mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

特権守るべく、尊厳を死守せよ

前篇記事から続いた




ナチス・ドイツが温存を決めた特権階級といえば
劣悪な居住空間にある、畑に出たりする労働班、病棟などからは、食料の特配が噂されたほど
寒くないよう、ストーブが焚かれ、服もまァまァのものを着て、お湯のシャワーを毎日浴びるなど
居住空間には恵まれたビルケナウ女子音楽隊
労働班はその気になれば、監視の目を盗み、畑の作物をコッソリ出来たのに対し
音楽隊は朝夕のマーチ演奏以外、屋外へ出ての労働が無く、畑に近づく機会が持てず
食事に関する限り、ある意味、労働班より劣っていた
指揮者アルマが親衛隊に頼みさえすれば、食事の改善は可能だったものの
音楽の出来不出来が世界を左右する、下手クソ食うなかれ主義のアルマには、無理な相談
まず、任務である音楽の質を守りなさい。食事増配などの話は、それから後の相談
ルーツや神さんに関係なく、ドイツ人というのは、非情なまでに非常に厳しく出来ているようですな




ビルケナウ女子音楽隊の楽団員構成を知りたければ
『Women's Orchestra of Auschwitz』
http://en.wikipedia.org/wiki/Girl_orchestra_of_Auschwitz
ファニア回想録では、ファニアとアルマ他は何人かを除いて仮名で書かれた




Anita Lasker-Wallfisch, violoncello, Jewish, German
http://en.wikipedia.org/wiki/Anita_Lasker-Wallfisch
アニタ・ラスカー=ウォルフィッシュ
アニタは、“マルタ”(当記事においても)と呼ばれる、唯一人のチェロ奏者





イメージ 1

Piotr Iljitsch Tchaikowsky - Nocturne Op.19 Nr.4




YouTube演奏は、マルタの息子さん、英国のチェロ奏者ラファエル・ウォルフィッシュ




マルタはファニアの入団当時、チフスに罹患し、病棟に収容されていた
どうにか復帰した日、楽団員内にちょっとした諍いが起きた
病後のやつれた様子を見て、ファニアがマルタの服を洗濯してやったら
いつも孤高を保っているロシア勢の他、エーバ、大きい小さいで区別される二人のイレーヌ以外
「病気だろうが何だろうが、自分の事は自分でする規則になってるんだよ」
ファニアが、「人間は、助け合って生きなくちゃ。収容所出る日を、考えた事ある?
世間では皆助け合ってるんだから、解放された時、もう外界に適応出来なくなるわよ」
諍いの原因になったマルタはといえば、横になったベッドの上で身動き一つしない
どうも取っつき悪い娘らしい




ある日、音楽室の床の掃除当番が、マルタに回って来た
洗濯の件があるので、ファニアは黙って見ていると、マルタの掃除ぶりたるや目も当てられない惨状
雑巾をろくに絞らないせいで、床のあちこちに水たまりが出来てしまった
そこへ、初めて見る顔の総棟長が入って来たから、その場にいた皆、怒号を覚悟した
ナチスというのは、チェロの才能より、いつも清潔を重視する連中である
が、総棟長は、水たまりの中で床に這いつくばっているマルタのすぐ近くに黙って立ちはだかったまま動かない
ようやく長靴でドンと床を蹴って、マルタに存在を知らせ、無表情で黙ったままのマルタと向き合ったら
「見なさい。床はこうやって拭くんです」
総棟長は一喝してからスカートをたくし上げ、床に両膝をついた
マンデル女子隊長自ら、収容者ファニアの靴を見立てたに負けず劣らず、容易に信じられない光景
もっと信じられないのは、マルタが総棟長を止めもせず、傲然と見下ろしている姿
楽団員は皆、畏敬の念を持ってマルタを眺めた
床を拭き終わり、満足気に眺めた総棟長、マルタを頭のてっぺんから爪先までじろり睨むと
「これが正しい床の拭き方。わかった?」
マルタは悪びれた所が見られないどころか、むしろ挑戦的に、「はい、総棟長殿」
総棟長はくるりと背を向けると静かに音楽室を出て行った
「あの女、父の家の下働き女中だったのよ」
マルタはいかにもドイツ貴族らしい傲慢さで冷然と言い放ち、さっさと自席に座ってチェロを取り上げた




それから何日か後、夜、マルタがファニアに、「ね、いい?」と話しかけて来た
床掃除の時の女王様ぶりを、ファニアが称賛してやると、マルタは珍しく忍び笑いして
「でも、うちじゃ、あの人を奴隷扱いしなかったわ。召使いは優しく扱ってたから
炊事婦や子守りや小間使いが大勢いて、わたし、あの人をあまり見た事無かったのよ
力仕事ばっかりやってたようだけど」
もう一度クスクス笑うと
「総棟長が言った通りよ。わたしは、掃除や家事はダメ。父が習わせるはず無いわ
大学を出て音楽院に進んで、一日中音楽ばかり。父が流行ってる弁護士で、お客様が多かったし
姉と一緒に街を歩いている所を一斉ユダヤ人狩りで捕まって、その日から生活一変しちゃったけど」




周囲から浮いたお嬢様も差し向かいで話せば、人懐っこく、優しい
マルタは、フランス人革命家である小さいイレーヌが、音楽隊で一番の親友となった
音楽隊がドイツ国内のベルゲン・ベルゼン収容所移送後、力仕事する必要出た際
150cmファニアよりもさらに小柄なイレーヌが、森の労働を志願すると、大柄なマルタが代わりに働いたのは
「肉体労働に向かない小さいイレーヌが行けば、死ぬ」がわかっていからであった
ドイツ上流階級お嬢様と、フランス人革命家。同じユダヤ系でも境遇が対照的な二人が親友となる
極限状況が、音楽が、平時であれば出会う機会無かった二人を、生涯の親友へと導いた




マルタが実は優しいお嬢様を、元下働き女中も見抜いていた?
逆転した権力を笠に着て、懲罰与えるが可能であったのに
総棟長の得意分野が、世間知らずのお嬢様が地獄を生き延びられる手段の一つであるを
総棟長自ら女中の位置へと戻り、余計な説明抜きに教えたのであろうか




ところで、ファニアは、性悪なアーリア系ポーランド女たちが大っ嫌いであった
抵抗運動といった反社会分子として捕まり、共産主義者でない限り、まずガス室行きの恐怖ないアーリア系
その中でも、何世紀にも渡る「悪い事は全て、ユダヤのせい」の伝統を刷り込まれたポーランド系は最悪
例外は、物静かなハリナ、そして、ファニアが音楽隊入隊当初から親切なエーバ




エーバがある夜、「戦争が終わったら、パリへ行く。あなたは、クラクフヘ来てちょうだいね」
ポーランドにも、親切な人はたくさんいるを見て欲しいの」
エーバはその日、ファニアと同じく、性悪組ゾハの信じられない行為を見ていた
ゾハは家が収容所からさほど遠くなく、毎朝ミルクの差し入れに恵まれた
ボウルに残った真っ白いミルクを、皆が喉から手が出るほど欲しい貴重品を、地面に流し捨てるなんて…
「どうやればナチを一番喜ばせ、ナチと同じよう残酷にやればを学習してしまえば
親衛隊は彼女たちを信用し、生命の保証されるからね」
ファニアがエーバに、若い娘が異常な環境に放り込まれたらどうなるか説明するも
「でも、わたしはポーランド人だから、ポーランドの将来を思わずにいられない
我々は生きて出られる確率はユダヤ系より高く、ここを出た後の彼女たち(性悪組)はどうなるの
一旦ああなった人は、結婚し、子供を作り、平和になったポーランドで、どう暮らすのかしら
彼女たちを動物のような人間にした責任は、わたしたちにもあると思うと辛いのよ
ここに入るまで、あんな荒んだ人たちがいるなんて、想像もしなかった…」
性悪組とて、戦争が起きなければ、田舎の喫茶店ウエートレス程度に終わるが心安らかに送れた人生
ミロクという息子の母親である30歳、伯爵令嬢で夫も貴族、教育に恵まれたエーバにとって正視が辛いのね




エーバと同じ感情を、ファニアも味わったはず
同じ列車でビルケナウに到着、同じ日に入隊した、パリ娘クララ
20歳になったばかりの、両親と婚約者を無邪気に愛する、上流階級のお嬢様
逮捕されたストレスから、パリの監獄で差し入れ他を食べまくり、すっかり太ってしまい
その体型を維持するべく、ビルケナウでは、食べ物中心に支払ってくれる男どものお相手を始めた
クララ一人の身を削るで済む話であれば、ファニアも見守るしかなかったが
ビルケナウから移送されたベルゲン・ベルゼンにおいて、カポ(監督)の地位を与えられた結果
権力に有頂天、もう誰の言葉にも耳を傾けず
食欲以外の欲望まで晴らすべく、小さなミスしたフランス娘を気絶させるほどの暴力を振るう
一連を眺めていたファニア、「最後の一線を越えてしまった…」




このクララ、生還出来たものの、戦後に支払った代償は大きかった
カポ経験が裏目に出て、生存者連盟に入れて貰えなかった
結婚したが、赤ん坊はよだれかけを喉に詰まらせて窒息死した
夢に見ていた音楽界での大成も手に出来ず、TVプロデューサーとして短い活躍の後、世を去った
…因果は巡る、自分の末路へですかね




クララは言うに及ばず、アーリア系だろうが自分たちも収容者に変わりないポーランド女も
彼女たちを抑圧する者に右へ倣えすると比べれば、床掃除名人の総棟長が人間出来ているよ
親衛隊員としてはかなりの残虐行為を働いた一方では、一人の女性としての内面を垣間見せたマンデルもね




権力者側、抑圧される側、立場がどうあれ、それぞれの中での特権を手にすれば、自制が大事なのよ
戦争が終わり、生き残っても、人それぞれの抱える過去との闘いまでは終わらないのよ




‘死の国の旋律~アウシュヴィッツと音楽家たち~’
アタシが観たのは、2003年の初放送
Zofia Cykowiak, violin and music copyist, Polis, Nr. 44327
ゾフィアは当初、NHKの番組取材を頑なに拒否した

当然でしょ
仮借無い記憶力の持ち主であるファニアでさえ、回想録を発表したのは、解放30年経った1976年
人生を取り戻し、軌道に乗せるのが先決だったからね
最後まで演奏を続け、どうにか生還するが、生き残った者の罪悪感に苦しめられていたら?
誰からも信じて貰えず否定されたりしたら?
語り部の役割を頭ではわかっていても、行動に移すには長い年月が必要




ただゾフィアの場合、解放後18年ほど経った頃にアウシュヴィッツを訪れている
残された収容所の建物の壁や床、壊されたガス室や焼却炉などから
何万人もの亡くなった人々の叫びを聞く事が出来た
静かに自分の経験を思い起こし、その辛かった場所に来て
ようやく心が癒されていく事を感じることが出来たって…
記憶の夜と霧が晴れると見える真実とは…?