mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

『人間は考える葦』、現代のお伽話に

しばらく前、ヤホー記事散策したら





いまのTwitterはご臨終同然
情報収集ツールとしての役割を果たさなくなった
そろそろ自分はTwitterから撤退しよう
TwitterからのRSS取得が2013年3月5日で打ち切りへ』
http://gigazine.net/news/20120907-twitter-api-rss/
この件に関しては自分は影響出ないが
PCからの閲覧に見られる初歩的な不具合を放置していたりと
Twitterスマホが基本で、自宅PCから閲覧する時代遅れは切り捨てる魂胆
コミュニティーには寿命があり、それを管理するサイトもまた然り
完全にモバイル特化サイトを行うなら、その有用性を認める
PC閲覧に不具合起きても何ら明確な態度を示さないのは、運営元の問題だ





管理人自身の利用法なども書かれてありますが、概ねは上段のような内容
…いまのヤホージャパンにそっくり当てはまる気がするよね?




Twitter、ヤホージャパンともども、完全にモバイル特化サイト宣言したら許す
会社の意向に移行出来ない利用者は身の振り方をサッサと決められるじゃん
何ら明確な態度を示さないのって、モバイル特化による損害を考えてでしょ
どちらの企業も長年、PC利用者を多く取り込んでいて、むざむざ逃したくはない
スマホ買わすための戦略は打ち出そうが、100%成功しないは承知してるのよ
健康な人間が、毎日、会社や学校他の出先でモバイル投稿が主流の時代
だとしても、各々の事情や個人の意思から、自宅でPC投稿も多く、侮れない
少し頭回れば、ネット利用者が全員、同じ条件の恵まれた環境にいないもね




mathichenさんは、世界に冠たるTwitter嫌い(理由はネズミ講的多さのため割愛)
ブログの可能性と未来性恒久性を信じております
TwitterFacebookの特性を、その気になれば、ブログでも展開出来ますからね
いや、ブログの方が自分のペース崩さず、一方通行で細くとも長くやりやすいわ
開放的空間であるブログと対照的に、閉鎖的空間であるSNSの場合
独りブツブツ垂れ流しを好む孤高も存在しますが
フォロワーやフレンドの数が多いと、人間関係濃密になり疲れそう
2008年にブログ開始のアタクシが及ばない、ネット歴長い人の中にもいますよ
皆がブログ放置してTwitterに走っている時代だからこそ、ブログの価値を再考
敢えてブログに戻り、自分の負担にならない好きな形でやるんだ




お手軽を携帯すると、負担と難題が増えるものでもあります
企業情報や芸能人のお忍びデートを得々と垂れ流しながら
後日自分はこんな事を書いてない、他人が勝手に書き換えたんだと
反省の色が全く見られない痛い輩多い昨今ですが
自分の言いたい事・思っている事をメールで友人に送る感覚じゃダメなんですよ
他人を誹謗中傷するなら、それ相当のリスクを負う事を理解し
印形だけでなく呟きも首とつりかえの覚悟を持ちなさいっての




子供の頃からネットが生活必需品である若い世代には理解不能ですかね
それでも敢えて書くと




無から有は生まれない
どんな新しい価値観だろうが全て、古い価値観が存在すればこそ現れる
最新技術の開発も然り
どんなに便利なディジタルだろうと、太古のアナログが存在しなければ?
言葉は口から出た段階で、もう過去になり、現在は存在しないから
旧約聖書ヘブライ語は現代ヘブライ語と違い、現在形は無いが
過去形に基づき、未来形を作るというか、言葉に限らず何でもそうでしょ









マックス・フリッシュの小説、邦題‘アテネに死す’(1957年)が原作
原題の意味は…





【(ラテン)Homo faber】 《工作する人の意》人間観の一。
物を作る道具を製作することに、他の動物から区別される人間の本質的規定があるとする考え。
ホモサピエンスに対する用語。





主人公はといえば…
テクノロジー信者で、芸術など軽蔑する、偶然などを信じないフェイバー
若くてもわかる実に単純な事が見抜けず、時は流れた彼の辿る末路は…





【自己疎外】 《(ドイツ)Selbstentfremdung》
1 ヘーゲル哲学で、ある存在が自己の本質を本来的自己の外に出し、
自己にとって疎遠な他者となること。
2 初期におけるマルクスの哲学で、資本主義のもとでの人間の非本来的状態をいう。




ソポクレスが、はるか紀元前427年頃に書いた、‘オイディプス王’
それを下敷きにした物語
野暮天が柄にもなく、美術を愛する女子学生エリザベスと相思相愛になったら
彼がバカにする偶然により、仕事のため捨てた古い恋人の娘どころか
恋人が妊娠を告げても、自分の子供だと計算すら出来なかった愚を知らされ
父親が娘を死なせてしまったと取れる悲劇的結末を迎える




「人間が自分で生み出した物によって、逆に支配され、非人間化していく」
これが、『自己疎外』の本来の意味です
フェイバーは血の通わない機械類を信仰するあまり
血の通ったエリザベスを破壊してしまった
(Elizabethはヘブライ語では、『我が神は我が誓い』。破ったらアカンわな)




人間鈍化という、20世紀や21世紀になっても古びない話とは、情けなや~




ブログに話を戻すと




Yahoo!からトンズラされた達人様いわく
HPが先だった目から見れば、ブログもお手軽な媒体とのこと
そーでしょうね~




ところで、その達人様が最近驚かれたのは
ブログの総投稿数の変化
2009年・・・92万件
2011年・・・71万件
2012年・・・36万件
と1日の投稿数が、2009年の3分の一になっているデータ




主流の情報発信媒体はやはり、TwitterFacebookでしょうね
「でもどんどん流れて消えるTwitterにはない良さが ブログにはあるよね。
だからこそ検索からブログに来るお客さんも多いわけだし。」




小ぶりなウェブリにまで、Yahoo!アバター終了の謎を調べに来たりなどを見ると
アタクシとて、例えば2002年頃のFC2記事を参考にするとか、調べ物にブログ検索が役立つを思うと
手間暇かかる分、人の想いが込められやすく、書き手がこの世に生きていた証しになるわけだし
ブログがやはり、一番の可能性と未来性恒久性を持つ情報発信媒体と信じております




ブログにせよ、他サーヴィスにせよ
利用者の想いが込められており、終了するにも物事には道理を通さねばならない
Yahoo!のみならずネットサーヴィスは念頭に置いて頂きたいですね




* ちょいと理由あって、独話別館とウェブリ休憩所の記事を編集して一本にまとめました