YouTube観られる時代まで生きてたのはヨカッタわ
日本公演
初の、そして最後となる日本公演は1966年に行われた。ビートルズは6月29日(水)午前3時39分に日本航空機で羽田空港に到着した。
公演は6月30日(木)および7月1日(金)・2日(土)に行われ、7月3日(日)午前10時44分に離日した。会場はすべて東京都千代田区の日本武道館。司会を務めたのはE・H・エリック。前座として尾藤イサオ、内田裕也、望月浩、桜井五郎、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズ、ザ・ドリフターズ(6月30日・7月1日のみ)が舞台に上がった。この前座バンドについては後にポールが「ハロー・ビートルズ、ウェルカム・ビートルズ、といった歌が聴こえて来た。音楽性は高くないがそういう歓待は嬉しかった」と発言している。このとき歌われた楽曲「ウェルカム・ビートルズ」は1966年9月10日発売のジャッキー吉川とブルーコメッツのアルバム『青い瞳/青い渚 ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集』に収録されている。
( Wikipedia:ビートルズより引用 )
この司会の人、下手くそだなあ
実弟の岡田眞澄だけでなく、E・H・エリックに髭つけても、スターリンの顔やな
スターリンに物言いをつけてみ、粛清されるぞ
何か凄いものを見た!今の時代では再現できないこのグルーヴ感!流すだけの音楽と違い本気で音楽と向き合ってた事がヒシヒシと伝わった。何か凄いものを見た♪
日本中焼け野原の時代から約20年でよくここまでのバンドが生まれたもんだよね。
低レベル云々のコメントがあったけど主要都市が徹底的に破壊された
敗戦国って大ハンデさっ引いても充分お釣りが帰ってくるくらい素晴らしいと思うよ。
初めて見たとき下手だなって思ったけど、こうして聴くと全然下手じゃなかったですね…
失礼しました(・・;)
むしろ上手いし格好いい…(・・;) 昔だからってバカになんか出来ないし素晴らしい演奏ですね!
今でも不思議なんだけど、なんで「坂本九ちゃん」が前座に呼ばれてないんだろ?
スキヤキソングならジョンやポールでも知っていただろうに・・
♪『上を向いて歩こうよ…』って、場違いだよ。
日本人唯一の全米No.1ヒットに輝くも…天国から下を向いて「その通りだよ」
このコンサート、高校生だった志村けんが同級生の女子から
「お前が行くなんてもったいないから俺に行かせろ!!」と強引に
チケットを横取りして見てたらしいな。
それから8年後、付き人を経て、荒井注の後を受け、ドリフの正式メンバーへの前座ってか
行ったら退学、と言われて退学届出して観に行ったのが、高中正義
厨二で退学にならなかったから
高校3年生の時、エイプリル・フールのコンサート中に
酔っ払ったメンバーの「誰かギターを代わりに弾いてくれ」という呼び掛けに応じて
客席から学生服のままステージに上がり演奏した事がプロ・デビューのきっかけとなった
内田裕也さんが歌ってるの初めて見たけどカッコいいじゃん。
初めて内田裕也のかっこよさが分かったわ
内田裕也が一番面白かったw
内田裕也は本当にロッケンローしてたんだw
内田裕也うますぎやろ・・・
アニマルズの朝日のない街のチョイスはちょっとビビった
ビートルズの前座でアニマルズとは(;・ω・)
「ビートルズはキリストより有名だ」?
シェケナペイビー(Shake it up, Baby)、盛り上がってけ!
ビートルズ吹ッ飛ばす俺が内田裕也だ♪☆の偉大さに平伏せよ
俺の頭上がらない神は緑の紙、三行半に動じない嫁だけだ(泣)
http://www.mag2.com/p/news/206184
なんで昔の方がレベルたけーんだよw アイドルは癌
レベルたけーと感心するんだったら
昔の青少年を老害とか言わず、アイドルに費やす諸経費を献金して看取れよ
ビートルズの映像よりも、こっちの方がむしろ貴重。
学校では教えてくれない日本音楽史だもんね
ウエルカムビートルズ(爆) 見ているこっちが恥ずかしくて悶絶するんだから ましてや本人達は今見れば「殺してくれ~!」だろうなw
「音楽性は高くないがそういう歓待は嬉しかった」(ポール・マッカートニー)
有り難いのに、小っ恥ずかし~い場合
存命者の大半、前後期高齢者なので、ボケ散らかしてるを祈っとくw
52年も前とあって、武道館行けた者は高中正義が最年少と見ても、高齢者デビュー年齢だよな
現在は警備員や掃除のパートで年金補填するじーちゃんばーちゃんにだって
ビートルズがやって来る?ヤァ!ヤァ!ヤァ!
趣味に興じるべく小遣いをチマチマ貯め、黄色い声張り上げる時代はあったというワケよ
「8時ならぬビートルズだョ!全員集合」(長さん風に)
「すんずれいしました~」(カトちゃん風に)
観客のお目当ては言うまでもなく、ザ・ビートルズ (The Beatles)前座の皆様、さぞかし居心地悪かったでしょね
兵庫県神戸市生まれだが大阪府堺市育ちの虎党である内田さん意外と小心者なのは
『内田裕也政見放送「完全版」』
東京都知事選の時、確信した(目が泳ぐなど緊張しまくってるじゃん)
動画へのコメントの中に
ブルコメのダイナマイトだけ。 後は、いらない。
前座なんて聞きたくねーよ バカ野郎
実際に来ていた人はそう思ってたでしょうね
前座から始まったバンドがいくつあると思ってんだよ。
最後のコメントが一番、音楽ファンと断言する理由↓
ワンマンライブ、前座とは?皆成功するわけじゃないけど、前座は、選ばれし者にのみ許されるからよ
有名なバンドは対バン形式ではお客さんが入りきらない場合もありますので1バンドだけで行うこともあります。これをワンマンライブと言います。しかし、通常はワンマンライブの場合でも、ライブハウスの雰囲気を盛り上げるために、まだあまり知名度のない若手バンドが最初に演奏をすることもあります。この状態を前座といいます。
前座というと聞こえが悪いですが、海外のコンサートではオープニングアクトと呼ばれ、たとえばエアロスミスなどの超ビッグバンド(メインアクト)の前座(オープニングアクト)として共に世界ツアーを回るバンドは、ロックバンドとしてブレイクが約束されたも同然の状態となります。移り変わりの激しい、音楽シーンではライブやツアーの終了日には、メインアクトとオープニングアクトの知名度や人気が入れ替わってしまうということも珍しくありません。
( https://www.livewalker.com/doc/sp_qa.html )
ザ・ドリフターズで説明すると…
1956年にマウンテンボーイズ(1952年 - 1955年)と東京ウエスタンボーイズが合併して結成
クレージーキャッツの後輩
結成当初から4年ほどは音楽バンドとして活動していた
楽曲主体による音楽ネタなどを得意としており
TVや映画出演が多くなるにつれ、コミックソング、コントやギャグが主体となっていった
…守備範囲の広い、堂々たる音楽グループであった
クレージーキャッツだってさ、植木等の歌メッチャ上手かったやん
志村けんのドリフ入りも
1968年2月、高校卒業間際に、長さんの家へ直接押し掛け、弟子入りを志願した
由利徹やコント55号とザ・ドリフターズのいずれに弟子入りするか迷ったが
音楽性の面からドリフを選んだとの由
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの場合
エドサリバンといえばビートルズさすがブルコメ。
琴から入るのが凄く良いですね。貴重な映像ですよね。
エドサリバンショーには、ピーナッツも出演したそうですが、日本から持参した譜面がリハでボツになり「Lover come back to me」を歌う羽目になったとか。そう言う意味では、ブルーシャトーをこの様にArrangeしたブルコメの編曲力は、凄いものがある。と感じます。
いささか奇妙な♪ブルー・シャトウで何とも言い難いサウンドに観客の反応は冷ややかだった
しかしながら
「アメリカに、日本、東京の裁判所がある。エド(江戸)・サリヴァン・ショー」
後の寅さん、渥美清がダジャレにしたと、1954年生まれのワーグナー師匠格から聞いたと備忘録して
出演ゲスト
アメリカを中心に活躍し、それぞれの分野で人気のあったゲストを主として迎えていたため、1956年9月9日にエルヴィス・プレスリーが登場して以来、ロック系のミュージシャンも増えた。また、公民権法施行前で、まだまだアメリカ国内における人種差別が激しい状況にもかかわらず、人種差別を嫌うサリヴァンのイニシアチブによりアフリカ系アメリカ人のミュージシャンも多く登場した。
1960年代に至ってはビーチ・ボーイズやジャニス・ジョプリン、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンなど、それまでには考えられなかった方向性のミュージシャンやアーティストも多数出演することとなった。1969年にはマイケル・ジャクソンらジャクソン5が出演している。
また、1964年2月9日から3週間連続で出演したビートルズ以降、アメリカ進出を果たしたイギリス出身のロックミュージシャンの出演も増え、アニマルズやローリング・ストーンズ等、何組か出演を果たすこととなった。
なおサリヴァンは、本人の保守的な志向と、老若男女を問わない幅広い視聴者層に合わせる為もあり、当時のアメリカの典型的な保守層の価値観を番組に持ち込んだため、プレスリーの登場時の服装やカメラの位置、ドアーズやローリング・ストーンズの登場時の歌詞の変更など、現代では滑稽と思えるような様々なエピソードを提供することになった。
( Wikipedia・エド・サリヴァン・ショーより引用 )
1950年代後半、石頭PTAから嫌われるエルヴィス・プレスリーを出演させたり
1960年代後半、アタシの大好きなザ・ドアーズを出演させたり
(後者は、キーボード担当のレイ・マンザレクかしらん、四半世紀前NHK-BSでの映像によれば
過激な歌詞変更を受け入れるフリして、ジム・モリソンが本番で原詞ブッ放したってさ、カッケー♪☆)
ニクソン大統領の従兄弟みたいな御面相ながら、目利きは抜群だったエド・サリヴァン
彼の御眼鏡に適った者として、ブルコメは子孫の末代まで自慢していい
そんだけブルコメの音楽性は高く、現代の日本人音楽家のどんだけが太刀打ち出来るやらでしょ
武道館YouTubeでは、52年後もあんまし変わってない尾藤イサオが一番なんだけどね~
記事題名は、Yellow Submarineを強引にヒネッタ
(Yellow Submarine:「黄色い潜水艦」の潜水艦を、Fleet:「艦隊」に変換し、「歓待」に再変換したまで)