mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

運命と死の戯れ~深き淵より~

26年前の今日、1985年8月12日
 
 
 
 
 
 
 
 
日本航空123便墜落事故、いまだに謎の多い事故ですね
犠牲者・遺族も、生存者も、無念の極みでしょう
 
 
 
 
 
 
 
 
来歴・人物 
京都帝国大学工学専攻卒業後、1947年に阪神電鉄へ入社し、阪神土木工業(子会社)の専務、阪神電鉄専務取締役を務めた。土木・技術畑出身で、、阪神電鉄グループ関連の建築物以外にも国内の数々の大型建造物やレジャー施設の建設にも関与していた。
 
1984年の10月には、子会社であるプロ野球球団・タイガースの球団社長へ就任したが、元々野球のことにはあまり詳しくなかった。しかし、中埜は「タイガースのことを知っておくのも本社役員としての任務」と考えており、球団社長就任後は家に帰れば必ず全テレビ局のスポーツニュースを視聴して、翌朝は全てのスポーツ新聞に目を通すなどして野球について猛勉強した。そして、ホーム球場、ビジター球場を問わず頻繁に訪れ、かばんの中には常に応援歌『六甲おろし』の歌詞コピーを入れて「みんなに歌ってもらおう」と周囲の人に配布したりしていた。
 
球団内の事に関しては基本的に球団代表の岡崎義人に任せ、自らは管理者に徹していた。また、ビジター球場(もしくは地方主催球場)にも自ら訪れて試合終了後に選手一人一人を労っていた。
 
事故前夜と当日
事故前日の1985年8月11日には、タイガースが福岡市の平和台球場で地方主催試合(対中日戦)を行っていたため、中埜本人も福岡まで赴き、この日もロッカールームに戻ってきたタイガースの選手一人一人と握手を交わし、選手を労っていた。
 
翌8月12日は、東京都新宿区霞が関運輸省で民鉄協の会議があったため、当時阪神電鉄社長でタイガースのオーナーも務めていた久万俊二郎の代理で東京に赴いていた。そして会議終了後の帰阪の途で日本航空123便墜落事故に遭い死去(阪神電鉄常務取締役の石田一雄も同行しており、石田もこの事故の犠牲者となった)。タイガースの21年ぶりの優勝を目前にしての死であった。
 
選手・関係者の反応
事故当日、11日の平和台球場での対中日戦を終えたタイガースナインは、13日から行われる後楽園球場での試合に備え、中埜よりも遅れて東京入りした(実はこの時にナインが搭乗した飛行機こそ、事故機・JA8119の遭難直前のフライトである福岡発羽田行366便だった)。そして都内の宿舎に到着して間もなく、テレビで日本航空123便墜落事故の緊急報道番組を目の当たりにし、直後に中埜がこの事故機に搭乗していたことが関係者から告げられた。
 
中埜及び石田の事故機搭乗に大阪市阪神電鉄本社、及び阪神球団関係者は大きな衝撃を受けた。選手達も例外ではなく、翌日の対巨人戦から阪神は6連敗を喫して一時は首位から陥落したが、「(亡くなった)社長のためにみんなで頑張ろうと、ナイン全員と首脳陣が誓い合った結果が再結束に繫がり、優勝に繋がった」と後に吉田義男(当時の監督)や掛布雅之真弓明信川藤幸三たちも語っている。
 
事故発生から4日後の8月16日の夜に家族により遺体が確認されたが、遺体の損傷はかなり激しかったため、歯型と着衣でようやく本人の遺体であることが確認できたという。そして、翌17日に遺体は荼毘に付された。
 
その17日は広島市民球場で対広島戦の試合前に両球団の選手・首脳陣全員による黙祷が行われ、スコアボード上の両球団旗を半旗にして試合を行った。
 
1985年10月16日、阪神タイガースが1964年以来、21年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした際、渡真利克則が捕球したウイニングボールが、中埜の霊前に手向けられた。
 
Wikipedia:『中埜肇』より引用 )
 
エピソード
夫人は阪神球団社長(当時)の中埜肇が搭乗して犠牲になった1985年8月12日の日本航空123便墜落事で当便に搭乗予定だったが、直前にキャンセルしたために難を逃れたという逸話を持つ。
 
Wikipedia:『木戸克彦』より引用 )

 
 
 
絶対的エースの見当たらない優勝でも。引き分け決着での優勝でも
ムッシュ吉田の十八番である『チーム一丸』が実った瞬間でした
中埜社長も遠い空の向こうから喜んでくれたに違いありません
 
 
 
 
1人だけチームに帯同しなかったおかげで、『スペルガの悲劇』を免れたサウロ・トマ
半世紀以上経ってもチームメートの夢を見るほど
相当以上の精神的ダメージを引きずったようで
海空陸事故生存者は概ね、「何故、自分が?」と罪悪感を抱く
乗務員生存の場合、「乗客が死んでるのに、お前が生き残りやがって…」と誹謗中傷の恐怖あり
 
 
 
 
 
この記事題名は
 
 
 
 
 
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第6章、第9章の題名をくっつけたものですが
 

 

第9章の締めくくり部分、この本の幕切れ部分に書かれてある
「かくも悩んだ後には、この世界の何ものも……神以外には……恐れる必要はない」
そうであればと思い
まあ別に神さんである必要はなく、未来は誰にも予測不可能さえ恐れたら
 
 
 
 
赤十字のトラック』(言うまでもなく、偽装)に乗ったがために、選別すらされず煙突からの煙もいれば
収容所への移送列車に乗り込む寸前、「友だちだから」と鉤十字に引きずり下ろされたのも
 
 


自分とは無関係だ、対岸の火事だ、自分の身には起こるはずねえってばさ
そんな手合い、いとも痛点ゼロな人種には
他人の厳しくとも意味ある言葉に耳を傾けないコドモ連中には
人生なんて一瞬にして崩れ去る要素わんさか、再起するには個人の力だけでは到達困難もわんさか
生きる事の厳しさをぜひとも思い知らせたいですけどさ
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
昨年の今日アメブロ別荘で書いた記事に加筆修正したものです
 
 
 
 
珍しくコメントが入り、本館版の追記としておきます
 
 
 
 
 
1 ■無題
飛行機は人類の英知を感じることができる乗り物なので大好きなのですが、毎年この事故を思い出す度に、人の愚かさ・はかなさを覚えずにはいられません。今からでも事故原因を徹底的に調査してほしいですね。
 
ぜのん 2010-08-18 10:35:37 
 
2 ■>>ぜのんさん
日航は羽田沖逆噴射から3年半で、御巣鷹山事故と、墓穴掘りました
異常発生から墜落まで30分以上。遺書残した乗客いる
世界的に見ても特異な航空事故だと思います
昔と比べたら安全でも、後世への教訓にするため調査必要ですね
 
mathichen 2010-08-18 16:02:56