mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

死者の家から~運命と物語の始まり~

◇サボンリンナ音楽祭2016 ヤナーチェク 歌劇「死者の家から」(2:37:30~4:18:30)
http://www4.nhk.or.jp/premium/
観よか止めとこか悩んでる所よ
原作であるドストエフスキー死の家の記録’を読み返すよりゃ、時間食わないけどね




当記事題名は、同じヤナーチェクの歌劇♪運命と♪物語の始まりをくっつけた三本立てみたいなもの
明日がハロウィンのせいね
ケルト人の1年の終わりが10月31日で、この夜は夏の終わりを意味し、冬の始まりでもある
死者の霊が家族を訪ねて来ると信じられていたらしい
日本の盆みたいな年中行事よ
現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんど無くなっている
ま、お通夜みたいな顔で過ごす必要無いものの
ゲームだかアニメだかの扮装して電車乗り込み、渋谷交差点大混雑は迷惑だから、お止しなさいって
元気なうちに、年に一度は、死生観について考察するのはどおよ




恍惚の人ながら100歳超えするジジババいれば、25歳で突如発病し早世する小娘青二才いる
老若男女問わず、朝ピンピンしていたのが、夕方に事故や事件、自然災害の犠牲となるもある
人間、ホント、いつどうなるやら知れぬ儚い身
平均取ると、45~50歳辺りより、同世代の訃報が舞い込んだりするかしら
働き盛りで脂が乗る者が「マジ!?」てな話、世の中高年よ、身に覚えは?
職場の健康診断なんていい加減な面が見られ、マメに受けようと絶対じゃないしね




バタリ倒れる、ポックリ逝くのいずれにせよ
巻き込まれる側の、非常事態時の環境って、ごく日常的なもの多いと思う
2007年6月14日金曜日の夜、ウチの鬼婆が倒れやがった時は
長電話の背後を見たら、鬼婆が台所に倒れてる
調理台や床に、買った物が散乱する
鬼婆が買い物から帰って30分そこらの話
本人曰く、「気分悪くなって一休みに座ったつもり」
倒れるとか急死とか、何も特別な瞬間と決まってないんだよね
数分後には世界が一変する現実を、介護家庭は骨身に沁みてるでしょうよ
「何事も計画性大事ながら、シナリオ通り進まない事も計画に入れる」
この点が俗世間には、実際に世界変わるまで理解不能なのが腹立たしい




汚宅の場合、ジジィ役立たずで、鬼婆倒れたら、お坊っちゃま後始末etc. どうするの?が念頭にあった
「フン、Xデーが遂に、ドドーンと来やがった」と、アタシゃ冷静だった
秋のベルリン国立歌劇場日本公演チケット買ってなくて正解とまで思った(東京まで行ってられるか~)




上段、最後の行、親や自分自身が元気な者、とりわけ中高年は、ほれ頭にメモメモ
アウトドア系は本当、何時、旅先から自宅へバタバタ帰る事になるかの覚悟決めとけと言いたい
「親は無事でも、ジジババ抱える者は常に、自分自身の危険について真剣に考えろ」




ホテルニュージャパンの火災ね
いま見ると、よう信用して宿泊出来たと映る
何事も有名どころって、最悪の事態発生するまでは過信しちゃうものなのよ
考えてみ
昨年か、年金少ないと勝手に悲観した爺さんが、新幹線車内でガソリン被って火を点けたわな
巻き添え食らったおねえさん、事件直近のTwitter(ブログ?)では至って普通だけに、気の毒過ぎる
まさか新幹線で、頭沸いた爺さんがなんて、そりゃフツー誰も想像しないけど
不特定多数の乗客いるんだから、17億分の一確率でも、大惨事に見舞われる可能性は誰しも持つ

だっちゅうのに、最悪の事態知らない者は
例えば、DQN出入りするような漫画喫茶・ネットカフェを過剰に危険視して、「他人のせいでトラブル嫌」とか
自宅にいたって、倒れて昇天する時は呆気なく逝くものよ
一歩外に出たら、全てが危険と見ていい
全てが危険の前提で、優先順位をつけ、何を極力回避するか見極める眼力が鍵よ

わからないんだよね
「他人のせいでトラブル」、それ言うなら、介護もある意味、他人のトラブル尻拭いだってのによ




救急車の手配、入院手続きに追われ、考える暇も無く非日常の世界に放り込まれた後
一段落着いて、自宅を見渡してみれば
仕事の帰り遅い息子や娘のため、ババ親が用意してくれていた晩御飯が目に入る
焼き魚、煮物といったささやかだが、心の込もった手作り世界
連れ合いとアハハハ♪一緒にランチしたり、今日もいろいろ楽しかった☆子供を出迎えたり
空気のように捉え、永遠に続くと信じていた日常の世界
数時間前には当たり前だった事が一瞬にして、永遠に手の届かないものとなる儚さ
独りですき焼きや焼肉なんて侘しくて、もう一生食べられないくらいの覚悟要る
倒れた者が例え奇蹟的回復を見せようと、完全に元通りの世界は戻って来ない
近い者が倒れたり逝ったりの際の世界観は大体、そんな感じでしょ
何らかの埋め合わせは可能だろうと、過去と同じ状態が戻る事はまず無い
世界観が一転するなど、過去とは全く異なる自分が存在するからよ




それだけに
2014年5月、ジジィお泊まりさせた深夜の、旧堺東Margarita
1972年生まれBARマスターが、洗礼名ヨゼフ捕獲方法をアタシに知恵つけた折
いつもなら怖がるだけのヨゼフが、大爆笑したアタシに驚いて、マスターに
「…マスター…の、乗せてしまいましたね…
これだけ笑った顔、こんなイイ表情
気分乗る場所が他に無かったんでしょうけど、4年間で、初めて見ましたよ」
Gallardo Domas in "Liu's death" from Turandot
アタシが、氷のような姫君も云々と説教される、企業人事部には雇いたくない首切り姫とでも!?
ともかく、自転車の乗り方と水泳は一度覚えると忘れないものの、奇蹟と言えようぞ




いま現在、人間一寸先は闇を未経験とか、極楽トンボとか、軽くアハハハ♪の何人が達観出来るんだろね




Janacek - Vec Makropulos (final)

マクロプロス事件(1923 - 1925)

カレル・チャペックの喜劇による。三幕。1926年12月18日、フランティシェク・ノイマンの指揮によりブルノで初演された。ヤナーチェク8作目のオペラ。
時代設定は1922年。100年も係争を続けてきたヨゼフ・ブルス男爵の遺産相続問題を抱える弁護士事務所にエミリア・マルティというオペラ歌手がやってくる。事情のあらましを聞いたマルティはプルスの遺言状の場所を教える。マルティの教えた場所に遺言状は確かにあり、相続人はフェルディナンド・グレゴルと判明する。マルティの演奏会の後もう一方の係争者ヤロスラフ・プルスが楽屋にやってきて遺言状と一緒に別の封筒を見つけたと言う。マルティはそれを買いたいと申し出るがプルスははっきりとした返事をしない。マルティはプルスを色仕掛けで誘惑し、ついに封筒を手に入れる。そこへ弁護士がやってきてと遺言状と一緒に見つかったフェルディナンドの母親E.M.の手紙とマルティのサインの筆跡が一致することを告げ、擬装ではないのかと問いつめる。マルティはついに真相を語り出す。マルティの父親はプラハに宮廷を構えた皇帝ルドルフ2世の命令で不老不死の薬を作り、娘を実験台にして薬を飲ませた。その娘が自分で、本名はエリナ・マクロプロス、1575年生まれの337歳。フェルディナンドは間違いなくヨゼフと自分の子供である。もうすぐ薬が切れるため処方箋の入った封筒が必要になりプルスから無理矢理取り上げたのだが、長生きしても意味はないと悟ったと語り、プルスから受け取った封筒を燃やすと同時に息絶える。(年齢の計算が合っていないが、設定自体が混乱しており、1585年生まれと言っている箇所もあり、327歳といっている箇所もある。ヤナーチェクは書簡の中で337歳と繰り返し述べている。)

Wikipedia:『レオシュ・ヤナーチェク』より引用 )* 2011年時点での記載より
2014/8/1(金) 午後 2:51【ないしょの手紙への返信:『儚き存在こそ美しい』】に引用した↑の理解もね




当たり前と思ってる事が当たり前でなく、奇蹟的である
儚さを知る者だけが、達観して、知恵を手に入れる
とでも?
事前に勉強しておくは大事ながら、教科書通りに進まないもの
アタシだって知らない事だらけだけど
しかし、不勉強なのに知ってるつもりの連中にだけは、生意気な口利かれたくないし、絶対許さない




現代は、俺たちに明日は無いが故に、良い意味でのオールドジャパンに回帰する刻でもある
自分自身が蜂の巣状態になりたくなけりゃね