何でまた今頃になって
ヴェルディ:「同じ名前でも、イタリアは好き、緑(東京ヴェルディ1969⚽)は嫌い」は置きw
ヴェルディ歌劇の中で一番好きな作品である
嫌いなら
新幹線に乗って、東京都港区赤坂1丁目にあるサントリーホールまで聴きに行きま宣言!
尚、サントリーホールでは、1995年の『リゴレット』3年後に
『ナブッコ』聴いたけど
独身で家業手伝いしていたオバちゃんが行く予定にしていた所、親父の急病により行けなくなり
パソコン通信(死語)で知り合いを当たるも、都内在住者でなけりゃ、誰が月曜日夜の公演では行けるかいな多し
「タダであげる!新幹線チケットともども無駄にするよりマシなので、誰か行けへんかしら~」
サントリーホールS席17000円+新幹線自由席往復が無駄になるを思えば、オバちゃんは特に損しない
んで、四半世紀前は自宅警備員じゃなかったものの、基本お暇なアタシがいたおかげ様で、オバちゃんとお互いWin-Winの結果に
アタシにとって(゚д゚)ウマーの理由:「渋谷のビジネスホテル代や飯代以外、無料に済んだから」w
『リゴレット』へ戻ると
好きな作品ではあるものの、ストレスMAXで体調悪い時には「あっち行け、シッシッ」したくなるのが難点だ
『ナブッコ』と同じく、ヴェルディお得意の「父娘」が描かれるも、『ナブッコ』の場合
バビロニア国王ナブッコが奴隷に子供産ませたか、真っ赤な他人を王女として育てたか、そこわからんけど
アビガイッレは自分の出自の秘密を記した文書を発見、自分が奴隷の娘と知り、妹王女フェネーナに譲られる王位を奪おうとする
最終的に、形勢不利であると悟って服毒し、ナブッコとフェネーナに許しを乞いつつ絶命するから
一方『リゴレット』は
リゴレットは娘ジルダを誑かしたマントヴァ公爵に復讐したのに、死んだはずの男の歌声が聴こえてくる
それじゃ死体が入ってる布袋の中身はと開けてみたら、虫の息の娘が入っていた
公爵の殺害を請け負った殺し屋スパラフチーレが、公爵に惚れた妹マッダレーナに懇願され
真夜中の鐘が鳴るまでに他人が兄妹の経営する居酒屋を訪れたら、その者を身代わりに殺すことに決定するが
兄妹の会話を耳にしたのが、公爵を諦め切れないジルダで、自分が愛する人の身代わりとなることを決断した
言わば「おかしな人がまともで、まともな人がおかしいとされる世の中がおかしい」みたいな展開により
父娘共倒れとなる幕切れを迎えるけど
父娘揃ってアンポンタンな面多いとはいえ、全く救われず鬱々とした気分に襲われたままとなる点が、聴き手絶不調の時に困るワイ
え”ーい、この際だ
気分転換に、4年前記事の「んで、幕切れの二重唱、かなり歪んだ感情に基づく解釈が可能だが横道それるため放置して」
Leo Nucci & Luciana Serra - Si vendetta ( Rigoletto - Giuseppe Verdi ) - YouTube
かなり歪んだ感情に基づく解釈を書いてやろうっとw
『リゴレット』の原作が、 ヴィクトル・ユーゴーの戯曲『王は愉しむ(Le Roi s'amuse)』
ユーゴーといえば
私生活では、長女レオポルディーヌが19歳で溺死、次女アデルは男追い掛け回して発狂の挙げ句に精神病院で朽ち果てたけど
創作面でも『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンとコゼットを見ると、「父娘」に拘り持っていたような希ガス
ヴァルジャンとコゼットは、コゼットが娼婦ファンティーヌの遺児だから、当然、実父娘じゃない
アタシゃ個人的に、ヴァルジャンはコゼットに手を出さないだけで一個の女として惚れていたと一人決めしてるけど
この一人決めに従えば、手を出さない理由って(・・?
コゼットの夫マリユスは、ヴァルジャンの過去を知って不審に思い、ヴァルジャンの「愛情」からコゼットを遠ざけたね
ヴァルジャン自身は、コゼットに惚れていたとしても、魂の救済はミリエル司教の慈悲から得られたおかげ様である
魂の救済を得ているからこそ、のちに、哀れなファンティーヌとコゼット母娘に救いを与えられたわけ
コゼットに惚れていても自制出来ていたはずよ
魂の救済が、ヴァルジャンとリゴレットの明暗分かれ目と言えるんだわ
リゴレットは娘ジルダを長年修道院に預けていたが、娘が16歳を迎えた時、手元に引き取った
ある夜、娘は父親の素性、亡くなったと聞かされている母親はどんな女性だったか、などを矢継ぎ早に帰宅したリゴレットに尋ねる
しかしジルダにだけは世間の醜さを見せたくないと考えるリゴレットは教会に行く以外は外出するなと厳命して去る
リゴレットは醜いせむし男の道化師で、宮廷と世間の嗤われ者である
何ら偏見持たず「私のお父様」と慕ってくれるジルダの価値たるやプライスレスで
彼女を遺して逝った母親、現世に現れたマリア様と重ね合わせている
ジルダの母親は何ら偏見持たず、リゴレットに優しく寄り添い、リゴレットにとって魂の救済者となった
ところで、リゴレットとジルダは実の父娘か、非常に曖昧である
ジルダの母親にはファンティーヌと似た境遇の女性だった可能性がアルアル
世間の最下層に属する男女同等というのかね、とにかく相通ずる組み合わせで、夫婦もしくは相当する関係だったかも知れない
男の救済が女によってもたらされた後、女神様がアッサリいなくなってしまうと?
ヴァルジャンの場合、成長したコゼットを一個の女として見ていようと
ミリエル司教の慈悲深さ以降、ジャヴェール警部の執念深さに怯えながらも、孤立無援ではないね
コゼット自身の幸福を考え、彼女の心を射止めたマリユスを危難から救ってやれもする
リゴレットの場合、ジルダが実の娘でなく、やはり手は出さないが一個の女として惚れていたら?
いや、ジルダが実の娘か否か、ジルダに惚れているかに関係無く
「ジルダまで亡くしたくない」
「ジルダがリゴレットの素性を知って逃げるを阻止したい」
「他所の男に盗られて今の平穏な関係を壊したくない」
それらを思えば、自宅軟禁状態に納得いくぞなもし
第二幕フィナーレの二重唱、ジルダの部分を読んでみれ
「私を裏切ったけど、彼が好きなの、偉大なる神よ、あの不誠実な人にお慈悲を!」
リゴレットにすれば、掌中の珠である娘が恋する乙女として他所の男の命乞いする姿なんて認めるなど論外で、目にもしたくないから
「復讐だ!復讐だ!駄目だ!ならぬ! 」
男の嫉妬と憎悪が入り混じる、ジルダに惚れている場合かなり歪んだ感情を炸裂させる場面としか見えんのじゃ
当記事題名について
「~リゴレット~」を外せば、使い回しだよんw
『リゴレット』を使って、梅宮辰夫を称賛した
「こいつは、ヤバイ」と見抜き、お父ちゃんが恥かく格好であろうと、娘に恨まれようと頑張ったわな
その後も娘どうやら男見る眼無さ過ぎるけどw、羽賀研二だけは止めといてヨカッタね
羽賀研二の逮捕事件は司法界も揺るがしかねない|日刊ゲンダイDIGITAL
最近またまた…だしね
宮は宮でも平民の梅程度に可能な男気が無い故に、拗れ続けた秋篠パパについては、エゲツナイ噂がいくつもある
流石に黙っとくけど、それらの噂がもしも真実であれば
「パパは極悪非道、それを上回るのが🗿」となり、🐎🐷に対する見方ガラッと変わるから恐ろし屋とだけ…(-。-)y-゜゜゜
最後に、『リゴレット』のレコード録音と映像1つずつ、個人的なオススメをペタリしとく
Beverly Sills; Sherrill Milnes; Alfredo Kraus; "RIGOLETTO"; Giuseppe Verdi - YouTube
Beverly Sills--Gilda
Alfredo Kraus--Il Duca di Mantova
Sherrill Milnes--Rigoletto
Samuel Ramey--Sparafucile/Il Conte di Monterone
Mignon Dunn--Maddalena
Dennis O’neill--Borsa
John Rawnsley--Marullo
Malcolm King--Il Conte di Ceprano
Ann Murray--Giovanna
Julius RUdel--conductor
Philharmonia Orchestra
1978
娘は父親より年上で、当時ほぼ50歳のBBAだけど、声は若い娘らしくて可愛いよ
Rigoletto final Milnes Sills Rudel - YouTube
息の引き取り方が絶妙で、アタシゃ聴くたび必ず泣くワイ
John Rawnsley--Marullo
脇役で、🗾では無名に近いほど地味な歌手だが、地元の英国では
RIGOLETTO - GIUSEPPE VERDI - 1982 ( LONDON ) - YouTube
題名役を歌った
英語訳上演で、本場大好き🗾の聴衆の耳には違和感アリアリだろうし
何より、読み替え演出に引っ掛かるかしらん
17世紀のマントヴァ宮廷が20世紀(1950年代)ニューヨークのマフィアの殺人劇として成立する奇蹟なのにw
マントヴァ公爵はジョン・ウェインじゃあるまいしの「デューク」と呼ばれ、有名な♪女心の唄の場面には
が登場する
リゴレットは、マフィアさん達に仕えるバーテンダーという役回りに変更された
マフィア版リゴレットが何故成立するか?:「貴族同様、身分社会で、掟の縛りがあり、反抗したら追放や抹殺が当たり前」
初演から40余年経った2024年現在、読み替え演出としては、大人しく、古典の部類に入るけど
ヴェルディの世界から乖離しない演出で、21世紀演出家の強引なコジ付けや自己満の発表会とは異なるので、一見の価値あるよ
観て損はしないを主張した所で記事を〆る