mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

『自分の中の他人、他人の中の自分』への見識眼や認識力

1945年8月から、70年目の夏を迎えた
個人的な節目感覚は、25・50・75・100…の周期であるけれど
2020年にアタクシとYahoo!の存命保証無いので、2015年で手を打つ




【『歴史』と『物語』は表裏一体】(7月30日)
この記事に出来れば、アタクシの得意芸である、自分で自分へのトラックバックしたかった
飛ばしたい記事がアメブロ別荘記事であり、アメブロは現在トラックバック機能持たないため諦めた
だったら、Yahoo!本館記事にするまでよ
オリジナル投稿は、2014-11-23 15:34:00
原題:【理解と信頼を得たければ、「自分の中の他人、他人の中の自分」を見抜く目】
原文そのままです




「自称:『独逸乙女』。それも、ドイツに同化したユダヤ系じゃねーかと思ってる」
ドイツどころか海外行った事無いのに言い張る根拠を読み取って頂けたら幸いです



元サッカー西ドイツ代表、Jリーグでも活躍した、ピエール・リトバルスキー
日本へ単身赴任の格好から妻子と疎遠になり離婚、その後、赴任先で知り合った大和撫子と再婚した
日本語が流暢であり、サッカー番組のトークや解説などでは日本語で話す事が多い
2004年12月16日キリンチャレンジカップ日本vs.ドイツ
翌17日、ドイツ応援に出かけた横浜から高速バスで帰ったmathichenさんが、VHS録画観る時
五月蠅いテレ朝大応援団による主音声を無視し、リティ登場する副音声を聴いたのは当然至極の話
リティの日本語、本当、感動物、同じチビながら胴長短足ニッポン人が太刀打ち出来ないと断言する
「自分の妻に、息子の妻を指す『嫁』を使うのは、話の流れにより許容範囲であるが
全くの第三者からの呼称である『奥さん』と書くAhoo!ブロガーの類となると
愛妻家やオサレのつもりだろうと、何やら不道徳なモノを感じる」
「妻は妻で、自分の子供に『○○してあげる』など、親は子供の奴隷じゃないを知らんノータリン小娘」
「夫婦揃って、『奥サマ』『旦那(夫)クン』、恥性と狂幼を感じるのみ」
どちら様も胸に手を当て思い起こし、リティの日本語と擦り合わせてみるべし
言葉の正確性は言うに及ばず、温かい人柄の意味での体温を感じ取れる
自画自賛すると、或る人の「マテ姉さんの書く言葉って、体温が伝わる」と同じだ




フランスのアルト歌手が10数年前、日本の音楽雑誌インタヴューで、フランス語歌唱について
「母国語、使い慣れた言語が一番、知ってるつもりの油断からミス犯しやすいものです
従って、私にとって一番難しい言語は、フランス語です」
彼女はドイツ語歌唱にも定評あるが、外国語は距離が置け、その言語を客観的に研究出来るからである
リティの流暢な日本語も、一から学ぶ外国語故に、日本人が見落としがちな諸々が見えるのだと思う




韓国人がハングル文字使用、それは、やたら数多い漢字のみ使用の煩雑さを解消するため
こういった例は別にして、一つの言語に複数の文字使用する文化は遅れている
漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、ついでに絵文字の日本語は、さて?ハテ?
上3行を、二人の日本人が指摘し、mathichenさんも同意する




複数文字使用する国の知的水準はさておき、現代ニッポン人の知的水準は怪しくなるばかりなのは事実
平成の生まれや育ちが半数占める会社の経理部オバちゃんによれば
「平成育ちの子が書いた漢字を見て、『こんな漢字あった?』
その子は昭と書いたつもりなのだが、どこかオカシイの
よく見ると、日が部首:にち・ひ・ひへんじゃなく、刀と並んで口の上に書かれていた
『昭和の昭なのに、わからないの?』と聞くと、『昭和なんて使う機会無いですからね』だって」
昭和、大正、明治、元禄の類は、使う機会以前に、常識の世界なのにね
フランスで「ブルボン朝知らない」、英国でハノーヴァー朝ウィンザー朝の関係性知らないを
フランス人と英国人が言えば、無教養が露呈、知性を疑われ、「国を出て行け」と嘲笑される
想像力養う情操教育が、あてがいぶちのお受験勉強教育環境には無理な相談と思うものの
現代の諸々が唯一無二とばかり、『温故知新』すらしようとしないなんて聞くと
昭和生まれでも平成に成長期迎えた世代を含め、知的好奇心欠如が増えた末世を感じる




昭和に興味無いを言うなら、死んでも歴史認識云々を口にするなが本音だ
昭和を無視しといて、正しい歴史認識も何もあったもんじゃないっての
正しい歴史認識自体、日本人に都合のいい物事を取捨選択する、怪しげなものだけどね
「事実は一つであるが、真実は一つと限らない」
同じ物事が、所変われば見方が180度変わる事もあるという意味よ
鉤十字の歴史を背負うドイツが隣近所に、本音は「お前ら黙れッ」だろうが
掴み合いしながらも歴史教科書を隣近所と共同製作するのは、二度と間違い犯さないためである
日本はあくまで世界の一地域であり、他国と接点持てばこそ存在し続けられるを知らぬ、お山の大将
主観性に満ちた絶対唯一の歴史認識なんて、鵜呑みにするのが異常であるを知れ
事実が間違っていなくても、複眼思考してから意見を述べるべきなのよ




昭和に起きた戦争といえば




世界広しと言えど、特攻隊の発想持つのは日本だけ
世界の常識は決死隊であり、決死隊というのは死を受け入れる覚悟決めるも、生き残るが前提
彼らから見れば、捕虜の身分を恥として自決する世界なんて意味不明な話である
「戦争の結末如何に関わらず、戦後を担うのは、若い世代だから
特攻隊には、国の未来を背負うべき世代でなく、年寄り世代が自ら進んで行け
若い世代を送り込む事が、本気で戦争に勝利するつもりならば払うべき犠牲じゃない」
特攻隊員の悲劇は、実際に出た犠牲のみならず、「世界の常識知らず後進国に生まれてしまった事」
特攻隊を認めるとしても、特攻隊の在り方がそもそも間違っているに気づくはずだ
特攻隊を生んだ土壌、日本の愚かさを看過する
事実は正確であろうとも、事の本質を見誤れば、永遠に進歩しないゼロ地帯
涙ウルウル目で映画館出て来る連中は無意識ながらも
日本の犯した間違い、そして戦争を肯定するに等しいのが理解出来んのか
東京五輪招致お涙頂戴偽善プレゼンに感動出来るほど、人の情を何か間違えている、涙腺弱い国民性
…当たり障り無い心地良い言葉にしか耳を傾けないご時世には馬の耳に念仏か
ふと気づいた時には、自分の息子や彼氏が徴兵される時代が再びかもしれない空気読めないのやら…




そう考えれば、腐っても大国の余裕が、国民の人柄にも反映される?





太平洋戦争最大の戦闘とされる硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側視点の作品である。硫黄島での死闘と戦場(摺鉢山の山頂)に星条旗を打ち立てる有名な写真「硫黄島星条旗」(Raising the Flag on Iwojima)の被写体となった兵士たちのその後などが描かれる。2006年10月に開催された第19回東京国際映画祭においてオープニング作品として 上映されたのち、10月28日に全国公開された。同年12月に日本側の視点で描いた『硫黄島からの手紙』が連続公開された(ただし、この連続公開は日本とアメリカにおいてのみ)。

戦闘シーンの撮影は、アイスランドのレイキャネスで行われた。硫黄島のような黒い砂浜を再現でき、大がかりな土木工事や大砲・銃火器の使用許可といった困難な条件を克服できる貴重な場所であった。

日本のテレビでは『硫黄島からの手紙』がゴールデンタイムに放送されるが、この作品は『硫黄島からの手紙』放送前に深夜枠でしか放送されていない。

Wikipedia:『父親たちの星条旗』より引用 )


監督は当初、日本人を起用する方向だったが、前作『父親たちの星条旗』を撮影中にイーストウッド本人が自らでメガホンを取る意思を固めたという。資料を集める際に日本軍兵士もアメリカ軍兵士と変わらない事がわかったというのがその理由である。

Wikipedia:『硫黄島からの手紙』より引用 )





公開当時、知り合い曰く




「自分にとって外国を舞台に描くのは、客観性を確保出来る
ただ戦争物の場合、登場人物の置かれる環境をよく調べ、公平性保つ必要を忘れてはならない
硫黄島からの手紙’を撮る難しさは、日本の敵国が、イーストウッドの母国である事
1930年に生まれ、まだ少年期に起きた戦争を『正義の戦争』と見ても不思議じゃなかった
何らかの葛藤は覚えたと思う」
「‘父親たちの星条旗’は硫黄島以上に難しかったはずだ
自国を襲った悲劇であろうと、情に流されず客観的に描かねば、公平性に欠ける恐れ持つからね」
硫黄島星条旗双方を観た一般日本人はどれだけいるだろう
二個一の作品であり、片方しか観ないのは、公平性に欠け、監督の意図が見えないと思う
監督がアメリカ人ながら日本をよく調べたとか、そんな事は大した意味を持たない
どちらの作品も、イーストウッドが撮らなければ、成功しなかった
自分が何国人に捉われない、アメリカ人と日本人双方の視点で考えようとする複眼思考の勝利
日本人の何人が理解出来るだろうね」




硫黄島はゴールデンタイムに放送されるが、星条旗硫黄島放送前に深夜枠でしか放送されていない
現代ニッポン人に公平性なんて求めるのが間違いだって
大多数が理解不能だから、許容範囲超えたオカシな日本語で受け売り差別を書き殴る時代なのよ
「我々はもう西洋文化の影響受けない世代の日本人だ」?
日本は実質的に、アメリカの属国ですけどぉ。あ、お受験必須学校じゃ教えてくれない?
家電製品やファーストフード、コ○トコに囲まれながら、頭に虫湧いてんのか
そんな程度だらけのね



元記事に、いいね!45個押された
ペタ同様、挨拶代わり、自分ブログへの誘導なども含まれよう
それでも大半が、冷静に推移を見通す目を持って国の未来を憂慮する日本人と信じたい




池田理代子先生の短篇漫画‘真理子’(1971年)
『個』だけが大事なお気楽女子高生に、突如原爆症に苦しむ人々との関わりにより、『公』としての意識が芽生え
「自分は何をしたらいいか、『個』が『個』であるためにどう『公』と関わるか」を考える事に目覚める
覚醒のきっかけ作った家庭教師を、危険思想の持ち主と見た母親が解雇したを知り、抗議すると
戦中育ちの母親は「皆お国のためにどれだけ苦労したか、何も知らないくせに」
実の所、大本営発表を鵜呑みにし、自分で思考する事無かった母親こそ、本物のお気楽少女だった
(戦時下や特殊な環境に於いて、ある程度仕方ないとは思う)
そんな母親に、真理子は「大人が教えてくれないなら、どうやって、誰を信じ、身を守る術を学べばいいのか?」




大人が間違いを犯せば、子供たちの未来がどうなるかの例として、【ドイツ家族の肖像】(2010年1月24日)




‘ヒトラー~最期の12日間~’(2004年)
ゲッベルス宣伝相の娘の場面以上に暗鬱になるのが
エルンスト・ギュンター・シェンク親衛隊大佐が、少年兵みたいな若い兵士を諭す場面
劇場公開版にあったかはすぐ思い出せない、DVDに収められた3時間くらいの長尺版には確かにある
「戦争の結末如何に関わらず、戦後を担うのは、若い世代だから
特攻隊には、国の未来を背負うべき世代でなく、年寄り世代が自ら進んで行け
若い世代を送り込む事が、本気で戦争に勝利するつもりならば払うべき犠牲じゃない」
これと似た主旨をね
祖国壊滅と死の恐怖に脅えながらも忠義無双が勝り、口中に発砲した少年兵を見て、大佐は肩を落とす




「大佐の行った人体実験その他を考えると、彼の非人道的問題は赦されないけれど
総統官邸地下壕にて、心酔していたヒトラーの状況を見て愕然
しかし医師としての観察により、ヒトラーパーキンソン病に罹患していると判断したのは、興味深い」
と合わせると、極限下にも冷静な思考可能がわかるんじゃないの?




いまだ覚醒出来ない人たちであっても、自分の意志一つで、成長可能なのよ