昨日記事の続きを少しばかり
監禁生活から救出当時のジーニー、言葉は自分の名前と「Sorry(ゴメンナサイ)」しか認識出来なかった
娘に決して話しかけなかった父親だが
叱責したりする時には娘の名前をび、娘は虐待の恐怖から「Sorry」の認識みたいな意味かしらん
次に
映画公開当時、単独インタヴューか記者会見での質問に対し、涙目になったフランソワ・トリュフォーだけど
「少年を無理矢理文明社会に順化させるのではなく、森に帰すのが彼の真の幸福では?」
記者の指摘が正しいでしょね
というのも、昔々、アフリカのどっかで
ガゼルの群れに野生児がいて保護された
何歳くらいの少年だったかしらん、とにかく年齢高く、そして完全にガゼル化しており
今更人間として教育を受けさせられ、その後一生四苦八苦するより、ガゼルの家族と一緒に過ごすのが「幸福だ」
発見した学者が慈悲深く、一通り調査した後は仲間達の所へ帰してやったそう
『野性の少年』に描かれるヴィクトールは、イタール博士の許で人間になるための困難な道を歩み始めるも、ある日逃亡した
しかし人間的感情を身につけてしまった所為で、一人ぼっちで自然にいることは耐えられなかった
惨めな様子で博士の許に戻り、博士は自分の行って来たことの成果を今度こそ確信し
その時から、また博士とヴィクトールの新たなる勉強が始まった
ところで、史実の博士とヴィクトールは、5年の養育期間の後
博士が、ヴィクトールの爆発的な発作に手を焼き
また言語を習得出来ないことから少年の社会化は不可能として野生児の教育を諦めた
その後のヴィクトールは世話役のゲラン夫人に託されひっそりと暮らすようになり、1828年に推定40歳で死去した
「アヴェロンの野生児」には、治療の見込みの無い知的障害児、自閉症など、様々な解釈が挙げられる件は置き
捕獲当時11歳から12歳程度だったとされるヴィクトールはもう、人間の形してるだけの野生動物でしょ
発見された時、人間界で一時的に保護されたとしても
ラスカルのように、猟師に見つからない森の奥深くへ帰すのが、野生児の幸福なんじゃね
『ガラスの仮面』劇中劇『忘れられた荒野』
これの結末、綺麗なドレス着せられたオオカミ少女ジェーンが機械的に「ワタシは、人間です」ちゃうかった(・・?
ある程度人間化するも、しかし完全な人間になれるわけじゃない
そして、仮に逃亡を試み成功した所で、野生を離れたら「お前は、人間」としてオオカミ達から二度と信用されなくなる
そういうもんだよね
現実にも
12年オオカミに育てられた男…人間に捕獲された末路 - YouTube
まだ7歳でたった数週間の間に山で生きる術を覚えたという事は 頭のいい人だったんだと思う。
人間社会って嫌だって思うところばっかり味わってしまったんですね。
血を分けた息子を平気で捨てる父親よりも種族が違うのにロドリゲスを育てた狼の方がずっと素晴らしいと思えました。
狼は警戒心が強く、さらに子育て中ならなおさら、人間を襲ってその肉を子供達に与えても不思議ではないのに、
ロドリゲスさんを受け入れたことが素晴らしい。
しかし、最終的には人間社会にも狼の世界にも居場所を失い、仲間もなくしてしまったことが、とても悲しい。
そして、彼の人生を狂わせた父親が憎い。
急に人間社会に戻されても順応するの大変だし、完全な野生動物になれる訳じゃないし、辛いよね。
やっと故郷に戻れて遠吠えしても仲間は二度と受け入れてくれなかったなんて…泣いちゃった。
なんて理不尽な人生なんでしょう。
7歳まで人間として生活しており、完全なオオカミになれるわけじゃない
それでも、対等は生き物として接してくれるオオカミ達と生きることこそ
同じ人間を平気でを騙したりする世界で生きるより幸福ちゃうん
「ボーン・フリー Born Free~野生のエルザ主題曲」マットモンロー Matt Monro ジョンバリー John Barry - YouTube
ボーン・フリー [歌詞和訳](映画「野生のエルザ」テーマ曲)マット・モンロー:Matt Monro – Born Free | マジックトレイン・ブログ