mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

極上の音楽奏でる聖なる酔いどれ楽団

花粉症でもないのに、涙が出ちゃう。だって、ワーグナーが好きなんだもん(アタックNo.1風に)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
花粉症デビュー覚悟で、花のお江戸へ飛び、実演を聴きたいや~い
取り敢えず、ブツブツ文句タレながら、昨年2月16日のアメブロ別荘記事を使って遊んどこっと
小説家志望くずれゆえ、自分でアタシの脚色能力実験にもなる
元記事の時点で記憶力頼り、ミスが散見されても知りま宣言
 
 
 
 
花の女子高生だった頃、1981年春~1983年春年までね、選択科目の芸術で音楽を専攻したmathichenさん
美術、書道は、授業終了時に作品提出がメンドクサイ
音楽なら、居眠り、あるいは、教科書の陰で小説のネタをメモ出来る
と思っていたら、音楽には楽典つまり筆記試験が存在し、歌の方で低いソプラノ張り上げて切り抜けるハメに
従って、楽譜読むのは、48歳の現在も苦手な部類ざます
それでも、今年ワーグナー歴21年を迎えるから、感性という意味での良い耳持てば何とかなるんじゃ
 
 
 
 
昨年2013年、緑の東京でなく伊太利亜ヴェルディとともに、ワーグナーは生誕200年を迎えた
ワーグナーといえば、まず、♪ニーベルングの指環を思い起こしますかね?
『序夜と3日間のための舞台祝典劇』、4部作完結まで26年、上演に約15時間を要する長大作品
とにかく長ったらしい。ここで話し出したら、約17記事は要する超大作
そこで、昨年2月16日に思い出したことだけを1つの記事にする
 
 
 
 
 
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1958年から録音が始められた、ゲオルク・ショルティ指揮ウィーンフィルによる、世界初の『指環』全曲
厳密にいえば、正規スタジオ録音として世界初であり、ライヴ録音は以前からいくつか存在した
1955年には、ショルティ盤より早く、ヨゼフ・カイルベルト指揮バイロイト音楽祭がステレオ録音された
ショルティ盤を製作することになるジョン・カルショーが、英国デッカ勢を連れ、聖地に乗り込んでのもの
これは現在、英国Testament盤で聴けるが、長年、デッカの倉庫に眠っていたとの由
恐らく権利関係、出演歌手陣の了承その他の調整が難航して暗礁に乗り上げたと思われる
カルショーさんよほど悔しかったのやら。ショルティ盤を1965年まで7年かけて完成させた
 
 
 

同じ英国のEMIもさぞかし?何しろあそこは、戦前から『指環』に呪われているもんな
落としたらパリ~ンと割れる、約5分ごとに裏返す必要あるSP盤時代に、全曲録音を計画して敢行したら
時代は鉤十字ドイツが調子こいている1930年代、総統さん出身国墺太利ウィーンフィル使ってなので
指揮者がユダヤ系で亡命、歌手も同様のため、♪ワルキューレ途中で見事に頓挫しちまいましたに加え
1954年、またまたウィーンフィルで始めたら、今度は指揮者が昇天されてしまい、♪ワルキューレだけ
Rita Hunter and Alberto Remedios sing the love duet (In English) from Götterdämmerung
このYouTubeより数年後になるが、1970年代に、大英帝国は倫敦での英語版ライヴを出したものの
本場主義の潔癖な日本では相手にもされず
などなど、EMI指環史だけで、序夜と3日間のための舞台祝典劇の長さとあって、デッカに先越されたのはねぇ
EMIの名プロデューサーだったウォルター・レッグが、デッカの全曲録音計画に
「そんなモノ作ったって、売れないよ」と嫌味タレたのは、負け惜しみ?
レッグさん、貴方は、長年の希望であったヴォルフの歌曲集が叶った、そっちで我慢しときましょ
フーゴー・ヴォルフ協会の成立に最低必要な500名の予約者を集めることに成功し
1932年4月にエレナ・ゲルハルトによるSP盤6枚組アルバムが発売されたね
予約者のうち111人は日本からのものであり
ヴォルフ歌曲が昭和6年当時の日本では未知との遭遇であるを思えば、奇蹟だぞ土下座するべし
…寄り道はこの辺にしといて
 
 
 
 
YouTube文字リンクは、1964年に録音された♪神々の黄昏より、ジークフリートの死と葬送行進曲の録音風景
ショルティ盤録音は序夜♪ラインの黄金から始まり、第二夜♪ジークフリート、第3夜♪神々の黄昏と続き
1965年の第一夜♪ワルキューレで締めくくられる
ジークフリート役のヴォルフガング・ヴィントガッセンが、1914年生まれ
「アタシも後2年で、こんな白熊になるのか~」じゃなくて
40代後半から50歳頃の全盛期に録りたかったので、ジークフリート誕生前のワルキューレを後に回した?
その結果、神々の長ヴォータン役ハンス・ホッターの喘息と不調が…も置いといて
 
 
 

オペラ録音は言うまでもなく、作品の時系列に録るわけではない
歌手のスケジュールに合わせ、細かく場面を分け、最終場面を最初に録ったりみたいなのはザラ
ショルティ盤指環録音にも、次のような笑い話が聞かれる
 
 
 

1958年のラインの黄金幕切れ、『ヴァルハラ城への神々の入城』
この部分のセッション終了後、カルショーは録り直しの必要に気づいた
録り直しの必要でなく、ウィーンフィルがその日の予定を間違えていたんだっけ?
ともかく楽団を呼び戻したまでは良かったものの
楽団はもう仕事上がりの酒と軽食を堪能した後で、「エ?残業あんのぉ?」とフラフラ千鳥足で登場した
が、酒飲み大トラ集団でもさすがは世界屈指の名門オーケストラ、世界に冠たるプロフェッショナル集団
見ん事役目を果たし終えた
…のだけどね
 

 
 
 
 
 
 
YouTubeではわかりづらいけど、10:17辺りから耳をダンボにしてみましょ
ラインの乙女の嘆きが消え、神々の入城の勇壮な音楽に変わるね
オーケストラの音量、特に管楽器、急にグーンと上がるでしょ?
…グーンと上がる部分が、ハイテンションな酔っ払い楽団の証だってば…




ウィーンフィルだけイヂメても悪いし面白くない
ラインの黄金録音エピソードからもう一つ、歌手に関する笑い話通り越してバカ話を




ラインの黄金、そして次のワルキューレには、結婚の守護女神フリッカが登場する
ショルティ盤では、ラインの黄金キルステン・フラグスタートワルキューレがクリスタ・ルートヴィヒ
予定ではワルキューレでもフラグスタート、しかし録音の間が開き過ぎたせいで、亡くなったのよ
ルートヴィヒがまだ40歳くらい、一方フラグスタートは、第一線離れた60歳を過ぎていた
フラグスタート本人は意欲満々、しかし病気に勝てなかったよう
フラグスタートは本来、ドラマティック・ソプラノ。メゾソプラノ役のフリッカはあくまで録音用
カルショーに懇願され、本人も楽しく参加したそうだけど
だから青二才は嫌なのよ、偉大なるワグネリアンの価値知らないんだから、とばかりに登場するのが
雷神ドンナーエーベルハルト・ヴェヒター、幸福の神フロー役ヴァルデマール・クメント、どちらも29歳
小奴らがですな、フラグスタート見て、「何で、あんなバアちゃんが今更?」とヒソヒソ話していると
悪いコトは出来ないもの、フラグスタート本人に聞こえちゃった…
さすがにバツ悪くなり、ヴェヒターの方が、「お国のスウェーデンは如何な感じですか?」と時候の挨拶した所
「お若いの、ワタクシは、ノルウェー出身ですよ」と返ってきたから、素直に誤りを謝ればいいのに
ノルウェースウェーデンも似たようなものでしょう~」って…
その後どーなったか?知らん。証人のカルショーが怖くなってその場を逃げ出したというんだもん
ま、小僧どもは録音完了まで、私的には大先輩からシカトされ続けたとは思うわね~
なお、小僧どもはウィーン出身。mathichenさんと知人が、『維納の天然ボケ二匹』と命名しましたとさ

 
 
 
上段最後の行に書かれた知人、1954年生まれのオッサン
小奴が、mathichenさん誕生の1966年頃から、歌物、とりわけワーグナーが好きでね
1993年に、アタクシを取り込むことに成功したの
アタクシは何しろ…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
レーゲンスブルク音楽学校時代篇である第1部しか完読しておらず
でもまァ、これが、叙事詩‘ニーベルンゲンの歌’、そいでドイツとの、36年来の縁となる
(厳密に書けば、1972年のミュンヘン五輪以来、42年来の縁。ただし当時は、ドイツなる国は意識していなかった)
 
 
 
 
Richard Burton as Wagner (TV series, 1984)
これ、TBS系放送されたの、1983年秋じゃなかった?
ともかく1983年といえば、ワーグナー没後100年に当たり、そのおかげ様でしょ
日本公開はずっと後の1980年、しかも諸事情からフィルム散逸した、話がわかりづらい3時間強編集版
約4時間の本来の構想通り版は、1983年晩秋に、深夜枠TVで本邦初公開された
関西TVが映る地区のみ。当時、永遠でなくホントの17歳、ちょいとセコイ優越感に浸った
 
 
 
 
…以上の段階他を経て
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここには写っていない場所にも、ワーグナー及びオペラのCD・LD・DVD・放送録音を大量に所有している
オッサン、いま生きとるのか知らんが、昇天ないし地獄落ちは自業自得だよ
mathichenさんからどんだけ、CD・LD・DVD・放送録音を借りて美味しい目見たのさ?
借りには、恩返しやっちゅうねん!
 
 
 
 
(追記)
♪ヴァルハラ城への神々の入城をCDで聴いていたら
記事題名の『酔っ払い』を、ウチの屋号と同じ『酔いどれ』へ変更したくなった
ウィーンフィルの皆様ご愁傷様~
 
 
 
 

 
 
 
↑のYouTube、オトコとオンナの倦怠期にある神さん夫婦の場面なんだけどさ
ヴォータンの帰宅拒否症って、フリッカの顔見るのが怖いとでも?という気に襲われる
1958年当時、ロンドンは38歳、フラグスタートは63歳、つまり四半世紀姉さん女房となるもんでね~
 
 
 
 
女は揺り籠から墓場まで、オンナである。お黙りッとお尻ペンペンしといて
ジョージ・ロンドンって、顔はブッサイク系なのに、声は男前だ
1961年録音のエーリヒ・ラインスドルフ指揮ロンドン交響楽団の♪ワルキューレも聴くとするか~
mathichenさんの涙腺崩壊させる場面、♪ヴォータンの告別と魔の炎の音楽をペタリ☆
指揮は、ハンス・クナッパーツブッシュ。オケがね、1958年の酔いどれ楽団なのよ(逃)