまで




運に恵まれないといえば、準優勝のユーベもか




「白組つよすぎー!」
今日の午前3時半にメール飛んで来た




セリエA:33回
1905, 1925-1926, 1930-31, 1931-32, 1932-33, 1933-34, 1934-35, 1949-50, 1951-52, 1957-58, 1959-60, 1960-61, 1966-67, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1976-77, 1977-78, 1980-81, 1981-82, 1983-84, 1985-86, 1994-95, 1996-97, 1997-98, 2001-02, 2002-03, 2011-12, 2012-13, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17(カルチョ・スキャンダルにより2004-05, 2005-06のスクデット剥奪)
UEFAチャンピオンズリーグ:2回
1984-85, 1995-96
何回決勝進出したか忘れるほど進出してるのに、欧州制覇少な過ぎる
初制覇はヘイゼルの悲劇とあって、嬉しくない戴冠となった
3年連続決勝行って、1995-1996に優勝し、1996-1997と1997-1998に敗北の連覇達成した




今年は準決勝まで3失点のみなのに、決勝だけで4失点ってワロタ~
アタシ以上にワロタの、前のレアルvsユーべ決勝ではユーベ選手だったジダン
白組と薬屋レヴァークーゼンによる2001-2002決勝で決めたボレーに、戴冠への執念を感じた
白組が現行大会初となる連覇達成し、ベイルが母国ウェールズで錦を飾れた
面白くないものの、ユ-ベが情けないにも程があるという方向にしとく
バルサとの一昨年決勝、1-3で泣いたけど、互角に戦ったと思うだけに腹立つわ~




記事題名の意味
「清々しいほどのバカだった、巨大掲示板伝説の92
自分がバカを最後に理解したので、未来永劫、伝説であり続けるのって超恥ずかしい罠」