ジョージ・パットン:「Be audacious !(大胆不敵であれ!)」
ジョージ・C・スコット:「将軍、大胆不敵というのはワタクシのように、俗世間の権威を拒否る行為です」
パットン:「?」
スコット:「ワタクシは競争して順位つけるに疑念を抱きましたが、競争社会がまだ人間的だったなんて…」
パットン:「??」
スコット:「世界は鉤十字ドイツ以上の基地外どもに支配され、権威は自ら権威を貶める自殺行為に走りました」
パットン:「???」
スコット:「大戦車軍団をアメリカ本土に突入命令お願い致します」
パットン:「何かようわからんけどドンパチ大好きやから付き合うわ」
スコット:「将軍とワタクシ共にあの世の住人、もう恐れるもの捨てるもの無しですしね」
George C. Scott winning Best Actor for "Patton"
George C. Scott: Patton, Drinking, telling the Academy Awards to lose his number!
ゴールディ・ホーン困らせちゃってのスコットさんや
貴方の候補や受賞の数、ほっといても遠からず無価値となる
戦争狂爺さんと大人しく地上の堕落園を眺め、酒飲みながら「アフォやのぉ」とワロテなはれ
↓
「主要な役にアジアや黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など | ハフポスト
やっぱ、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
(Oscar)Winner is...ならぬ、Loser is Oscarの頃なw
ベルリン国際映画祭、「男優賞」「女優賞」を分けないジェンダー・ニュートラルに | cinemacafe.net
「遅かれ早かれ、アカデミー賞も同様の決定下す」勘が働いてたのよね
真っ先に手を挙げそうな現代ハリウッドが出遅れっぽいのが不思議なくらいの話じゃん
「主要な役にアジア人や黒人、ヒスパニック系などの人種または民族的少数派の俳優を起用すること」
白人Only映画を差別するんかよ
17世紀とかを舞台に描くコスチュームプレイの西洋史映画がほぼ作れなくなるな
「白人の美男美女の恋愛映画がデフォルトでもいい
白人と異人種間恋愛映画が、白人同士の映画と同じ社会的地位を得て初めて、アメリカ映画の進化をもたらす」
と書いたが
民族的少数派の配役が絶対的必要性も無い作品にまでデフォっぽくなれば、ホンマ逆差別、白人差別やで
「制作スタッフの重要なポジションに女性やLGBTQ、障がい者が就くこと」
それより、「障がい者」、これ止めて
「障害者」「障碍者」、何でアカンねん
「障がいのある方」といい、「がい」が平仮名だと却って、慇懃無礼、健常者の傲慢と知的水準の低さが浮き彫りよ
アカデミー賞に戻ると
主流とトランスジェンダーが同じオーディションに臨み、主流が正当な評価受けて採用されるならば何の文句あるの
トランスジェンダーには自分が納得するんだったら、主流の役柄を演じる選択肢持つを無視してないかね
採用されるか成功するかは置き、主流が演じる機会を奪う権利を持ってるのかね
ベルリン映画祭が配慮しようと、配慮されて当たり前の根性を捨て去らない限り
男・女・ジェンダーの壁を超える世界に変えられるほど、ジェンダーの皆が皆優秀とも思えないしね
自己肯定力が無駄に高いかもを理解させるため、それならベルリン映画祭の決定を支持するわ
「人は決して公平じゃない」=区別
「人はそれぞれの能力や環境に応じた権利保証が平等なのに、それが守られない」=差別
「弱者」を盾にする者の場合、無意識だろうと自分が差別主義者
区別と差別の違いを何回言うたら理解出来るやらのノータリンと変わらん
少数派が本当に自信持ってりゃ、不要にガーガー騒がんやろヴォケ
努力可能なのに努力せず棚ボタ的待遇、そんなんやから劣等人種扱いの差別されるをほれメモメモ
配慮しなきゃ~は恐らく、およそ30年前のとあるニッポン企業での「女性Onlyプロジェクト」的末路を歩むぞ
まだ初期段階の雇用機会均等法、それとバブル経済を受け、女性限定チーム結成させたまではいい
女性というだけで、向き不向きを考えず、また企画に必要なノウハウ与えず、それが成功すると思えるか?
「女性Onlyプロジェクト」が失敗すれば、ホレ見てみ~女はやっぱ無能で使えねーを印象付け、差別助長に繋がるだけよ
女子力みたいなのは男女混合環境で「ココは男より女が有効」な場面に於いて発揮すりゃイイんだっての
適材適所が重要の意味ね
救済を訴える手段多く持つノイジー・マイノリティを自惚れさせるより
一つの夢破れて、新たな夢が始まり、スター誕生 - 超時空なら…
「チャンスが無かったの」
こう言ったら、世の中の大半、「チャンスは自分で作るものだ」と突っ込む傾向あるね
自分で作るものというのも決して間違ってないけど
スーザンのような、自分のせいじゃないのに致命的な悪条件に阻まれる者はどうすりゃ?
年ばかり食い、ハロワで弾かれ就職叶わないみたいな惨状を呈する辛さがわかるか?
恵まれた者や若いだけの者の思い上がった価値観こそ、落選や失格させよ
無能なジジババには無能を思い知らせる機会として、未だ原石のままのジジババには才能を磨く機会として
いきなり門前払いしない場所を提供一度は提供するべきなんだよ
未だ原石系にはね、亀の甲より年の功が備わってるかも知れないしね
救済を訴える手段少なくなかなか理解されないサイレント・マイノリティ、そっちに配慮が先決と考える
とどのつまり、ベルリン映画祭やアカデミー賞の決定は
「主流と弱者双方の特権階級が『自分は寛容で社会貢献している』と無駄に高過ぎる意識に基づく自己満足」
宣伝しまくりの偽善活動大好き某MMと変わらんド底辺水準ってコト
マジ、映画芸術は終わったな
mathichen.hatenablog.commathichen.hatenablog.com
人種や国籍がメンドクサ~な面をやはり持つけど、映画界よりゃ門戸広いオペラ界
配慮という名の差別主義が、最後の砦にまで波及しないを願うばかり
ヴェルディの『アイーダ』題名役、あれは強い声質多い黒人ソプラノが有利ながら
同条件備わる白人ソプラノが黒塗りするとNGとかなんて、舞台芸術は映画ほどリアリティ要らんし、人種差別そのものだ
ちなみに
Nacqui all'affanno... Non più mesta: Frederica von Stade
実は今日、アカデミー賞の件無ければ、↑を記事ネタにするつもりだったw
ロッシーニの『チェネンレントラ』、早い話、シンデレラ
舞台映像なら、黒人でもBBAでも気にならん
映画仕立てなら、やっぱ、美男美女の白人至上主義が自然であり断然支持するわ
「自然」の定義を何処まで広げるかによるものの「不自然」を感じさせちゃダメなのが映画芸術だからね