mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

箴言が静かに流れる深い河

昨日記事のルツ記解説の中に
「『貧しい人や在留異国人のために、畑に落ちた麦の穂を畑の持ち主は集めてはならない』
このモーゼ律法が、貧しい在留異国人であるルツに使える」




モーゼ、ね…





モーゼとアロン(Moses und Aron)は、アルノルト・シェーンベルク作曲の未完のオペラ。

十二音技法によって書かれ、1つのセリー(音列)が基礎になっている。単一のセリーでオペラを書いたことはシェーンベルクには1つの誇りであったようで、エッセイ「12音技法の作曲」の中で「私は1つのセリーで1曲のオペラを作ることができる」と述べている。

Wikipediaモーゼとアロンより引用 )




12平均律にあるオクターブ内の12の音を均等に使用する事により、調の束縛を離れようとする技法
んなもん、聖書以上に意味不明じゃ~

聖書と十二音技法のコンポ作品なんて、アタシにゃWの悲劇ww




モーゼで理解可能なのは








新聞死亡欄を毎日チェック、亡夫の遺産タンマリ相続した後家さんがターゲット
聖書を巧妙に売りつけ、小金を稼ぐ詐欺師の名前が、Moses "Moze" Pray
『モーゼの祈り』、何とも人を食ったようなネーミングである
口下手のモーゼに押し売りで儲けガッポリ踏んだくれるのかねと思うが、果たしてその通り!
亡くなった元カノの遺児アディちゃんと組んだ途端、商売繁盛してカネ回り良くなった
アディちゃんは、ヤバイと見た相手から撤退する能力も然る事ながら
お人好しBBAには手加減せず、聖書の値段を釣り上げ、「お嬢ちゃんにはお小遣いね♪」とお布施まで頂戴する
小さな女の子って腹黒かろうが、純情なオトナ騙くらかすにはチョロイ存在証明だけど
mathichenさんは聖書に強い知り合いと二人して、「このコが、口下手詐欺師にとってのアロンかよ…」





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‘映画と聖書―聖書がわかれば映画がもっと面白くなる’




聖書というと、キリスト教徒(もしくはユダヤ教徒)でなければ日本人にとっては無縁の長物と思われがち
海外の、いや日本にも、映画・音楽・文学には、聖書の知識を必要とする作品がたくさんあって
知識が無いと、作品の根底に流れる本質を見落とし、作者の意図を理解出来なくなるのにさ




「聖書を学ばずして、西洋を語るなかれ」
そんな風に、太宰治が何かの作品締めくくり部分に書いていた

イスカリオテのユダを主人公とした視点で、イエス・キリストに 対してどういう感情を持っていたのかを述べるという形式を取っている。全体としてはイエスの薄情や嫌らしさを訴える内容となっている。しかしその実質は、 自暴自棄になったユダの愛と憎しみがないまぜになって、どちらがどちらか本人すらすでに判別つかなくなり、混乱しながらも悲痛に訴えているというものであ る。ユダがどこに駆け込んで誰に訴えかけたのかは、明らかにされない。

太宰は「姥捨」において「ユダの悪が強ければ強いほど、キリストのやさしさの光が増す」と記している。

Wikipedia駈込み訴えより引用 )

出だし部分で早くも、「ちょ…イスカリオテのユダ君かい」
最後の自己紹介乙部分では、「ユダ君が主人公とは、こりゃ世界屈指の傑作だわ~」
聖書を枕にして睡眠学習するような成育環境に於いてさえ
テンプレ通りの、つまり一般常識の決まり切った教育の刷り込み故に、なかなか浮かばんネタじゃん
太宰のおっさん、どんだけ柔軟な脳ミソを持ち、聖書やイエス・キリストに関する勉強したんだろうねと感心した




マスメディアに氾濫する情報鵜呑み度ランキング上位国である日本の皆様
エラソーな対外感を述べる前に
「聖書を知れば、世界が知れる。世界を知れば、日本の位置付けと存在価値が知れる」
グローバル社会に必須の教養としての聖書を紐解くのが先決じゃないですかね




(オマケ)
『Marian Anderson - "Deep River" (Spiritual) 』
https://www.youtube.com/watch?v=2bytFrsL4_4