mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

It's no use crying over spilt milk(覆水盆に返らず)

半年ぶりにバス乗って疲れた癒しにゃ、一方通行Teleworkが一番w

ダブルイニシャルにゃ違いないKKをクリックしてしもたけど↓

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ブットク無い腰回りから見て写真は別人と思う

職場復帰が事実なら、「話は水面下で進んでいる」「体裁整えるため」「本当の雇い主は…」

手鍋下げてもの覚悟 - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

いつぞや触れたように、姫の降嫁でもK電化でも、KK母及び親族は一般人のままだ

しかし皇族と姻族になる以上、全く無名の一般人とは行かず、それなりの格付けが要る

「皆、近場に纏められる」、既に実績あるし、これもガード固める点から現実味が濃い

 

 

 

 

ガード固めるのは↓もか

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「自分の物は自分のモノで、人には貸すも与えるもカネ次第」

「人の物も自分のモノで、タダで使うのが権利というより当たり前」

MM母娘揃って一種のジャイアニズムでしょうね

いつまでもあると思うな王室のカネと堪忍袋

MM母娘は必ずや巨大ブーメランを食らうはず

本当は、ハリーがMM以上の暴走続けるのが

二人を抑え込んで斬るに好都合と思う

ハリーの存在ありき元妃MMより

MM存在しなくても生来の王子ハリーが暴れると

王室も処置しやすい

「ママが泣き所」ハリーの洗脳強化を図ってか?

ハリー&MM自身が他家の居候なのに、MM母も居候に加わった

 

二人三脚的な母子そして一族の点で

対岸の火事じゃない話と感じる

黒幕が遂に本腰を入れた模様

MMって父方がワルと考えるから話拗れるのであって、パパとママを置き換えれば辻褄が合う

パパが当選した例の高額宝クジを知るや、母娘が強い姿勢で要求しまくったの

母方に於いてもママは孤立無援状態のよう

娘がおバカ王子という巨大ATMを獲得にホクホクしてるはず

巨大ATM製造元は恐らく、泳がせるだけ泳がせ、一気呵成に大捕り物的結末でしょけどね

 

 

 

 

ところで、MM方面のヤフコメ民にちょくちょく、「KKとくっつけて、離れ小島に流せや」

ダブルイニシャルどっちもATM無しでは承知しないので、英日協同、それとMM生産国の米が責任取って

莫大な捨て金を渡し、今後も資金援助継続と思わせ、離れ小島に放逐後預金封鎖でどおだ?

KK、MMどっちもお母様と二個一である

嫁vs姑を超える両母ガーガー軍鶏の蹴合い、KK側は息子が自陣に都合良く母の通訳する結果、火に油を注ぐ激闘ウケ合いw

文明世界に残された二人、ハリ~と姫は女王様保護下に置き、適当に飼い殺しね

姫がいくら浮世離れしてるといえど、MMと比較すれば遥かにマシ

未熟なりにロイヤル慣れしてる分だけ、未踏の世俗への降嫁より有効かもよ

 
 

 

 

どちらのカップルにせよ、今後どう展開するにせよ、既にケチついてるのは確かだ

リッコーシの件を含め、英日双方の目論見はコロナさんによって悉く躓き続けている

これはもう「無駄な抵抗は止めなはれ」の天啓に尽きる

見た目は首尾良く進んだって、いつか必ず破綻きたす

さんざっぱらウマーな思いしてるだけに、一度コケると、巨大ブーメランに当たって地獄の思いを味わう

そうなれば

You can't unscramble a scrambled egg, what's done is done

(炒り卵を元の卵に戻すことは出来ない=絶対に元には戻らないから、諦めな)

 

 

 

 

 「覆水盆に返らず」、これは、時計の針を逆に回すことは出来ない意味で考えても

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Onegin final scene

Evgenij Onegin - Final Scene: Dmitri Hvorostovsky & Renée Fleming

言の葉の一葉が分水嶺 - mathichen独話

『オネーギンの恋文』(1999年)

この映画では確か、今度は彼が手紙を書き、待てど暮らせど…のはず

 

ところで、ロシアのある歌劇場演出には興味深い演技が見られます

「もうお別れよ!」と部屋を立ち去るはずのタチヤーナが、彼と抱き合ったまま

これは、プーシキンの原作による解釈でしょう

原作最後の場面はあいまいであるものの

二人のいる部屋の外に、公爵のものらしい足音が聞こえ…の後は、読者の想像に任せる形

決闘を暗示しているとは思います


…で、アタシの妄想モードが発動するのですな

オネーギンの歌詞最後は、「何たる恥辱に満ちた運命よ!」てな意味合い

彼とタチヤーナが『運命のカップル』なら、彼女にも恥辱の分担となるのが自然

公爵は離縁したりはしないでしょうけど、彼女は終身介護刑を食らった気分の余生?

決闘に敗れるのが公爵としても、タチヤーナとオネーギンは昭和枯れすすきっぽく?

 人生なんて100%自分の思い通りに行かないがわかるよね