チャールズ・マンソンからマシュー・ロバーツへの手紙
前記事後半は、ウェブリ休憩所記事とYahoo!独話別館記事から編集した
その補追しとく
1993年、ロサンジェルス
音楽家マシュー・ロバーツ(愛称マット)には、婚約者がいた
彼は10歳の時、養子である事実をやはり養子である姉から聞かされたが
愛情を注いでくれた育ての両親との生活は幸せだったので、本当の両親を捜そうとは思わなかった
しかし結婚を前に、イリノイ州にある養子縁組斡旋業者へ実両親捜しを依頼した
1999年、マット31歳の時、届いたのが実母テリーさんからの手紙であった
この時の手紙には
・17歳の時に妊娠したが、相手の男性に結婚の意志は無かった
・当時妊娠中絶は法律で禁止されていたため、未婚のままマットを産み、生後1週間で養子に出した
数日後、テリーさんから電話を貰ったが、いくら聞いても父親に関しては教えてはくれず、宗教活動をしていた人とだけ教えられた
マットは「宗教活動家」という言葉を頼りに父親を探し始め…「シャロン・テート事件」に突き当たる
チャールズ・マンソンが実父なのか?
顔もよく似ており、テリーさんを問い詰めると、テリーさんも観念したのか遂に認めた
マンソンがどういった人物なのか調べ始めると、自分との共通点が多々あったことに愕然とするマット
婚約者に全てを打ち明けると、彼女は去って行った
以来、明るい性格から一転、極力、人目を避け、ヒッキー生活に
マンソンに連絡を取ったのは、2002年
「真実は真実だ
そして、真実は痛く、傷つくものだ」
マンソンはマットを息子と認める返事を寄越した
それ以降は意味不明なメモ届くが続く
しかし、マットは何故かマンソンを憎むことが出来ない
結果、マットは何か吹っ切れた感じがして、真実を受け入れ、逃げずに生きて行くことを決意する
仕事にも復帰し、仲間にも全てを打ち明けた
マスコミに全てを公表した当時は、非難を浴びることもあったというが
マットには、全てを承知して見守る、育ての両親という力強い味方がいる
思うに
アメリカさんに於いて、養子縁組なんて常識の部類で、血縁の有無にほとんど拘らない
血は繋がってなくても、養家親兄弟姉妹が家族である
だからこそ養子が成人後、割り切ってルーツを探したり出来る
「子供には自分の『存在意義』を知る権利がある
子供が父親の居場所を知りたいというならば、母親は教えなければならない
母親が辛い思いをしたからといって、子供の権利を奪う事は許されない」
これに通じる
マットの場合、ロバーツ家が実家と言えるけど
「50年代の人」である両親と明らかに異なる自分の「根源」が何ものなのか知りたかったんじゃないのかね