mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

指揮台の神々は悪魔と表裏一体

昨日記事、「ホンマに58歳(・・?」

傷だらけのアイドル - 時空と想念の交錯

コメント欄、13個上の乳母様とのやりとり見てみれや

(※乳母様と同い年の旦那様が、ビートルズを武道館で聴いた最年少世代)

アタシ自身、呆れ返る時あるくらいは置きw

遅ればせながらヘルムート・バーガーの喪に服している所へ飛び込んで来た訃報が

小澤征爾さん死去、世界も悼む 「偉大な指揮者」たたえ - 日本経済新聞

一言「あ”、そおですか(-。-)y-゜゜゜」

 

 

 

 

嫌いなのかって?

興味無しが正解だけど、好きか嫌いかで答えろならば嫌い

小澤征爾さん死去…名誉団員のベルリン・フィルが追悼「かけがえのない友人に心から哀悼の意を」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

🗾国民への実害無い分アベちゃ~んよりマシなだけで国葬の価値なんぞ認めてたまるかいなくらいにな

 

 

 

 

同曲異演:「個人の感性と能力が試される」 - 時空と想念の交錯

Yahoo!旧本館記事を見てクレ

👇

ウィーンのニューイヤーコンサートで思い出した事

「今年(2018年)振ったリッカルド・ムーティ、いまでもやっぱ、原典主義者?」年

もっともム-ティは、大ッ嫌いでも、十分聴けるだけの演奏とあって許せる

 

許せないのはというより、楽団が指揮者を適当に操ってるわなとワロタ舞台が↓

Der Fliegende Holländer - Ozawa @ Wien (2004) - Pt 01/14 - YouTube

Seiji Ozawa conducting the Chor und Orchester der Wiener Staatsoper,

featuring Nina Stemme (Senta) & Franz Grundheber (Dutchman). Live Recording.

 

アタシがFMで聴いたのは、初日のもの

題名役は、フランツ・グルントヘーバーでなく、ファルク・シュトルックマンであった

ま、YouTube全部観なくたって、内容は想像つく

 

小澤さん、アナタは

2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮

このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた

2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任

 

このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた

2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任

…それ絶対、エージェントの征爾力ならぬ政治力

及びウィーンの陰謀、ジャパンマネー狙いと見てるわよ

ニューイヤーはアタシが聴いた中では、史上サイテー級の無粋な指揮ぶりを示した

ウィンナワルツって、正確無比ならOKの優等生音楽じゃなく、「粋」が物言う

この点、墺太利出身カラヤンが、抜群のセンス持っていたと認める

(1987年の、キャスリーン・バトルを登場させた♪春の声は解せぬものの

ま、アレも、いろんな政治絡みという方向で)

それに引き換え

2002年のニューイヤーCD

いまは亡き大阪ワルツ堂堂島店に於いても、毎日のパンみたいに売れまくった

日本人はどんだけ、耳が悪くて、箔に弱いのかと、つくづく呆れたもんだ

さまよえるオランダ人も当然期待してなかった

フタを開けたら、予想通り、「楽譜に正確ならエエもんやないやろ~」

演奏自体は高水準、それって

ウィーン国立歌劇場管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮者別に要らんわいうほど、ワーグナー演奏なんて朝飯前の猛者を意味するじゃん

 

…だいぶ抑えたものの(もっと面白い裏話を握ってるんだよ)、スッキリした

 

 

 

 

という所で、2024年現在に戻り、そこから2020年Hatena記事へ移る

すると、エージェントの征爾力ならぬ政治力の答というか、小澤の世界的活躍の後ろ盾となった団体名が書かれている

時代を超えて、You Light Up My Life~マイ・ソング~ - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

ウィーン国立歌劇場といえば、フットボールで言えば、そうやね…

JFAなんてただの因業、FIFAがこの世の悪魔勢揃いに見える伏魔殿中の伏魔殿」

ヘルベルト・フォン・カラヤン爺さんが、カール・ベーム爺さんに陰謀を仕掛け、メッチャ怨まれた舞台となった場所でもあった

ところで中身は空やんでも帝王カラヤンでさえ、国立歌劇場芸術監督を全う出来なかった

ベームのために創設された「名誉指揮者」を、天敵逝った後の1983年(公式発表は1988年)に戴いた

1988年といえば、前年の1987年に

Kathleen Battle ~ Frühlingsstimmen (Johann Strauss II) ~ Herbert von Karajan - YouTube

カラヤン最初で最後のニューイヤー登場に、恐らくニューイヤー最初で最後の歌手登場が重なった

裏で糸を引いていたというか、指揮者と歌手の所属エージェントが

Columbia Artists Management - Wikipedia

「ホロヴィッツ 日本公演」(YouTube検索)

2020年に廃業したけど、1986年に当人が頑張って汚名返上したほど1983年には襤褸ヴィッツを🗾に売り込んだのがCAMI、悪魔な神w

1987年ニューイヤーは早い話、オバハン抱き合わせでのShow By 商売

国立歌劇場音楽監督就任なんて、んなもん、ディエド・マラドーナばりに怪しいCAMIの手

小澤の背後にもCAMIだったしね

…小澤の「アキレス腱」が何か知ってるけど、それは流石に書けないので~(FC2本館には、名前伏せて書いてあるw)

 

 

 

 

ん?面白い裏話だの、アキレス腱だの、どーしても知りたい(・・?

書きたくても物的証拠握ってるわけじゃないから書けんワイw

ハッキリ書けるのは

小澤征爾さん、世界での活躍は国内での”ボイコット事件”も要因だった…1962年にN響と衝突(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

このエピソードは有名ですね

 

当時の文化人界隈でも話題になっていて、

三島由紀夫石原慎太郎谷川俊太郎大江健三郎武満徹黛敏郎などの若手芸術家は小澤征爾を擁護する側に回って、

さながら世代間の確執のような様相を呈していました

 

私は逆に楽団員の立場で、当時の小澤氏がどのようなリハーサルをしていたのか体験してみたいと思いました

 

 

 

 

ま、曖昧にして書くなら構わんか

小澤征爾 - Wikipedia

1964年、シカゴ交響楽団(当時の指揮者はジャン・マルティノン)によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。

急遽、ニューヨークにいた小澤が開催数日前に招聘され音楽監督として音楽祭を成功に収め、

小澤の名声は全米に知れ渡る。

シカゴ交響楽団とはRCAレーベル、EMIレーベルに複数の録音を残した。

日本人指揮者が海外の一流オーケストラを指揮して海外の一流レコード会社からクラシック音楽録音を

外市場向けに複数発売したことは画期的な出来事であった。 

1964年からはトロント交響楽団の指揮者に就任し1968年まで務める。

この頃かいな、小澤は或る件に関して内偵が入るという密告を受け、そそくさ海外へトンズラ決め込んだという

その後コレと問題無く欧米と🗾を行き来していたを見ると、ズブズブ関係の方々が鼻薬を効かせてくれた?

「明るみに出たらマズいを通り越してヤバい話」で推測お願います

明らかに…の目撃談が聞かれるから、少なくとも大昔にはクロだったと見ている

ボイコット騒動当時のN響団員も案外見ちゃってたりしてw

 

 

 

 

ま~小澤の存在あればこそ、日本人指揮者が海外へ進出する道が拓かれた

その点は褒められるかね

1959年2月1日から、スクーター、ギターとともに貨物船で単身フランスに渡る。

このとき、小澤というアシスタントを失うことを恐れた齋藤からは渡欧について猛反対を受けたが、

桐朋の父兄会や水野成夫たちの支援を得て、1200ドル(約45万円)の餞別を受けた。

1959年、パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。ヨーロッパのオーケストラに多数客演。

カラヤン指揮者コンクール第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。

1960年、アメリカ・ボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭

(現:タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。

指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。

1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。

同年ニューヨーク・フィルの来日公演に同行。

カラヤンバーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。

東京五輪開催前年となる1963年の海外渡航自由化、それ以前の時代をよーく考えてみれ

誰とは書かないけど、数十年前にウィーン国立歌劇場の試験に合格したのに

「どうせ脇役ばかりだよね」「🗾なら主役歌えるから」と断った某男性歌手にドロップキックお見舞したくなったもんだ

だって、その男性歌手が長く関わっていた団体の所属歌手って

「半分?」「大きい!」 - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

藤村実穂子のように学生段階で🗾出るコトを、全く考えず向上心ZEROっぽいんだもんw

 

 

 

 

小澤の背後にもCAMI云々とか、ズブズブ関係の方々が鼻薬を効かせてくれた?とかを書いたのは

クラシック音楽なんて別に高尚でなく、音楽家も聖人君子じゃないを強調したかったまでの話な

絶望と凋落の国に於ける演奏会のテーマ:「不信と敵対の喚起」「人類分断」 - mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

この記事〆部分

「(プラシド・)ドミンゴと(アンジェラ・)ゲオルギュー、出来てるらしいで」

イロイロ考え合わせたら、「ドミンゴ様よ、アンタ相当、セクハラ以上に陰謀面で長けてるのぉw」

他にも

性格悪いに尽きる裏話を知ってるから、昔々TVの対談番組でワザとらしい笑顔を見せた某美人🎻とか

別の美人🎻が、自らメネージャーを申し出たCAMIの偉いさんの愛人だった説とか

また

コンクールは今や粗製乱造気味で飽和状態であり、優勝したって即成功すると決まってない現代に

CDが売れなくなっているも考え合わせれば

クラシック界全体が生き馬の目を抜くような奸計が巡らされる伏魔殿と、アタシゃ邪推している頃なw

 

 

 

 

 



 

 

 

Hatena Blogの方々へ - 超時空なら…