mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

思考の暗夜行路を迎える前に、思考力を楽しもう。潤沢な知恵を得るために

私的には直面しないが、仕事面で関わり知識や技術を得る
これも経験値積める一つだよね




介護カテゴリのグループホーム職員さんが
認知症の方の介護を、配偶者や子供たちではなく、親戚の方がせざるを得ない」
その記事に

こんにちは

認知症(でなくても、老化による不具合や障害)というのは一般的に
介護すると介護されるの双方、何十年間、無病息災でアハハ♪生きて来て直面します
家族や親戚いたって右往左往する事多く、頼れる
いないなら
者尚更ですよね
介護を軽く考える他、人間は無事に産まれ育つが当たり前感覚だからと見ます

当方のような「きょうだい児」、障害持ち兄弟姉妹がいる者は
自分は無問題なのに制限、偏見、差別の経験から
特別な事情持たず、一生食える資格とカネあるから無問題と豪語するおひとり様
そのタイプを常々「バカだ」と思っているので、この記事読んでスッキリしましたわ
おひとり様に、個人の自由は義務が二個一、不要な迷惑かけるなを教えない身内もです
おひとり様で行くんだったら、家族持ち以上に老後計画万全にとね

2017/3/17(金) 午後 2:49
mathichen

上から続きました

http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/33880794.html
この記事の
和歌山病院入所時点で成人は、成年後見必須(入所時に申し立て開始でもいい)」
この段を見て下さい

家族の誰かが介護していた場合でも
介護そして後見が続けられなくなり、従姉さんに交替した
従姉さんの家は近くなので身辺介護、施設介護の場合は面会、その点は楽
しかし後見にかかる責任と負担は当然背負う
実姉でさえ、結婚しているのに、親から勝手に後見人期待されて辛い
関係性薄い従姉だと、気の毒になる

経済的に大丈夫な老後だって
介護と相続に関して、家族間での争いが珍しくないのですから
ボケたおひとり様が親戚から搾取されるといったリスクも無論
カネ無いボケたおひとり様を押し付けられる親戚も考えられます

家族や親戚に恵まれると、平時は「誰か助けてくれるわ」意識なのでしょうが
面倒発生するや、仲良しファミリーが一転、意味不明な宇宙人同士が骨肉の争い
ゴング鳴るまでホントにわからないのだと思いますよ

2017/3/17(金) 午後 2:51
mathichen






相手さん曰く、「厳しいようですが、本当にその通りなんですよね」
身内で裁判沙汰というケースも経験持つ
身内同士の争いを、驚くほど目にする
しかし皆外聞を気にして隠したがり、なかなか表に現れて来ない
これも介護が抱える問題点の一つであり、もっとオープンに誰もが考えるべき
という




いくらカネ貯め込もうと
「オラ、アタシゃ好きに生きるっちゅうねん!将来は施設で見て貰うから、ほっとけー」
「その時はちゃんと感謝をする、謝礼も考えてる!」
どう吼えようと
まだまだ若造で元気だから一丁前言えるんだよ
いざボケたり病気になったり、その時には、入所前後、人手を借りる事になるんじゃ
施設職員以外の、保護者とかね




施設入所すると簡単に言うけどね、想像以上に難しいをお忘れなくもね
有料老人ホームの場合、入居金だけで6桁7桁の所ある
毎月20何万円、それはザラに見られる
ウチのジジィ預かっていたお手頃な住宅型でさえ、純費用11万円だった(雑費など足すと、15~18万円)
そおそお
・自分の求める条件に合っているか?
・空きある=環境劣悪とか、事故物件とか?(相模原の基地外みたいな職員いたりして)
否定出来ないよね
特養も空きある所にはあるものの
ウチの鬼婆、多床室・減額免除のため純費用4万円前後、減免無い場合でも倍程度に収まるが
新しい所では全室個室対応が増え、課税の有無・年金受給額が影響する減免が無いと、決してお安くない
もう一つおまけに、平均寿命の違いにより、男性対応手薄と来る




また
好き放題に生きて、我が子に愛想を尽かされ、逃げられてしまったジジババ
地元に住む甥や姪が見捨てる事も出来ず、仕方なく世話しているなんてのもいる

家族やカネを持っていてさえ、腐乱死体で発見されるケース少なくない
カネの有無問わず、家族に捨てられるカスなんて迷惑な存在なんだよ
実家に返品されたりの貧乏ボッシーの類なら、産業廃棄物らしくして、デカイ顔晒すな





いまは元気だから一丁前の口叩く類って、↓のようなケースに進むがあるから始末悪い
『もういやだ。介護歴半年だけどもうやめたい。介護受ける父がワガママすぎる。
医者やケアマネに指示されたことは手伝わないようにしてたら「俺はこんな体なんだぞ!」と癇癪起こして罵倒。
外ではお涙頂戴の演技をされて、なんて親不孝な娘だと私が悪者。』
http://yasuragon.blog.fc2.com/blog-entry-27982.html

>>558
>本当に何もせずに放置したら私が罪に問われる

市役所は面倒だから嘘をついてるよ。
「娘が我慢して世話すれば行政は何もしなくて済むから楽」という発想。
弁護士は、、「自分の生活を犠牲にして親を扶養する義務は,法的にはありません。」と言っているよ。
http://mbp-hiroshima.com/law-yamashita/column/5587/

「自分でやれる事は自分でやりましょう
手を貸す事は優しさじゃない(自分で出来る事がどんどん無くなるから)」
医者やケアマネに指示されなくたって、「何でも一人で出来るんじゃ」と豪語するんだったらテメエ自身がやれ
特に爺さんどもが、認定調査員訪問時、エエ格好見せたがるもので介護者に迷惑甚だしいものだけど
介護認定員を追い返して認定降りなかったのも本人の責任なら尚更、人を頼るな




仕事バリバリから一転、ババ親の在宅介護に拘束される日々に
20年前には、ほとんど外へ出られないなんて想像すらしなかった女性介護者がいる
休日は家でジッとしていられないタイプいるよね
一日中、無期限に、経済的不安を抱え、家にジッと、その可能性だって誰しも持つ
家族というだけで、他人に人生を拘束され、場合によっては破滅させられる
無病息災組が「親だから介護出来る」とか、生意気な口利くを絶対許さず心底軽蔑する理由の一つである




人が誰にも迷惑を掛けずに生きるなんてまず無理、いや、不可能
掛けて許される迷惑というか、他人様の知恵と手を借りる事自体は構わない
障害者の場合、「優しくして貰って当たり前」を捨てる
老後の面倒頼む場合、頼みたい相手と信頼関係を築き話し合っておく
後者は、ギリギリまで自助努力する大前提ね
「老後の面倒見させるため、子供を産んで育てた」、そいつらこそ孤独死してクレ
何らかの事情により子無しかもなのに、子無しは勝手にシネと言っているに等しい
「親は子供いるから親であるが、子供に子供いると決まっていない」
アタシが以前から言ってる中にあるでしょ、そんな簡単な事すらすらわからんほど無病息災組はボケなの?
餌の獲り方を教えたら子供を追い出すor親が巣を離れる、他の動物によく見られるね
人間くらいよ、親子といえど完全に別人格を知らず、子供を親の意のままに扱えると考える傲慢な動物は




晩婚化の時代とあって、高齢親の若年介護者が今後より一層増えよう
若い子にジジババ介護について講義するのは重要である
んで、高校生辺りを対象に、認知症サポーター講座が催される時代を迎えた
可能ならば
「特別な事情持つ以外、25歳過ぎてフラフラ遊んでいる奴、30歳までに家庭持たない奴、逝って良し」
講座に盛り込んでくれる?
高校生の親や親戚の高齢毒男女も参加させ
「元気で長生きすればするほど、弱る時は80何歳とか90歳越えとかの超高齢を迎える
面倒見てくれる者いたって、面倒観る物も65歳とか高齢が考えられる
介護と被介護の両方、その時になって慌てたって遅いんじゃ
45歳や50歳になって因業腐れキャリウーマンや毎日グルメ旅の余裕あるんだったら

介護と被介護に関する勉強を開始、似非民主主義教育のせいで平和ボケした脳ミソに叩き込んどけ
日本人の精神力は高いなんて威張るんだったら、出来ないとは何人たりとも言わせんからな」
あ、出来れば
「人間、誕生と同時に、いつ何時、障害負うか知れない
自分自身が障害者になる可能性は無論、家族が今夜にでも障害者になる可能性も持つ
ジジババ介護に限ると、団塊世代全員75歳迎える2025年問題をクリアしたいよね

昨年提唱したイスラエル兵役型介護役を、真剣に考える時期よ
ボランティアの国民全員徴兵制(免除対象は設ける)
介護の現実を学ぶ
己の無能が知れるだけの結果に終わるとしても、それはそれで効果あると思う
自分や家族の介護について、考える頭持っているなら、少しは危機感覚えられるでしょ」





http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/archive/2016/11/14
『人生観が変わる瞬間。ネット上でシェアされ続けている21人の体験メッセージ』
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52228235.html
「階段を使おう。階段を使えるうちに階段を楽しもう
身体的に階段をのぼれなくなったら、自然に階段をのぼりたいと思うものだ」
このメッセージ、再度ペタリ

「ボケちゃねーよ、まだシッカりしてるっちゅうねん!」
と言い出すのが、ボケの特徴である
問題は病気になってから突然始まるわけじゃない
平時の準備段階からという事よ