mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

彷徨える希望の峰 第一幕

どうせ誰も追いつけない三幕仕立てね




昨日のサブPCお手入れ、Windows Updateのせいで、日付変わっても続いた
その間、暇なので

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英国Opera誌を何ヶ月分解読していた
今年1月号の表紙は
【我が青春の輝ける日々は消え去り~Dmitri Hvorostovskyに捧ぐ~】
50代の歌手が亡くなる
歌手としての円熟期に仆れるは本当、昔っから多過ぎる
一昨年仆れた51歳ヨハン・ボータ、Butaなりに可愛かったのに
三十路前に銀髪ながら似合ってたドミトリ・フォロストフスキー、本当男前だったのに
誰もいない汚宅を舞台に独り言じゃなけりゃ独唱してる52歳にとって無念極まる




かれこれ40年前、バイロイト音楽祭100周年記念演出、パトリス・シェローの手掛けた指環四部作
Wagner - Der Ring Des Nibelungen: Götterdämmerung [Act II/III; Boulez] - English Subs
♪神々の黄昏に於いてグンター歌ったフランツ・マツーラ
https://www.youtube.com/results?search_query=franz+mazura
早世の類がマジ理不尽にさえ思える、94歳でボケもせず現役歌手だ




女声歌手では、古希過ぎてたけど↓


キャロル・リー・ネブレットCarol Lee Neblett, 1946年2月1日 - 2017年11月23日)は、アメリカのソプラノ歌手。

モデストの出身。父親はピアノの調律師で第二次世界大戦中は空軍のパイロット、母親はヤッシャ・ハイフェッツのアシスタントであった。2歳のころからヴァイオリンを能くする祖母からヴァイオリンを習ったが、ハイフェッツに歌手としての才能を見出され、南カリフォルニア大学のウィリアム・ヴェナードの下で声楽を学んだ。1964年にロジェー・ワーグナー合唱団と共にカーネギー・ホールでゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの《エステル》の上演に参加して歌手デビューを果たし、同年のロサンゼルス音楽センターでもオットリーノ・レスピーギの《主の降誕の賛歌》の上演にも天使役として参加している。1965年から1969年までソル・ヒューロックと契約して世界中を演奏して回り、歌手としての名声を上げた。1969年にはニューヨーク・シティ・オペラに於けるジャコモ・プッチーニの《ラ・ボエーム》でムゼッタ役としてオペラ歌手としてデビュー。1976年にはシカゴでプッチーニの《トスカ》でルチアーノ・パヴァロッティと共演し、1977年のコヴェントガーデン王立歌劇場でのイギリス女王エリザベス2世在位25周年記念のオペラ上演ではプッチーニの《西部の娘》のミニー役でプラシド・ドミンゴと共演した。1979年にはリヒャルト・ワーグナーの《さまよえるオランダ人》でメトロポリタン歌劇場に初登場した。2005年にオペラから引退し、チャップマン大学等で後進の指導に当たった。

結婚は3度しており、最初の結婚相手はチェリストのダグラス・デイヴィスであったが、1968年に離婚している。1973年に指揮者のケネス・スカーマーホーンと再婚したが、1979年に離婚。3度目の結婚は1981年に心臓外科医のフィリップ・アクレと行ったが、2004年に破局している。

ロサンゼルスにて没。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AD%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

…誕生日を見よ(アタシにも、71歳までの人生保証が???)




ネブレット検索したのが、本日記事のキッカケとなった
Opera誌のObituaries(死亡欄)を見て
https://en.wikipedia.org/wiki/Carol_Neblett
英語版ウィキを開くと
‘In 1979, she made her Metropolitan Opera debut as Senta in The Flying Dutchman,
in Jean-Pierre Ponnelle's production, opposite José van Dam.’
ジャン=ピエール・ポネル演出の♪さまよえるオランダ人




17分間の休憩を挟んで、第二幕へと続く