mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

彼を優しく愛して、彼から優しく愛されて

【愚者の行進】から続いた




1966年2月1日生まれ丙午と、1979年生まれのスポナビ様王子がオシメしてる頃に思春期迎えた若さながら
懐古趣味が高じ、時代の針をドンドン逆回し熱中症に罹った今日この頃なのよね




2009/7/3(金) 午前 3:17 【鏡よ鏡よ鏡さん】
エルヴィス・プレスリー、例えセスクに似てなくても、好きだわ
1935年1月8日 - 1977年8月16日
昨日(2015/01/09の前日)が、存命であれば、80歳の傘寿を迎える日となった
どんな爺さんと化していたのやら(あまり想像したくない)





ご面相は後年のニクソン大統領そっくりのエドサリヴァン
渥美清が大昔、しょおもない洒落として
アメリカには、エドサリヴァン・ショーという東京の裁判所がある」
1954年生まれから聞いた実話を備忘録しとく)
ロックは不道徳じゃの石頭連中を押し切り、エルヴィスを出演させた
が、腰振るのが問題となり、上半身しか映さなかった回は、この映像の時?
1966年丙午生まれなのでようわからん(1973年の、現代で言う衛星生中継、当時の宇宙中継も同じ)
後でゆっくりYouTube散策するべ~




軍歴

1958年1月20日に、プレスリーアメリカ陸軍への徴兵通知を受けた。当時のアメリカは徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。プレスリーは特例措置を受けることなく、他と変わらぬ普通の一兵士として西ドイツにあるアメリカ陸軍基地で勤務し、1960年3月5日に満期除隊した。

徴兵命令が来た際、プレスリーは「闇に響く声」を撮影中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し、「エルヴィスをよこして頭を下げさせろ」と伝えた。翌日、プレスリーは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行った。

プレスリーは軍在籍中に空手の黒帯を取得し、軍曹まで昇進した。また在籍中、病気にかかり軍の病院において扁桃腺炎だと診断された。その際、医師はプレスリーの声が変調するのを恐れて、扁桃腺の切除手術は行わなかったが、回復し健康を取り戻した。

Wikipediaエルヴィス・プレスリーより引用 )

Bye Bye Birdie HONESTLY SINCERE 1963 Jesse Pearson Ann Margret
Ann-Margret BYE BYE BIRDIE title song
‘バイ・バイ・バーディー’(1963年)
超人気ロック歌手のバーディーが召集された事で、町中の女の子たちが大恐慌に陥る
徴兵前に国民的音楽番組でお別れショーが催される事になり
そこでファンの中から1人、バーディからお別れキス獲得権を手に出来るから、さあ大変!の
見事選ばれた少女とその周辺の騒動を描くミュージカルコメディーであった




題名役のモデルが、エルヴィスで、彼の徴兵騒動を風刺してるのよ
ちなみに、ヒロイン役のアン=マーグレット、エルヴィス映画で共演した結果、上手過ぎて、彼を大恐慌に陥れた
その後、綺麗なねーちゃんだがB級以下女優ばっか選んだとは、男としてちと情けないわ~




現代基準では、徴兵に応じた事が汚点になるのかしら
Wikipediaに設けられたビートルズ項目を見ると
1965年8月27日、ビートルズがロサンゼルスのエルヴィス宅に招かれた折

エルヴィスはビートルズの曲も歌い「君たちのレコードは全部持っているよ」と言った。対してジョンは「僕はあなたのレコードは1枚も持っていない」と発言したのでその場が凍りついた。これはジョン流の過激なジョークだったのだが、エルヴィスはその発言に気分を害してしまった。ジョンはエルヴィスのベトナム戦争に賛同する姿勢や、マンネリ気味である映画を痛烈に批判した。これらの事をきっかけにエルヴィスはジョンを嫌うようになった。エルヴィスはポールやジョージが作曲した曲はコンサートで頻繁に歌っているが、ジョンの曲は歌っていない。

ジョークと言われましてもね


事件から42年を経た2008年11月、ローマ教皇庁はヴァチカンの公式新聞:オッセルバドーレ・ロマーノ紙にて
「予想外の成功を手にした若者が『豪語しただけ』に過ぎない」というのがローマ教皇庁の見解であり
レノンの発言を赦す声明を発表し、この事件に終止符を打ったとはいえ
「冗談でも地雷踏むオマエにだけは、ゴチャゴチャ言われたくない」と思いますが?
余談ですが、合衆国政府の「平和主義者がむしろ危険」の観点により暗殺されたという説ありますしね
ミック・ジャガーのような悪い子たちが野放しで、現在も年金受給世代なのに健在を見なさいよ
この辺りの感想を、ジェーン・フォンダ批判したアン=マーグレットに聞いてみたかったりする
(アン=マーグレットはスウェーデン生まれの移民であり、比較的恵まれたベトナム難民第一波の子供たち同様
外国生まれ故に忠義無双というか保守的だったので、米国生まれの者による反戦運動が恩知らずと映り
ベトナム戦争中、ボブ・ホープ率いる米軍慰問団に参加していた)




…何言いたいか自分でもようわからんけど
レノンのキリスト発言が、「神を冒瀆した」と米国で解釈され
ビートルズのレコード、プロマイドやポスターといったグッズなどが組織的に破棄、焼却されるという事態に発展
特に米国南部で大きな騒動となり、殺害予告もなされるに至ったというのは
「時代の変遷の真っ最中にあっても、本質的な価値観に変化は少なく
激動の1960年代といえど何もかもが新しかったわけじゃない」

神格化みたいなのは怖い気がするのよ




少し脱線すると
‘ラスト・レター’に出演したダイアン・レーン、1965年生まれ
彼女は、米国だからこの世に無事誕生出来たようなもの
俳優志願青年、ミス何とか出身モデルが両親で、現代日本で言う出来ちゃった婚の産物
デキ婚は離婚率高いが、ダイアンの場合、私生児にしないための結婚で、両親は結局離婚した
レブロン化粧品重役を父親に持ち、イタリア貴族の血も引くブルック・シールズ
やはり1965年生まれの彼女も似た環境に誕生した
そういった時代に、ナタリー・ウッドスティーヴ・マックイーンが共演した‘マンハッタン物語’で
妊娠した彼女がモグリの医者に中絶手術受けようとして、彼がデキ婚選ぶ意思表示するプラカード掲げる
トロイ・ドナヒューとサンドラ・ディーが共演した‘避暑地の出来事’も、早い話、デキ婚に終わる
映画評論家・双葉十三郎爺さんが「幼稚な倫理観だねぇ」と書いとったけど
米国はそれくらい、いまも厳しいが昔はもっと、日本では半世紀前でも合法だったのに、中絶に厳しいのよ
(ちなみに、有名女優たちが中絶経験告白した際、大騒ぎになったのは、カトリックが国教であるフランス)




上段は、米国の保守性を言いたいまで




フィールド・オブ・ドリームス’主人公の妻アニーが、60年代ギャルの成れの果て
あの映画の舞台は、小さな田舎町だったよね
夫批判組の中に同世代女性がいて、彼女が「ワタシだって、60年代を生きたわ」と言うと
「アンタは50年代を2回過ごして70年代へ」と嫌味かます場面あったと記憶する
正直、「そこまで、1950年代の全てが古色蒼然とした悪いものだったのかね?」





ブルースが黒人、カントリーが中西部の白人、ポップスが中産階級、ラップが被抑圧階級の音楽と
乗り越え不能な仕方で切り刻んでいた大昔、唯一ロックンロールだけは
「『ヒップ』なアメリカ人であると自己申告しさえすれば
誰もが『自分のための音楽』として認知する事が出来る『開かれた音楽』だった」
その後、白人であるヘイリー、エルヴィス、ジェリー・リー・ルイスらの稀に見る商業的な成功によって
ロックンロールは「白人の音楽」として定着する
くねくねと腰を振り、挑発的にパフォーマンスするエルヴィスの登場により
白人音楽は黒人音楽に固有の熱狂と肉体性を手に入れる事となる




クロスオーヴァーの一種、文化の多様性という点に於いて、1950年代は揺籃期であり
1960年代以降に訪れる変化の種が蒔かれ、結実する時期を待っていたんでないかい
公民権運動に繋がる事件とかも、1950年代に起き始めたでしょ
一見ダサイものの、実は奥深くスゲー格好良い時代じゃねーの
ファッションセンスも現代より遥かに個性的で斬新じゃん




エルヴィスを見ても
公民権のコの字も無い時代の、聖書と教会が日常生活に根付いた南部に育ちながら
「メンフィスは非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため
そのような環境の中で黒人の音楽を聴いて育った」
確か、玄関開けたら、裏口が見えるようなボロっちい家に住んでいた
白人でも最下層だと、黒人と大差無い環境に暮らしていた
後に莫大な財産築くも、庶民のジャンクフード好きにも表れてる?は置いといて
黒人音楽、そして同胞意識が、ごく自然に血肉化されたのでは




女優ジーン・セバーグのような、幼少期より人種差別などを憎む聡明さは持っていなかったかもしれないが
弱者への慈悲の精神が自然に備わっていたとして不思議じゃないよね