mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

慟哭と恩讐の彼方に想いを馳せて

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マルガリータ≫でプチ同窓会をひらいた1943年生まれ爺さんトリオ
預貯金と年金バッチリな老後の模様。爺さんの1人は欧州旅行写真集を持ち込んで「ほれほれ観てくれや」
クロアチアで撮った教会画が気に入り、他の何枚かと合わせ携帯に撮らせてもらいました
(後日、アタクシのお願いに爺さんどもはメチャ感動していたと、料理界のイチロー必勝祈願より)
 
 
 
バルカン半島といえば
 
 
 
 
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1914年、ロシア帝国を後ろ盾とする汎スラブ主義に沸くバルカン半島
ハプスブルク帝国継承予定フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ大公夫妻訪問
飛んで火に入る夏の虫。サラエボの町でセルビア民族主義を奉じる秘密組織黒手組の凶弾に仆れた
大公夫妻が治安を懸念する周囲から訪問をやめるよう忠告を受けていたのを振り切った理由として
ゾフィー・ホテクは貴族出身で皇位継承者夫人なのに、幼児を含む皇族の末席に置かれる冷遇に耐える日々
ゾフィーとの結婚ゆえに、『皇太子』ではなく遠回しな『皇位継承者』と呼ばれるフランツ・フェルディナント
サラエボでは、皇太子夫妻待遇で迎えてくれるという
大公妃の称号すら許されないゾフィーが、皇太子妃として夫と同席出来る
訪問中に14回目の結婚記念日を迎えるもあり、本来あるべき自分たちの姿を一時でも享受したい
フランツ・フェルディナントの治療が遅れたのは、お洒落好きの服装を取り外すに時間かかり過ぎが原因は置き
最期の言葉が、「ゾフィー、死んではいけない。子供たちのために生きなくては」
皇位継承権を与えられない不遇の下に生まれた子供たちの将来が不安だったのでしょう
凶弾は大公夫妻を葬ったのみならず、第一次世界大戦を招き、やがてハプスブルク帝国を崩壊させた
経緯を考えれば、ハプスブルク帝国は自業自得、因果は巡る糸車のように
 
 
 
サラエボといえば、イビチャ・オシム監督の出身地
オシム監督はドイツ語・フランス語・英語に堪能であるものの、込み入った思考言語は母語セルボ・クロアチア語
難解な言語であり、日本には専門家がいないか手薄らしく、学習者が何人かがかりで通訳することあったよう
 
 
 
難解な言語といえば、デンマーク語も発音記号か何かがメンドクサイといわれます
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市を慰問し、企業からの義援金を贈ったフレゼリク王太子
その父君、マルグレーテ女王様の旦那さんヘンリック殿下(フランス出身のモンペザ伯爵)など
結婚後比較的早くにデンマーク語を習得するも、いまだ国民のジョークのネタにされるほど訛り強いんですとさ
(中国語とベトナム語が話せるからネタにされちゃってるのも???)
長男の嫁モンペザ伯爵夫人は、タスマニア出身のメアリー・エリザベス・ドナルドソン
次男坊ヨアキム王子と離婚したフレゼリクスボー伯爵夫人は、香港出身のアレクサンドラ・マンリー
何とも国際色豊かにして出身成分クソ食らえな家庭環境ですことよも置き
フレゼリクスボー伯爵夫人は、結婚後1年足らずでデンマーク語完全マスターする才色兼備
デンマーク国民には、フランス流儀抜けないヘンリック殿下より人気高く、『アレックス』と親しまれているそうな
 
 
 
デンマーク、そして旧ユーゴスラビア地域といえば
 
 
 
 
 
 
本大会出場が決定していたユーゴスラビアが内戦による国際試合参加禁止の制裁により出場権を剥奪され
予選同組2位の、休暇先でボーッとしていたデンマークが呼び出され
夢見心地のままプレーしたのかは知らんが、よりによって極悪ドイツに勝っちゃって欧州制覇
統一後初のタイトル逃がしてガックリの反対側では、開催国スウェーデンの皆様も沸き上がる北欧勢
何でもスタンドからはドイツに対して、「Auf Wiedersehen!(さよ~なら~。再見)」
考えるまでもなく、ドイツにはハプスブルク帝国に負けず劣らずの、全欧州を二度目の大戦へと招いた歴史ある
フットボールは戦争だという奴は、本当の戦争を知らん」
クロアチア出身のズボニミール・ボバンが主張説教したって
人間やっぱ大なり小なり代理戦争やっちゃう性みたいですねぇ…