ちょいと必要あって検索掛けたのが
『「NHKイタリア歌劇団」 (イタオペ) は 永久に不滅です』
昔々大昔、1956年から1976年まで
NHKが指揮者、演出家、ソリストを本場から招き、8次に亘って行われたイタリア歌劇団公演のことで
「昭和の黒船来航」を指す
所蔵資料 - ベルリン・ドイツ・オペラ〔1963〕 プログラム | 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
1963年秋のベルリン・ドイツ・オペラ日本公演が、海外歌劇場丸ごと民族大移動した最初
その数年前に歌手のアンサンブルが来たウィーン国立歌劇場の民族大移動は1980年まで待つこととなった
今じゃ珍しくなく有難味減ってる海外歌劇場日本公演が夢のまた夢の昭和中期に
レコードでしか聴けないクラシック界大物の指揮者やオペラ歌手が向こうから勝手に日本くんだりまでやって来るなど
戦後10年そこらなら黒船来航みたいなもんだ罠
迎える日本人聴衆にすれば、感謝の印として、NHK受信料を欠かさず、徴収される前に納め続けてると思うw
海路でなく空路でやって来るも、極東があまりにも遠隔地なので、疲れて「まだか」とパンツ一丁で質問したのが
70年近く前の航空機内に快適なエアコン効いてへんからかいw
イタオペ実現の貢献者、それは
戦中のウィーン国立歌劇場専属歌手の印象強いが
...ノーニは音楽マネージャーのアントニオ・ショーヤットと結婚し、
1955年にのちにソプラノ歌手となるティツィアーナ・ショーヤットを産んだことを機に一度現役を引退する。
記憶に間違い無けりゃ
大物歌手のギャラが高額となり過ぎないよう配慮してくれたそう
いや真面目な話、録画や録音が残るイタオペで、その2名の共演実現させてくれてあざ~す☆が挙げられるんよ
https://www.youtube.com/results?search_query=otello+1959
Mario del Monaco & Titto Gobbi - Cio m'accora .OTELLO. (live Tokyo 1959) - YouTube
...現代よりもはるかに厳格な専属契約がゆえに、レコーディングでは他社の魅力的な歌手とは共演できなかった。
それゆえ、レコードによってはデル・モナコだけが突出し、他が明らかに見劣りするレコードがあるのは否めない。
後述のイタリア歌劇団による『オテロ』のライヴが、ある意味『奇跡』と言われるのはそのためである。
共演したティート・ゴッビはEMIの専属だったからである。
デル・モナコはDeccaの専属
ライブ、TVのどちらでもリアルタイムで聴けた日本の聴衆は今頃、認知症発症しながらもNHK受信料納めてると思われるw
アタシゃ年齢的に、1976年に行われた最後の第8次すらリアルタイムで知らない
1994年にBS放映された、モノラル音声のカラー映像にFMのステレオ音声くっつけた1973年第7次で初めて観た
グノー『ァウスト』のみモノラル音声それは多分、FM音声が映像と別の日の収録だからでしょね
1973年第7次で何がウケると言って
基本セコンダ・ドンナ、二番手、プリマ・ドンナであるソプラノの影踏むなやのメゾ・ソプラノとあって
その機会なかなか訪れない「アテクシが主役よー👸👑」
Fiorenza Cossotto - La Favorita - O mio Fernando - YouTube
1971年第6次でのドニゼッティ『ラ・ファヴォリータ』では、主役だもんで
動画終了後の場面、歌唱は確かに素晴らしいものの、お人好しの日本人聴衆が拍手喝采に盛り上がり過ぎた結果
最初は澄ました顔の口元が徐々に緩み、「ニッポンの皆様芸術わかってるわね~」とばかりの喜色満面ぶりをw
それで味〆たのか知らんけど、2年後
Fiorenza Cossotto - Aida - Judgement Scene - YouTube
これの題名役を、キャリアも体型も大物のモンセラート・カバリェが歌うはずが病気でか降板し、地味な歌手が登場した
結果
拍手喝采ともかく、そこカーテンコ-ルやる場面ちゃうがな
当時「この舞台は『アイーダ』じゃなく、『アムネリス』だ」と評した人に、ちょいと山田君、座布団希望枚持って来てw
ところで1973年第7次には
O sole mio von Josè Carreras – 12.04.2022 - YouTube
白血病から生還30数年、後期高齢者になってもまだ歌ってるホセ・カレーラスが
メッチャ可愛い26歳で日本デビューを飾った
この時黄色い声上げたねーちゃん達もまた、自分自身後期高齢者になろうとカレーラスに忠誠誓ってるから恐ろし屋w
カレーラスと言えば
"O Sole Mio" Pavarotti, Carreras, Domingo - Rome 1990 - DVD quality - YouTube
2023年現在、ルチアーノ・パヴァロッティは草葉の陰に、プラシド・ドミンゴはバリトンに成り下がって現役中だが
この両名も
1971年第6次に
1976年第8次に出演した
尚、第8次には、カレーラスも出演した
Jose Carreras, Montserrat Caballe and sweet story with an earring - YouTube
第8次も1995年にだっけ、BS放映され、つまり、3テノールのうちパヴァさんだけ観てない
観たいんだけどーと絶叫した所で、物持ち悪いNHKを察するに、映像が現存しても非常に悪い状態で残ってるかと
実際、NHK所蔵の「女心の唄」の映像に欠損部分が見られる
YouTubeやニコ動にUPされている『リゴレット』映像は恐らく、個人の所蔵
ホームビデオが高嶺の花だった頃に録画した映像をNHKに寄贈した篤志家少なからずだしな
とにかく、観たいー聴きたいーと、アタシゃ一時期絶叫していた
別にパヴァさんに拘っていたわけじゃない
拘り対象は
ja.wikipedia.org「シェフィールドの煉瓦道からやってきてスカラ座をも征服した、
ジェームズ・ボンドを別にするとイタリアで最も人気のあったイギリス人」
ジェイミー・リー・カーティスの親父トニー・カーティスの顔を四角くした リゴレット役のピーター・グロソップ
1971年当時にTVで観た人から、「第二幕最後、オケ鳴り終わるまで高音伸ばしとった」
誘拐され、マントヴァ公爵に食われた娘ジルダ
教会行く以外は超箱入り娘とあって、裏切られたと知っても公爵への愛情は変わらないことを父親に切々と訴える
一方リゴレットは、やはり娘を公爵に食われたモンテローネ伯爵に替わって自分こそが公爵に復讐するのだと天に誓う
Gobbi Callas Si, vendetta! Tremenda vendetta Verdi: Rigoletto with Tullio Serafin 1955 - YouTube
父娘揃って絶叫っぽくなる場面だけに
Peter Glossop Rigoletto - YouTube
大声だが声の芯に難アリのグロソップがオケ鳴り終わるまでって(・・?
これが気になってしゃ~なく
2002年3月4月のFM番組『20世紀の名演奏』で、当時月1回放送されていたイタオペに
ようやく1971年リゴレットの順番が回って来た時ヽ(^。^)ノしたのも束の間
4月放送の第二&三幕は放送時間が1時間ズレた所為で、幕切れ10分ちょいしか聴けず…( ノД`)シクシク…
それでも待てば海路の日和アリ、それからおよそ10年後、YouTubeの時代まで長生きしたおかげ様により、悲願は叶った
Rigoletto Atto II - Pavarotti - Glossop - Russell - R.Raimondi -1971 Tokyo - YouTube
オケ鳴り終わるまでと行かなかったが
娘が金切り声高ーーーーーーーくを見た親父が、「負けてられへんワイ」と胴間声轟かせ、肺活量半端無しだっちゅうの
何より
楽譜に書かれていない第二幕アリアでの高いGを伸ばしまくる
同じく楽譜には書かれていない第二幕終わりの高音は娘共に気持ち良さそう
つか、二重唱の場合
RIGOLETTO - Tutte le feste al tempio (Bruson, Rost, Muti 1994) - YouTube
ナニが原典主義だクソ食らえ屁~こいて寝とけだっての
楽譜通りに歌ったら
そこまで高揚していた気分がメッチャ盛り下がって興醒めするやんけ
高音伸ばしまくる、それが邪道でもな
ヴェルディ先生がある程度已む無しと認めた慣習に従っている
「劇場文化、オペラ文化には、自然に培われた慣習が存在する」
「オペラの娯楽性を否定すると、音楽、演劇、文学他の織り成す歌劇場が只の音楽教室に堕してしまう」
マニュアルを後生大事に厳守すればいいってもんじゃないっちゅうコトよ
「自分の意思を楽団に浸透させる、それは、(クラウディオ)・アッバードもムーティも変わらないんだけどね
アッバードは、我々楽団員と話し合い我々の意思も尊重する形
ムーティは、自分の意思と作曲家原典主義を一緒に要求する形
どちらの指揮官が楽団員にとって、息苦しさを感じず、プライド守れる?」
ミラノ・スカラ座楽団員と話した知り合いから昔聞いたコトと合わせて
今、江戸の町におる、指揮界のタイガー・ジェット・シン に聴かせたいワイw