mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

挫折してもとにかく継続する事が大切で、実力の一つである

何度観たって、サルでも出来る反省をする(つまり、本気で悪いコトしたと思ってない)

唖然ボー然とヘタレ込んだブラジル応援団のうち、何人が決勝観戦に訪れ
仲悪隣国アルゼンチンが決勝進出?オラの国で凱歌上げるの嫌だ!の腹黒さを持って
臨時ドイツ応援団に化けたんでしょね
…宿敵の不幸は蜜の味を願う
腐ってもセレソンでさえ雑魚のメンタリティやから、準々決勝で天誅下した(と思う)

「強豪国は、叩ける間に叩いて、息吹き返す暇を与えない」
ドイツがいくらKYとはいえ、腐ってもブラジルを侮るほど傲慢じゃない
ブラジルは実際、普通の国なら、何も考えられず、耐えしのぐが精一杯の時間帯に
オスカルがゴールへ向かう気力、セレソンの誇りを見せた
6分間で4得点、これは、ブラジルに考える時間与えず、引導渡すためであった

ま、ブラジルもいま頃、「ドイツの奴、今度会うたらギッタギタにしたるッ」
来夏もしも再会したら、上のYouTubeドイツ版一丁上がりが怖い~
と、取り敢えず…
メキシコようわからんけど
スウェーデンやん、ドイツの天敵アズーリを阿鼻叫喚に陥れ、出場決めたのは
韓国の「恨」パワー舐めてないので、「注意一秒嘲笑一生」をメモメモして

F組とH組のポット4を交換して欲しいわ
青いフナ侍やったら、0-17or170の血祭りに上げられるがな
ドイツの首位通過も得失点差無関係に170%保証じゃん





とマァ、mathichenさんとて雑魚のメンタリティ持ち合わせてる証明したわよ
のせいでね
【川崎】憲剛、嬉し涙の初V…ACL敗退翌日に吹っ切れた指揮官の言葉
12/3(日) 6:05配信

明治安田生命J1リーグ 最終節 川崎5―0大宮(2日・等々力陸上競技場

 川崎、悲願の初タイトル―。大宮に5―0で大勝し、最大で勝ち点8差あった鹿島と最終節で並び、得失点差で上回った。MF中村憲剛(37)は3得点の起点になり、FW小林悠(30)は自身初のハットトリックで今季23点に伸ばし、得点王を初めて奪取した。鹿島は磐田と0―0で引き分け、20冠目を逃した。

【写真】悲願の初優勝を決め、小林と抱き合い涙する川崎・中村

 サポーターは総立ちになり、ベンチからは選手が勢いよく飛び出した。優勝を悟った中村は膝から崩れ落ちた。涙が止まらない。「15年間悔しかったことが走馬灯のように頭を駆けめぐった」。仲間に支えられて立ち上がると、視界には仲間とファンの笑顔が広がった。「長かった。これが追い求めていた景色なんだ。長すぎて長すぎて、タイトルを取れずに辞めると思っていたけど…感無量だね」。涙を拭い、“9度目の正直”に笑顔をはじけさせた。

 「シルバーコレクター」返上を誓い、風間監督からバトンを受けた鬼木監督は、9月13日のACL準々決勝第2戦・浦和戦(1●4)が「今季最大のターニングポイント」と語る。第1戦は3―1で勝利したが、2戦目の前半に車屋が暴力行為で退場。数的不利になったこともあり、中村を下げ守備を固めたが、その後3失点。敗戦に選手は号泣し、采配は物議を醸し、失速してもおかしくなかった。翌14日。鬼木監督は監督室に中村を呼び寄せた。約30分、中村は思いの丈を打ち明けた。

 中村「ベンチで何もできず、さみしかった」

 鬼木監督「悔しい思いをさせたが、監督の立場として謝れない。タイトルを取るには、俺とお前の成長が不可欠。前を向こう」

04年から鬼木監督と絆 指揮官の言葉で中村は吹っ切れ、チームには笑顔が戻った。中2日の清水戦に勝利し再出発。最大8差あった鹿島に最終節で追いつき、得失点差で上回った。

 2004年5月2日の京都戦。ボランチで初先発した中村の横に並んだのが、当時MFの鬼木監督。プロ12年目の鬼木が「緊張でガチガチ」の中村に的確な指示を送り、1―0で勝利した。

 中村「サッカー人生の分岐点。あの試合でボランチでやれる自信がついた」

 鬼木監督「憲剛は得点に絡める新しいタイプのボランチ。クラブの未来を託せる」

 あれから13年。2人の絆に、小林や大島ら生え抜きと家長や阿部ら新戦力が融合。7月29日の磐田戦で敗れて以来、15戦負けなし(11勝4分け)でゴールテープを切った。

 鬼木監督が「やっとフロンターレの時計の針が動き出した」と言えば、中村は「ほんっとに最高」と喜びに浸った。10年にオランダの名門・PSVやトルコ1部・カイセリスポルから誘いを受け、オランダ語の家庭教師も雇った。それでも「練習参加から拾ってもらった身。何も残さないままいなくなれない」。15年貫いたクラブ愛を最高の形で結実させた。(田中 雄己)

 ◆川崎フロンターレ 1955年に富士通サッカー部として創部。日本サッカーリーグを経て、92年第1回JFL1部に参加し、97年に改称。フロンターレはイタリア語で「正面の」の意味で「正面から正々堂々と戦う姿勢」を表現。99年にJ2参入、優勝。J1昇格の2000年はナビスコ杯準優勝も再降格。05年に再昇格後はリーグ2位3回、ナビスコ杯準優勝3回、天皇杯準優勝1回。チームカラーはサックスブルー、黒、白。ホームタウンは川崎市。本拠地は等々力陸上競技場(収容2万8000人)。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171203-00000028-sph-socc

鹿島4度目王手もまさか 大岩監督「僕の経験不足」
12/3(日) 7:53配信

明治安田生命J1:磐田0-0鹿島>◇最終節◇2日◇ヤマハ

 勝てば優勝だった鹿島アントラーズは、ジュビロ磐田に0-0で引き分け、つかみかけていたリーグ連覇を逃した。後半50分20秒。試合終了の笛。9月23日の第27節終了時には勝ち点8差あった2位川崎Fに、最後にひっくり返された。MF三竿健はピッチで泣き崩れた。DF昌子もあおむけに倒れ込み、自力では立ち上がれなかった。今季途中から指揮をとった大岩監督も、試合後の会見で「勝たせてあげられなかった僕の経験不足…」。2度、声を詰まらせて悔いた。

【写真】顔をくしゃくしゃにして悔しがる大岩監督

 ACLによる変則日程により、川崎Fの結果次第で「試合なし優勝」の可能性2度。勝利で決まった先月26日の前節柏戦では本拠でスコアレスドロー。4度目の“王手”は、引き分けも許されない重圧が逆にのしかかってきた。昌子はあふれそうな涙を上を向いてこらえながら「また、一段と強くなるための試練。下からの(2位の)景色を見ることになってしまった」。FW土居も「これがあったからと言えるサッカー人生が来ればいい」と必死に前を向くしかなかった。

 前半11分にDF西が右膝負傷で退場。交代で入ったDF伊東も右肩脱臼を負い、痛みを抱えながらプレー。同44分にはCKをDF植田が頭で合わせてネットを揺らしたが、ファウルの判定。昌子は「主審に『誰のファウル』って聞いたら『植田か昌子のどっちか』と言われた。そんな曖昧なのはおかしい」と憤りも隠せなかった。

 過去、国内主要タイトル19冠の鹿島にとって、初の屈辱を味わった。J1タイの年間14完封勝利など安定した強さは示したが、今季無冠。来季は再び、ACLを含めた史上初の年間4冠に挑む。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171203-00067945-nksports-socc



イルカ?要らんわ!

鹿、開幕戦で狸に食われ、勝ち点のツケに回ったてか
失速+最終節、降格決定済みの新潟に負けた3位桜が、元凶(命知らず)




先月の昭和町marcelを、アタシが赤字から救ったらしい
40歳にリーチ掛かるのに彼女デキない鹿先生からもっとボッタクレと絶叫しといて
引退する石川さん観たかったけど、カネの都合で諦めた味スタの吹田戦
0-0、ま、許す
しかしながら、多摩川向こうが祝杯は面白うない
んで、ブラジル巻き添えにしてのウサ晴らしをば




イルカと鹿の両方への余計なお世話として

何があっても何を言われても、成功するまで継続することも大切ですが
成功してからの人生の方がもっと大切

もっと貪欲になり、成功するためにはどうすればいいのかをもっと真剣に考えていきたいものです

なんだかんだいっても、「日々勉強」「感謝の継続」が力になるということですね

http://www.inoue311.com/keizoku




大久保さんはいま頃、多摩川向こう側から移って来た事を後悔してたりして