mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

希望と慟哭の戯れる深き淵への光明

作業員の一部にうつ症状、チリ落盤事故
2010年08月28日 16:44 発信地:コピアポ/チリ

【8月28日 AFP】チリ北部のサンホセ(San Jose)鉱山で起きた落盤事故で、地下に閉じ込められている作業員33人のうち、5人がうつ状態を呈し始めていることを、ハイメ・マニャリク(Jaime Manalich)チリ保健相が明らかにした。

 26日には、約3週間が経つ地下700メートルの生活に耐えてきた作業員たちが元気に映るビデオが、地上の家族たちのもとに届いたが、その一方でビデオに映りたがらなかった作業員たちがいたことが分かった。
 マニャリク保健相は「作業員のうち5人は仲間たちから離れ、食事もよくとっておらず、カメラに映りたがっていない。うつ状態にある」と述べた。食糧などを下ろしている管で届けた通話装置を使って、精神科医がケアにあたろうとしている。

 救出までには数か月かかることが見込まれ、苦しい地下生活が今後さらに長期化することから、チリ当局はすでに隔離空間における生活に詳しい各方面に協力を要請しており、週末から週明けにかけては米航空宇宙局(NASA)の専門家も現地入りする予定だ。またチリ海軍の潜水艦の司令官らもすでにアドバイスを行っている。

 また1972年にアンデス山中で起きた飛行機事故で、乗客の遺体を食べながら約4か月を生き延びた16人のうち少なくとも5人もウルグアイからチリの落盤現場へ向かう見込みだ。

 72年の事故の生存者の1人、ルイス・インシアルテ(Luis Inciarte)さん(62)は、「地上へ戻り、互いに抱き合えるときが来たら、2か月や3か月なんていう時間が人生でいかに短いものか分かるだろう」と語った。(c)AFP/Moises Avila Roldan

( 出典先:AFPBB News
生存者(1974年)

『生存者』(原題:Alive: The Story of the Andes Survivors)は、イギリスのノンフィクション作家P.P.リード (Piers Paul Read) によって、生存者とその家族へのインタビューを元に書かれた。冒頭で、生存者たちがこの本を出版することを望んだ理由が記されている。

“ 我々は、この本が出版されるべきであると決めた。多くの噂が流布されている真実は山脈の中で起こった。我々は死んだ友人たちと、我々が必要としたとき愛を込めて我々のことを受け止めた彼らの両親の理解に我々の苦しみと連帯感が書かれたこの本を捧げる。 ”

2005年の再版時に Alive: Sixteen Men, Seventy-two Days, and Insurmountable Odds (直訳:生存して:16人の男たち、72日間、そして困難な賭け)と改題された。また、序文は著者と生存者のホセ・ルイス・インシアルテ、アルバロ・マンヒーノの2人のインタビューに改訂された。

日本では、1974年に『生存者 : アンデス山中の70日』の題で平凡社から刊行され、1982年には『生存者』の題で新潮文庫から文庫化された。また、本書がアメリカ映画『生きてこそ』 Alive (1993年)の原作となった。

Miracle in the Andes: 72 Days on the Mountain and My Long Trek Home(2006年)

救助から34年後、ナンド・パラード著のMiracle in the Andes: 72 Days on the Mountain and My Long Trek Home(ビンス・ラウス共著)が出版された。この本には、パラードが実際に体験した体験談が綴られている。

“ 事実上、我々の生還は国家のプライドの問題となった。我々の試練は輝かしい冒険譚として祝われていた。…私はあの山脈には栄光などなかったと彼らに説明する方法を知らなかった。それは、全ての醜悪さと、恐怖と、自暴自棄と、とても多くの罪無き人々が死にゆくのを見る不快だった。また、私は報道が我々が生存するために食べたものに関することを扇動したことに動揺した。我々の救出後すぐに、カトリック教会の職員たちは、教義に照らしても我々が死者の肉を食べたことは罪に当たらないと発表した。ロベルトが山で論争したように、教会は罪は自分たちが死にゆくことを許容することにあると世界に発表した。私にとっての素晴らしい満足だった出来事は、死んだ少年の両親の多くが、我々が生き残るために選択した行為を理解し、受け入れたことを世界に公表し支持を表明したという事実だった。…これらのジェスチャーにも関わらず、多くの報道が無思慮で強引な方法で我々の食事に焦点を合わせた。中には薄気味悪い写真を一面に飾り、恐ろしい見出しで報道した新聞もあった。

Wikipedia:『ウルグアイ空軍機571便遭難事故』より引用 )
 
状況は違えど、『生存者』特有の罪悪感との闘いは避けられないでしょう
何故、自分が生き残り、仲間は落命したのか…
 
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頭と体型の変化くらいで大差は無いので、若い頃ペタリ
 
ビジャの名前がダビドでも、巨漢ゴリヤテ級敵を倒すだけの怪力は無理な相談
激励メッセージ入りバルサユニ、それで充分、思いは伝わったと思います
世界は見捨てていないとの