mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

闇に響く声

昨日三本目記事題名【彼を優しく愛して、彼から優しく愛されて】


この歌からよ
昨日ペタリ忘れたんで、今日UPしとく
なお、今日の記事題名はね、↓の邦題より
https://www.youtube.com/results?search_query=king+creole+elvis+presley
邦題‘さまよう青春’の原題がヨカッタ???
https://www.youtube.com/results?search_query=loving+you+elvis+presley




今日のYouTubeは、まず

結婚そして離婚

1967年5月1日には、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ボーリューと結婚。プリシラプレスリーのドイツでの所属部隊長の継子であった。プレスリーは未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に同居させ、有名なカトリックの女子高に通わせて、きちんと卒業させるということをプリシラの母親と継父に約束してプリシラをメンフィスで暮らせるようにした。しかし、程なく二人はグレイスランドで一緒に暮らすようになっていく。8年後に結婚し、1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれる。

その4年後、結婚前から続いているプレスリーの生活習慣(昼と夜が逆転した生活)、メンフィス・マフィア(エルヴィスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、プリシラは空手教師のもとに走り、二人の結婚生活は破綻してしまう。グレイスランドを出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、ロサンゼルスに住居を移す。1973年10月9日に正式離婚。

離婚後もプレスリープリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。プレスリーがツアーでロサンゼルスにいるときは、プリシラの家を訪れたり、なにか事あるごとにプリシラをグレイスランドに呼び寄せたりして精神的にプリシラを頼りにしていた。二人は、リサ・マリーがまだ幼かったこともあって、二人が離婚したことでリサが不幸にならないようにと願っていた。リサとプレスリーは頻繁に会っていたようだ。プレスリーが死んだその日もリサはグレイスランドにいた。

Wikipediaエルヴィス・プレスリーより引用 )

プリシラと聞いて、ついつい探し出してしもた↓をば

三船敏郎 プリシラプレスリー うーん、ねてみたい

美佳ちゃん産んだ愛人よかエエ女やもんな





何故、YouTube探したくなったか?
CM放送された1982年頃に読んだ話を思い出したからよ

・最晩年、テネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドに引き籠り状態となった
昼夜逆転生活も依然続いており、夜中、独りで艶っぽい映像を眺めていた
主演男優が、エルヴィス自身って…ヒソヒソ( ゚д゚)ヤダァ(゚д゚ )ネェ

・だって、プリシラによれば
「結婚してから離婚までの6年間で、Hした回数、50回ほどよ」
バラすなよと思いつつ、「10個若い嫁おっても、オトコにとって夢の楽園と限らないのやら」(,,゚Д゚)∩先生質問です





彼自身は

1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで没した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3時30分、プレスリーの死亡を確認した。42歳没。検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。

邸内に人が居たって、孤独死みたいなものじゃん
処方薬いうのがちょいと問題あったようだし、とにかく哀し過ぎる…