mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

芸術の女神との邂逅

BVBとバルサの勝利嬉しいのに、レッズ黒星、ヴェンゲルさん成金シティ倒せずは面白くないわね
青赤東京?お~い桜、昨春の長居で権ちゃん退場させたアノ主審、味スタでも可愛くなかった、蹴ってエエか~




というほどまでに、本館更新メンドクサイ
アメブロ別荘から持って来たネタを連続更新しとく
Yahoo!実験兼ねてるもんで、加筆修正一切無し、原版そのままお送りします
…大賢者Wikipedia様のチェックし直し、リンク貼り直しが面倒なんよねが、一番の理由ねと言い訳して
まず、2013年9月25日記事、芸術の秋を迎えるに相応しいクラシック備忘録をば
なお、タイトル部分の改行が、mathichenさんの精神衛生上いくない!ため、原題より短くなりました
正確には、【芸術の女神との邂逅、その苦悩と歓喜、そして永遠に輝ける栄光】でございます



更新意欲はあるのに、ネタがない
ネタある場合、遅筆でノリスケ困らせるイササカ先生がひれ伏すほど速筆だ
昨日、FC2別館記事に登場した、ドイツの歌姫。彼女でアメブロ別荘記事書いたれと、今日の昼下がりに決めた





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アニャ・シリヤAnja Silja、pronounced [ˈanja ˈzɪlja] 1940年4月17日 - )は、ドイツの歌手(ソプラノ)。

わずか10歳で舞台に立ち、一種の「歌姫伝説」的な半世紀を超えるキャリアにおいてワーグナーをはじめとする広大なレパートリーを築き上げ、歌唱はもちろんのこと、オペラ役者としても傑出した能力を持つ歌手の一人として知られる。

名前の日本語表記は特に一定はしておらず、例えば「アニア・シリア」という表記も見られる。

役者を両親に持ったシリヤは祖父に師事し、早くから音楽の才能を見せる。10歳で初めてコンサートに出演し「神童」として注目される。やろうと思えばシャーリー・テンプルのようにハリウッドで子役として活躍することも可能だったが、祖父がこれを断った。それでも、シリヤは戦後のドイツで有名な存在となった。神童時代はおよそ5年間続き、大人のレパートリーを次々に歌ったが、プッチーニの『トスカ』と『蝶々夫人』、ヴェルディ『椿姫』、リヒャルト・シュトラウスナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタはさすがに無理であった。1956年、シリヤは16歳の誕生日を迎えてから間もなく、ブラウンシュヴァイクにおいてロッシーニセビリアの理髪師』のロジーナ役で正式にデビュー。1959年にはウィーン国立歌劇場エクサン・プロヴァンス音楽祭にお目見えしてモーツァルト『魔笛』の夜の女王を演じた。このころはヴェルディイル・トロヴァトーレ』のレオノーラ、マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』のサントゥッツァ、オッフェンバックホフマン物語』の第4のヒロイン、『後宮からの誘拐』のコンスタンツェおよび『コジ・ファン・トゥッテ』のフィオルティージといった役柄も演じていた。

1960年、シリヤはさらに大きな舞台に立つ。この年のバイロイト音楽祭での演目の一つである『さまよえるオランダ人』でゼンタ役にキャスティングされていたレオニー・リザネクが突然音楽祭から去り、リザネクの代役としてシリヤが選ばれた。このバイロイト出演を機に、当時の音楽監督ヴィーラント・ワーグナーと恋愛関係に落ち、ヴィーラントもまたシリヤの才能を認めた。バイロイトではゼンタのほか、『ローエングリン』のエルザ、『タンホイザー』のエリーザベトあるいはヴェーヌス、および『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のエファの役柄で出演し、バイロイト以外でもヴィーラント演出による『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデ、『指環』のブリュンヒルデベートーヴェンフィデリオ』のレオノーレ(フィデリオ)、リヒャルト・シュトラウスエレクトラ』と『サロメ』のタイトル・ロール、さらにはベルク『ヴォツェック』のマリーと『ルル』のルルとして出演した。特に『ルル』はヴィーラントが生涯の最後に手掛けた演出作品であり、「6年間で36公演歌った」とシリヤは回想する。また、いわゆる「新バイロイト様式」による演出が常に論争を巻き起こしていたヴィーラントの演出にも影響を与えたとも回想し、「より人間性を強調するようになった」としている。しかし、ヴィーラントとの関係は突然終わる。1966年10月17日、ヴィーラントはミュンヘンにおいて49歳の若さで急死し、当時26歳のシリヤはショックのあまりワーグナー作品との距離を置くこととなる。ヴィーラント急逝の翌年1967年に開かれた大阪国際フェスティバルにおけるバイロイト音楽祭公演では、ヴィーラントが遺した演出による『ワルキューレ』でブリュンヒルデを演じたが、バイロイト音楽祭への出演は、大阪国際フェスティバルでの公演を含むこの1967年が最後となった。バイロイトでは、ヴィーラントが手掛けた作品のうち3つを除いた34公演に出演した。ヴィーラントを失ったシリヤは、1955年以降バイロイト音楽祭に出演していた指揮者のアンドレ・クリュイタンスと関係を持つこととなった。ところが、「ヴィーラントを通じて知り合った」クリュイタンスとの仲も、1967年6月3日にクリュイタンスがパリで急死したことにより不運の結末となった。シリヤによれば、ヴィーラントおよびクリュイタンスの訃報を聞いたのは、どちらもウィーンで公演中のことであった。ヴィーラントとクリュイタンスに死に別れた当時27歳のシリヤは早い引退をも模索するが、やがて立ち直り新たなレパートリーを加えることとなった。なお、シリヤはパリのクリュイタンスの自宅をのちに購入し、そこに住んでいる。

Wikipedia:『アニャ・シリヤ』より引用 )





YouTube文字リンクするため、敢えて長い引用したの。マジ疲れた。リンクない演目は各自で検索頼む
画像上は、バイロイト音楽祭さまよえるオランダ人第二幕より
画像下は、ヴィーラント・ワーグナーと…何デレデレし合ってんのさ~




アンドレ・クリュイタンスとの関係については、比較的最近知って、思わずワロタ
だって、ヴィーラントから眼鏡外してみな…よ~く似てるじゃん。眼鏡かければ、双子か級
Andre Cluytens in rehearsal Tannhauser at Bayreuth 1965
シリヤちゃん、貴女やっぱ、ファザコンでしたか
1970年代初頭に結婚し、1990年代まで連れ添った旦那さん、クリストフ・フォン・ドホナーニ
え~と、1967年、ハンブルク国立歌劇場か、ヴェルディマクベス夫人代役として出演時に知り合った?
何処の劇場であれ、マクベス夫人歌う場面あるかって?
Anja Silja sings "Vieni! T'affretta" from Macbeth by Verdi
Anja Silja sings "La luce langue" from Macbeth by Verdi
彼は、1929年9月8日生まれ、11歳年上のバツイチ子持ちであった…親父趣味としか思えん
三浦淳史著‘レコードを聴くひととき ぱあと2’(1983年、東京創元社発行)
コラム題名:『ミニの女王の隠れたるロマンス』
ここに、私生児として生まれたと書かれてある。お祖父ちゃんっ子だし、オッサン好きわかるわ
なお、旦那さんの連れ子にしては、継母に似ている義理の息子も笑える
Justus von Dohnányi Sings For Lauren Francesca




現代オペラ界はそれこそモデルばりの美男美女がわんさか活躍してるが
1960年代には、白熊とアマゾネスだらけの中、若きシリヤちゃんは美女中の美女であった
貧乳通り越してエグレた胸ながら(参照)、スラリとした長身で、何より舞台人として必要不可欠な華を持つ
当時の(西)ドイツの週刊誌や画報にカヴァー・ガールとしてひっぱりだこで
大流行していたミニスカートを履き、赤いジャガー乗り回す、ドイツの若い世代の憧憬の的ながらも
サッカー選手でいえばジョージ・ベスト的存在だったと推測される、AKBが束で挑んでも勝てん真のアイドルよ
フランクフルト歌劇場が特にシリヤちゃんのために上演した、ヴェルディの♪椿姫
シリヤちゃんはこの舞台において、3オクターヴ半の強力な声域を披露したのみならず
主人公が下層階級出身であることを強調した官能的な演唱をやってのけ
雌虎から悲劇のヒロインへ早変わりする目もあやな演技力を発揮し
男性陣を悩殺するわ、女性陣は終演後のお食事タイムにシリヤちゃんの物真似始めて彼氏をビビらせるわ
と書けば、どんだけカリスマ的存在であったか、よ~く知れるわな




1960年代のシリヤちゃんは全盛期にあったが、将来を心配する声が聞かれた
10代の若さにして、ドラマティック・ソプラノの領域で、声を酷使しており
バイロイト登場時、20歳頃すでに、声が痛んできている兆候が見られたためとのこと
1968年頃の英国‘Opera’誌を読むと、本人もワーグナーに偏り過ぎない配慮はしていた
けどさ、ヴィーラントのおっさん、カノジョを相当使いまくったしな~
Wikipediaに見られるように、ヴィーラントは弟ヴォルフガングと違い、祖父さん作品以外も手がけた他
ヴィーラントひょっとして、悪の本丸もとい聖地バイロイトでは叶わぬ夢の憂さ晴らしやってた?
ブリュンヒルデやイゾルデといった大役を、最愛の彼女に歌わせたいけど
そっちの役には超大物が鎮座してたし
男にとって何より一番、嫁が恐ろしいに決まってるし




そう、ヴィーラントは妻子持ちであり、シリヤちゃんはお妾さんだった
シリヤちゃんが19歳の時、ヴィーラントのオーディションを受け、二人の間に運命的な電流が通ったそうな
「わたくしは彼がわたくしの生涯で最も重要な人になりそうな気がしたわ」(彼女)
「私が初めて彼女を聴いた時、私が彼女に教えられるものは何もないということをその場で知った」(彼)
要するに、上下関係でなく、「いますぐ共同作業しちゃえッ」、芸術家として対等の立場にあったわけ
ヴィーラントは一族の反対を押し切り、祖父さんなら聖地の改革を理解してくれると信じ
無名のお嬢ちゃんを聖地の舞台に主役で上げたのみならず、ミュンヘンに愛の巣まで構えちゃった次第
祖父さんも、嫁おるのに、パトロネスや小猫の類と…血は争えん?
無論、嫁も黙ってはおらなんだ
亭主の生存中は静観していたのが、亭主の昇天(地獄落ち?)後、憎っくきドロボー猫への復讐劇に出たのよ
シリヤちゃんのミニスカ姿が、「男性出演者全員の気を散らす」
との理由で、バイロイトから締め出しの刑を言い渡したとさ
…嫁の気持ちもわかる、駄菓子歌詞だ、何とも見苦しい展開だねぇ
最晩年のヴィーラントは繊維腫という難病に冒されたが、シリヤちゃんの愛情に包まれ幸福そのもの
ヴィーラントとシリヤちゃんのいないバイロイトはもはや形骸に過ぎないという声まで上がったとなると
言わば王妃なのに、魅力的なドロボー猫にゃ勝てんを自覚していたから、苦し紛れに…しか見えんわ~




シリヤちゃんも長い目で見れば、幸福ね
70歳を過ぎた現在も現役で活躍。輝かしい経歴をいくらでも書いたろかという気は十分持つ
実際、当記事、1989年のヤナーチェク♪イェヌーファで書くはずが…を報告しておく
まァ、もしもヴィーラントとクリュイタンスに死別した27歳で引退していたとしても
天才ヴィーラント・ワーグナーの芸術を熟成させた一頁だけで、女神冥利に尽きる、そんで当記事良かろ




最後に、シリヤちゃんとヴィーラントに関する微笑ましいエピソードを一つ




何年のバイロイト公演だったかしらん忘れた、人から借りた資料は大昔に返した、正確には書けん
シリヤちゃんが♪タンホイザーに、清純なエリーザベトでなく艶っぽいヴェーヌスでの出演時のこと
ヴェーヌスは第一幕前半と第三幕幕切れ近くに歌うだけ
バイロイト音楽祭は各幕間に1時間の休憩がある
従って、ヴェーヌス役の歌手は最低4時間くらい待機する計算になるかいな
長い待機をどう過ごすかは歌手によって異なると思うけど、普通、リスク避けて劇場周辺にノンビリでしょ
シリヤちゃんの場合、車を運転し、何キロか離れた音楽祭中の宿のある村まで出かけたのよ
村の小僧どもと一緒にミニゴルフ堪能したっつうから豪快な話だ
ただ遠方でないとはいえ、職場から目の届かない範囲にまでとなれば不測の事故も考えられ、考え物
さすがのヴィーラントも甘い顔しとれん、戻ってきたら説教したると待ち構えてたら
シリヤちゃんは余裕持って職場に戻った上、文句つけようない演唱見せたため
そりゃま待機時間をこう過ごせと上司は強制出来んし、ヴィーラントも振り上げかけた腕を下ろしたって~




以上の展開は、才能と実力を後世に伝えるシリヤちゃんなればこそ、許される話
職場を出会い系サイトみたいに考えてる程度のカネの亡者のくせに社会貢献気取り小娘どもの場合
どーせ嫁との泥試合になって、下手打ちゃ不当な解雇処分受ける、上司との不倫は止しとけよ
雑魚は雑魚らしく、せいぜい貞操守って、身分相応の青二才と貧乏共稼ぎ人生歩め



連続更新1本目にこれ持って来た理由、2本目読めばわかるので、2時17分予約投稿へと続く