mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

忘れ得ぬ慕情~女王蜂~

まず、独り言をメモ📝👇

犬神家の一族』:「起きしなに何品食わせるねんの日本旅館ブレックファースト」

悪魔の手毬唄』:「ボンビ~共稼ぎには高嶺の花である割引無しの高級ランチ」

『獄門島』:「ランチもお高い茶廊でのお三時あるいは遅い昼食」

『女王蜂』:「夕方の、仕事上がり後に立食屋で軽く食前酒と腹ごしらえ」

病院坂の首縊りの家』:「まだ宵の口に終わる簡素なディナー」

未見なので予想として、2006年版『犬神家の一族』:「深夜に冷蔵庫から昨日朝食余り物を取り出してガッツリ食う夜食」

 

 

 

 

では、記事へ

 

 

 

 

 

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女王蜂 (1978年の映画) - Wikipedia

女王蜂 (横溝正史) - Wikipedia

 

 

 

 

コレの幕切れでも、「よし、わかった!」警部wがイイ仕事した

前作『獄門島』では自分の間違いを認め、今度は「君は間違ってなかった」と金田一さんを褒める

等々力警部が何で事件の真相を知ってるの(・・?、ちゃうん

無駄に意識高い系でなく、出来ない子の振りする者が実は賢い例に挙げとく

 

 

 

 

 『女王蜂』のズルイ!点を挙げると、「出演陣が一種のトリックとして、観客をミスリードした」

犬神家、手毬唄、獄門島の真犯人が一堂に会する(意外や意外、3婆初共演作だってよ)

原作未読ならば、役回りから、岸惠子が如何にもだよね

別作品だが一つのシリーズで二度真犯人演じるを匂わせておいて

女高男低の横溝ミステリーらしくない「真犯人は男で、仲代達矢」へと誘った

 

 

 

 

ぶっちゃけ

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ロードショー誌連載をまとめた中に、【横溝ものも手詰まり/市川崑監督】

「撮影、美術OK、脚本、演出に難アリ」

病院坂と合わせ、腐してた大黒東洋士爺がマァ当たっている

 

 

 

 

「ミステリーものはトリックを芯に、あの手この手の難題を足かせ手かせ、絡ませ縺れさせながら喘ぎ喘ぎ登りつめ

そこから渋皮を一枚一枚むくように一気に絵解きに、というのが常道だが

一つ明晰さを欠くと魚の生き腐れのように始末に悪いものになる」

女王蜂と病院坂、どちらもそーじゃん

モノがモノだけに鬼面人を嚇して当然だが、見え透いた作為がギラギラでは却って興が削がれる

多門連太郎は重要人物なのに、ウロチョロしてるだけで、早トチリの等々力警部と鬼ごっこもどき

大道寺文彦が脅迫状の物真似する挿話とか不要

神尾秀子が毛糸の玉に遺書を隠していた辺りの場面も、事件が一応解決後であり、今更の蛇足感が否めない

ヒロイン・智子が事件の真相を立ち聞きし、「大道寺銀造が、私の父です」なんて、取って付けたようなご都合主義

東小路隆子の「みんな私が悪かった」と詫びる姿は古色蒼然とした新派調とキタ━(゚∀゚)━!

 

 

 

 

ともかく推敲と煮詰めるをしなかったみたいな脚本がザルザルであり、大作一本立てのため水増し疑惑だよ

物語の舞台がそもそも、基本は戦後の東京で、世界に一つだけ的な孤島や限界集落じゃない

三種の神器、童謡といったアイテムを利用しての連続殺人事件を描く作品と異なり、映像美で魅せる演出が難しい面を持つ

横溝ミステリー必須アイテムである家系図不要のわかりやすい相関関係でもあるため

映画化に際して唯一無比的な脚色に骨折ったと思われる

(隠蔽された血の秘密は、智子の実父が、原作では衣笠宮家の亡き第二王子くらいでしょ

尚、映画で衣笠の宮様に相当する人物が、元華族の東小路隆子

原作の宮様は確か、謎の老人として現れ、巻末後に実孫「智子女王」と初めて顔を合わせるはず)

 

 

 

 

大黒爺は他に

「1プラス1が2になった試しがないというのは、ジンクスみたいになっている共同監督の結果である

二人共同してよくて一人前、ヘタしたら一人前以下

協力監督と共同監督では違いがあるだろうが、これまたやっぱり予想通りだネ、といった出来ばえである」

コレも、イタリアのタヴィアーニ兄弟のような二個一監督でなく、独立監督が協力や共同だったら当たっていよう

女王蜂のWikiを見ると

「日程が非常にタイトだったため、ロケの相当部分を松林宗恵(クレジットは協力監督)ひきいるB班が分担した

クレジットされていないが、そちらのカメラは木村大作が担当している」

協力者を得るとして、A班とB班の意思統一の有無や強弱が成否を分ける点が鍵ね

 

 

 

 

出演陣に触れると

 

 

 

 

笑かすのが、「佐々木剛石田信之、高野浩之と、1970年代前半の特撮ヒーロー番組主演者が脇で顔を揃えている」

一文字隼人 /仮面ライダー2号

ミラーマン

白鳥健太郎/超人バロム・1

それと

中島久之さん

赤いシリーズ常連の中島久之さん 「百恵ファンに不評で」 チャンネル登録募集 相互チャンネル SUB4SUB sub4sub

愛と誠 Tv Op

最後は当人映像無いけどの「早乙女くん、君のためなら死ねる」の岩清水くんと説明しといて

智子への求婚トリオも出席する野点場面で青酸加里を盛られる赤根崎だもんで、モモエちゃんファンの怨恨によりかねw

あ”、東京12ch版『愛と誠』ちゅうたら、夏夕介が誠役を演じた

この夏夕介が、女王蜂の1978年ドラマ版では多門連太郎役よ

彼のヤサグレ顔が映画版の沖雅也より特攻崩れに合うと見ている

 

 

 

 

智子への求婚トリオと言えば、大道寺銀造(原作の欣造)にとって、娘を狙う悪い虫ども、不倶戴天の敵だ

ところで銀造が智子に抱く独占欲に加えて秀子との関係が、仲代達矢から感じ取れる?

伏線を張り忘れた脚本の弱味かも知れないけど、一抹の余情や共感性に欠けるわ

共感性欠如の所為で、風呂から裸で時計台まで遊佐を始末に行くとか、発情抑えられないエロ親父に見えてしまう

智子を襲う九十九龍馬を演じた神山繁が同年ドラマ版で欣造を演じたけど、映画の印象と顔の所為で以上同文w

『毒蛇島綺談 女王蜂』(1952年)での森雅之が、超辛気臭い顔に歪んだ愛情が見え隠れする点で適役と思う

 

 

 

 

仲代達矢以上に、中井貴恵が悩ましい

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カネボウ 中井貴恵 1978春 女王蜂のくちびる

・中井貴恵は撮影当時、まだ早稲田大学文学部に通う大学2年生であった。

彼女の持っていた化粧かばんの中身は、本作の撮影用の台本と、英語とフランス語の教科書のみであったという。

 

・撮影の合間に勉強をする中井を見て、

共演者である岸惠子がフランス語を、英語の方は中学校の英語教師の経験を持つ加藤武が教えた。

また、芝居は市川崑が、絵は石坂浩二が、メイクアップはカネボウ専属のヴォーグ・イボンヌがアドバイスしたという

(以上の逸話は後に発売されたDVDの特典情報などで言及されている)。

 

・本作はカネボウのタイアップ映画としての一面も持っている。カネボウは映画公開と合わせて、新製品の口紅を発売した。

そして、カネボウのCMに中井貴恵が起用され、

「口紅にミステリー」「女王蜂のくちびる」といったキャッチコピーで広く大衆に認知された。

劇中でも、中井が演じる智子は原作通り父親の墓から「開かずの間の鍵」を発見するが、

そのきっかけが母親の遺品である口紅に隠されていたメモであるとする原作に無い設定が追加され、

それに関連して加藤武演じる等々力警部が「口紅にミステリー」という台詞を口にしている。

なお、当時有楽町にあった日本劇場では、映画公開前に映画タイトルと同じ大きさのキャッチコピーの看板が飾られていた。

松竹映画の二枚目スターとして人気を博した佐田啓二の遺児であり、別にブッサイクじゃない(弟・貴一がどちらかちゅうとw)

垢抜けず世慣れしてない風情が、短大生を含む女子大生が教科書を抱えて街を歩く「普通感」が邪魔してるというのかね

同じ鄙びた地方の旧家一人娘でも、僻地なりに戦後教育を受けて育った智子でなく、戦前に死別した母・琴絵に向くのでは?

男どもが群がるだけの「華」は無いよ

 

 

 

 

「女王蜂」に例えられる意味で智子に向くのは、1952年版の久慈あさみ

タカラヅカ男役トップスター出身と、「華」がある

「華」とまで行かない、ただ170cmと大柄で存在感強い、1978年ドラマ版の片平なぎさも合格だ

ま、琴絵を愛する銀造(欣造)がいつしか智子にを考えれば、智子/琴絵の一人二役アリだから

ドンピシャリを見つけるのは難かしい役だけどね

 

 

 

 

だから当記事題名に「忘れ得ぬ慕情」

 👇

eikaiwa.weblio.jp

bee in one’s bonnet 忘れられない考え

直訳すると「ボンネットの中の蜂」。ボンネットは車のボンネットではなく、顎の下で紐を結ぶ女性用の帽子の事です。

bee in one’s bonnetはボンネット帽の中に蜂がいるように「頭の中で忘れられない考え」を指します。

帽子の中に蜂がブンブン飛び回っていると、さすがに気にならない人はいないでしょう。

逆に、だれかに何かをしつこく思い出させる事をput a bee in someone’s bonnetといいます。