mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

戦争の忘れもの

寝起きボケの頭に一つの記憶がスーッと浮かんで来た
検索してみると、ちょうど5年前、2011年1月26日のYahoo!Daysがヒットした
Yahoo!内外の過去の記事や日記を加筆修正して改訂版を作れとのお告げかい?」
用事も無いので書いてみる





1945年11月15日にノルウェー北部ヌールラン県のバランゲンに生まれる。父親はナチス・ドイツの軍曹で母親はノルウェー人だった。当時ナチスドイツ統治下のノルウェーでは、レーベンスボルン計画の一環として、ドイツ人男性とノルウェー人女性の性交渉を奨励しており、それに伴うものだった。戦後、ナチス・ドイツの協力者の多くは弾圧にさらされたが、 これを恐れた母はまず祖母とフリーダをスウェーデンに移住させ、自身はノルウェー南部に逃れ、その後合流したが母親は21歳で病死した。しかしスウェーデ ン移住後も伯父・伯母たちとは親密に交流を持ち続けた。夏休みの度に彼らの元に温かく迎えられたという。一方父親に関しては戦死したと聞かされて育った。 フリーダが父親と再会したのはABBAが世界的に大流行した後、1977年の事だった。フリーダの出生のいきさつが西ドイツの雑誌に載り、両親の名前が書かれていたことから、それを読んだ異母弟によって実の父の生存が知らされたのだった。

Wikipediaアンニ=フリッド・リングスタッドより引用 )





レーベンスボルン計画(Lebensborn)とは?
ナチス親衛隊(SS)が設置した母性養護ホーム、福祉機関
ドイツ民族の人口増加と「純血性」の確保を目指した
「生命の泉」または「生命の泉協会」と訳される事が多い





イメージ 1

1992年頃、《ワルツ堂 堂島店》に出入りしていた鉤十字研究好きのおっさんから貰った本
古本屋ウロウロ中、アタシのために買ってくれたの
どちらも読んだのは、1999年12月中旬以降
モノ探ししている時、おっさんの入れてくれた封筒を拾い出して
Lebensbornを見た時は、「灯台もと暗し…」とコケた




【テーマ】この曲、何度でも聴けます!(2010年1月22日)
FC2別館記事【戦争の忘れもの】三部作を1本にまとめた中の欧州編
ここに書かれているのが、Lebensbornなんだけどね






‘金髪のヨハネス ナチにさらわれた子供たち’
1997年4月6日BS-1初回放送観て以来、参考資料を探し続けていたのよ
すぐ近くにあるとも思わずに、2年半以上も本屋巡りしちまった…




1998年夏頃、たぶん戦争特集番組多い8月に、再放送あり
その時にVHS録画し、余った部分に録ったのが







何度観てもアタシにゃ難解な、アラン・レネの‘夜と霧’
ヴィクトール・E・フランクルの‘夜と霧’の方は、いつ頃買ったかも忘れた
アタシの持ってる版の奥付を見ると、『1988年6月10日 新装第9刷発行』
1990年代初頭だとは思うわ




前置きはこの辺にしといて




Lebensbornも、二種類に分かれる
誘拐のケースは、ドイツ化洗脳教育であった
結果、戦後の禍根は…
帰郷出来ても、違和感を引きずり続ける
訛りから明らかにバルト系の出自、でも自分の名前がわからぬままドイツ暮らし
一度対面だけでもの実の両親に対し、養父母とともに防戦のみならず、「何よ、あの人たち」と偏見の日々
これらに比べたら…
フリーダは産めよ増やせよ計画生まれの中でもとりわけ幸運な一人と言えよう
日本的感覚から見ると公表憚られる出生の秘密を堂々と話せる土壌も然る事ながら
母方に邪魔者扱いされず、父方にも受け入れられたんだものね




17分後の次記事へと続く