2017年のYahoo!記事があるため、今回スルーするつもりでいたけど
病院坂の首縊りの家 (1979年の映画) - Wikipedia
金田一さんの空気読めないんだか読めるんだかに感動した
金田一さんにゃ、他人が飯食ってるを邪魔する傾向見られる
探偵もどきに転じた写真館助手の黙太郎に、経費で落とせるからと言い自分と同じ丼を注文するね
黙太郎が有難くガツガツ始めた途端、首無し死体どーたら、そら相手は飯を吹いて咽そうになるわいな
ドンドン食べなさいと言いながら質問繰り返したら、「食べてる暇無いんですもの」となるやん
空気読める、暗黙の了解、その類は、弥生に対してだ
金田一さんが最初から疑念を覚えながらスルーっぽいと、首無し死体から後に続く被害者は浮かばれん
尤も被害者どもは弥生の弱味を握っての恐喝であり、自業自得だよ
公開当時の女性観客の中に、終わり近く、同情の涙を流す者が多々いたというが
病の床に臥す老母を面倒見ている点で、育児放棄してカネ稼ぐしか脳無い面倒嫌よ宇宙人主婦よりゃ上等だもんな
ところで弥生の母親は、娘連れ再婚するなら亭主に要注意の好例を示す
娘は何の因果で、嫌々結婚した従兄の愛人とオトコを共有する格好にならなアカンねん
弥生死すとも乾板残る限り、弥生は決して浮かばれない
乾板を葬り、坂の上から人力車を見送る金田一さん、本当イイ仕事したね
この映画で気になるコト:「弥生と結婚した法眼琢也」
正妻から生まれた由香利、愛人から生まれた小雪が、一卵性双生児レベルの同じ顔
愛人・冬子の素性を一度も疑わなかったん(・・?
小雪は由香利の異母妹に当たる
ちなみに原作の設定では、由香利は弥生の娘・万里子から生まれた子供
原作での万里子の役割の一部(冬子への応対など)が由香利に割り当てられている
万里子は確か顔も性格と同じく悪いはずで、どうあれ弥生似じゃないを踏まえれば
映画での娘達は一体、父親似と母親似のどちらよで話変わる
娘達が父親コピペした顔、これは、似過ぎやなと思うに留まろう
母親似で、弥生から生まれた由香利の後に、由香利と同じ顔した小雪を冬子が生んだら?
小雪誕生直後でなく何年後かにでも、弥生と冬子の因果関係を疑ってみないものかね
上段ややこし過ぎる?
んなもん全て
原作では
成城の先生(せいじょう の せんせい)
映画では
老推理作家 - 横溝正史 (特別出演)
横溝爺が、演技ともかく台詞回しも合わせて悪い!w
Yahoo!記事に書いた通り
原作は、上巻:昭和28年、下巻:昭和48年に分かれる
全体的に、登場人物多過ぎる上に、法眼家を取り巻く複雑怪奇な人間関係を理解するだけで精一杯
映像化しようと思えば、上下巻を交通整理して、強引なまでに一つの時期に凝縮するしかあるめえ
ただ映画でもオペラでも、オリジナル脚本より、原作脚色する技術が難しい
ミステリーがとりわけ、小さな粗が全体の出来を左右する
病院坂はほとんど映画のため書かれたオリジナル脚本と言えるけど
市川崑が監督した一連のシリーズの路線を踏襲するのはいいけど
複雑怪奇な原作が足枷手枷として何処かしら詰めの甘さを招いたんちゃう
人が死んでも人の記録は残り後世まで語り継がれるは可能
しかしながら「生きとし生けるもの全て、生命は必ずや、衰退を迎え、滅する」、それが不変の定め
金田一さんの事件簿も必ずや最終巻に辿り着く
金田一さんは、迷宮入りした事件を20年掛けて解き明かした後、姿を消した
小説は病院坂の次に『悪霊島』が発表されるも、病院坂解決以前の物語であり
ひょっとすると、渡米後、暇潰しの探偵を引き受けたりかもにせよ、病院坂が事実上「最後の事件簿」
市川崑シリーズも必ずや終わりを迎えるから、5作目に病院坂を選んだのかね
駄作とまで言わないが、有終の美とならず、五番煎じに終わった感が残念無念哉