素朴な疑問が1つ
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「認知症ってボケ散らかして忘れるのが仕事で、最愛の嫁死んだことさえ忘れてしまうかも知れんが
自分の本当の名前や人種まで綺麗サッパリ忘れてしまえるん(・・?」
嘘吐きはドロボーの始まりにして、死ぬまで嘘を吐き続ける後半生の始まりである
最初に吐いた嘘が破綻しないよう嘘に嘘を重ねたりを考えたら、認知症発症なんて不利じゃね?
『手紙は憶えている』のように、嘘吐き自身は忘れてる嘘を暴ける者がボケずに長生きしてりゃ超怖コワなのねでしょがw
どうあれ、2014年に撮影され、翌2015年に公開された『手紙は憶えている』
2016年時点で「存命者は80代以上、時間との闘い」
加害者と被害者の双方とも、頭ダイジョブでも首から下が弱る一途を辿るため、2010年代が、ナチス裁判時間切れ手前の時代を思うべし
■被害者たちの証言
これらの裁判で聞いた話はどれ一つ同じではなかった。
私の同僚のフイ・ミン・ネオ(Hui Min Neo)は、
カナダから来て証言台に立った小柄な女性、アンジェラ・オロズ(Angela Orosz)さんの話について心を痛めながら語った。
オロズさんはアウシュビッツで生まれ、母親やその他の収容者たちの助けによって生き延びた数少ない子どもの一人だった。
すべての被害者にそのような痛々しい過去を語る権利があり、彼らがその機会を持てなかったことは極めて遺憾だ。
強制収容所内で産まれた子供に関する限り
「ホロコーストの生き証人」とかあり得ない罠
ホロコースト、強制収容所生まれの👶を否定する意味でなく、👶の語る内容は「親(大人)の記憶」という点を指している
加害者側も、何処かに雲隠れしていた加害者をナチ・ハンターに発見されて裁判に掛けられようと
最後の裁判か
フルヒナー被告の裁判は、ナチス時代の犯罪に関してドイツで行われる最後の裁判になるかもしれない。
ただ、いくつかの事件についてはまだ捜査が進められている。
シュトゥットホーフにおけるナチスの犯罪については、近年、別の2つの事件が裁判になった。
元収容所看守の男性は昨年、共謀罪で有罪となる「可能性が高い」と裁判所から判断されたが、裁判に不適格とされた。
2年前には、別のSS収容所看守だったブルーノ・デイ被告が、収容者5000人以上の殺害に加担したとして、執行猶予付き禁錮2年の刑が言い渡された。
裁判に不適格とされた元看守、ぶっちゃけ100歳前後でボケてるか裁判に耐えられないほど身体ヨボヨボによる不適格でしょね
あと、あまり言いたくないけど、2020代現在、加害者側にはもう、世間が驚愕するような大物なんていない
映画『ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言』予告編 - YouTube
ナチス支配下のドイツ・第三帝国を見知る高齢者達というのは貴重ながらも
2010年代~2020年にそれなり動き回れ証言出来る高齢者達って
1933年~1945年のナチス政権下で成長した1920年代生まれ世代を考えてみれ
仮に、1924生まれ親衛隊員が1世紀後の2024年現在もボケず健康で存命中としよう
それはゲシュタポ電話番や親衛隊員宅の子守りといったパシリというか、ナチス中枢に関わってない小物だよ
小物だから赦したれというのでなく、1920年代生まれで大物というのはとっくの昔にいなくなっている意味である
AI画像の所為で美人過ぎるし、名前も間違えてるけどは置き
1945年12月3日、敗戦から半年そこらの速さで、ナチスでの全刑死者最年少の22歳で処刑された「石の心を持つ女」ね
早い話、1920年代生まれで正真正銘の大物なら
逃げ切りは勿論、恩赦で釈放され自然死がいても、処刑済みで2024年現在もう生きてないってコト
存命中の小物達に対しては
「自分は加害者ではないという言い逃れ、自己弁護、総統閣下への支持でなく、ナチスに加担した後悔を」
「自分の恥だ」……元ナチス親衛隊員、BBCドキュメンタリーで語る - YouTube
こういう人の言葉が一番心に刺さる。
過ちは犯しても、自分の恥をここまで話せるのは本当に凄い事だと思う。
本当に人を傷つける人は、自分の恥を知らないといけない気がする。
被害者が学ぶ事もあるけど、加害者も学ぶ事は沢山あると思う。
自分の使命として、償う意味として後悔しても恥じても、自分の愚かさを痛感してほしいと思う。
今の日本人にも当てはまる。
日々の生活が余りにも厳し過ぎて盲目的になり、自らが考えて社会の中で働くと言う事をかなり放棄しているから。
当たり前だという感覚は怖いよね、
その通りだと思います、考えないことは罪なんだと思いますよ
自分の頭で考えようとしない事が最大の罪です。
そして後になってから私達は騙されてとか、一億総ざんげと言って責任の所在を曖昧にしようとする。
そのような風土が存在する限り、同じ過ちを繰り返す事になります。
自分の頭で考え、責任を持って行動しない人々は政治的に保守革新を問わず存在します。
「物事を見る目を失わないでください」
これが真理やな
恥を自覚する時間は僅かでも可能だよね