mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

生まれてはみたけれど…夢見る頃を過ぎても、永遠の少年少女のまま

人それぞれ、生理的に苦手な顔やタイプがあるね

ベベちゃんは、イングリッド・バーグマンを受け付けない様子

たっふぃーさんは、個人的に不快感と生理的に合わないものがあって、ロマン・ポランスキ監督が基本ダメらしい

アタシは特に無いけど、男女一人ずつ強いて挙げると

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ディエゴ・フォルランペネロペ・クルスが苦手だ

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通じるでしょ

一目でわかるユダヤ顔が苦手な部類に入るんだわ

 

 

 

 

ユダヤ系と言えば、ポランスキもそうだ

明らかに「女の顔」への偏執が見られるについて

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夢見る頃を過ぎても、永遠の少年少女(前篇) - 心の旅路

触れたね

何となく思うにね

ポランスキーの母親の顔知らないから断言しないけど

まだ少年期に母親を奪われた男が、終生、母親を追い求めてるんじゃないのかね?

母親は死ぬ前のそれなり若い年齢で止まっているが、息子は毎年必ず爺さんへと進む

母親が30そこらのままでも、息子は生きてる限り、50歳とか80歳とか母親より年上となる一方だ

その矛盾を満たす女を選ぶ条件って?

1966年生まれセニエを顔だけ見ればBBA臭くなってるが、彼女でさえ33歳年下嫁だ

とにかく、Loliじゃなくたって、否応無く思いっ切り年下に走るんじゃないの

17歳を相手にとしたって、性癖じゃなく、悪くない意味でのマザコンに基づくものという気がしてならん

2010年に女優シャーロット・ルイスが「私もロマン・ポランスキーの」とMe tooしたので、絶対とは言わんけどな

 

 

 

  

 

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今朝、近代ヨーロッパ史おさらい中のアタシの前に現れた

戦前に撮られた写真で、乳母車に乗ってる子供が一目でロマン坊やとわかる

ポランスキが「ノミの夫婦」傾向は両親の遺伝子かw

母Bula Lieblingの顔、サテ、皆様どおいう感想を???

 

 

 

 

ところで

『roman polanski mother』(Google画像検索)

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シャロン・テートおねえさんがママとお祖母ちゃんに囲まれる写真が登場した

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左側の母子写真まで登場したが、5歳当時と合わせた少年、誰と思う???

www.dailymail.co.ukja.wikipedia.org

腐れヒッピーにも可愛い時代あったと想像しただけで3分ほど寝込んだ~

 

 

 

 

 

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https://mathichen.at.webry.info/201207/article_3.html

https://gunnereds17.blog.fc2.com/blog-entry-5065.html

…よう似てる罠は置き

右側が、1969年当時のチャールズ・マンソン

左側は、2009年にマンソンの息子であるを告白したマシュー・ロバーツ

 

 

 

マシューは、 1968年3月22日生まれ、イリノイ州ロックフォード育ち

両親について

「50年代の人たちで、私は保守的な彼らに馴染みませんでした

私を生んだ両親は、狂乱の60年代の人でした」

ロバーツの両親を愛してはいたが、自分とは何かが違うと感じていたら、10歳の時、きょうだいから「お前は養子だよ」と知らされ

マシューは、実父を見つけることで、自分が何者なのか知ることを望んだ

 

 

 

 

1997年、実の両親を見つけようと決心し、社会福祉サーヴィスに連絡を取って実母テリーさんはウィスコンシン州在住が判明

マシューがすぐに手紙を書くと、彼が息子であると確認したテリーさんから返事が届き

・誕生当時は、“マシュー”でなかった

・テリーさんが“ローレンス・アレキサンダー”と名付けた

マシューが更に詳細を訪ねると、どうしても素性は語らない

しかしマシューがしつこく要求したので、遂に凄まじい内容を告白…

 

 

 

 

1967年、テリーさんがチャールズ・マンソンと知り合った時、彼女の父親は「白人の貧困層のバイカーで悪党」を追い払おうとした

娘は、マンソンのカリスマ的な魅力に惹きつけられており、マンソン・ファミリーと行動をするべく、移動バスに乗り込んだ

が、サンフランシスコで、悪夢が訪れた

ドラッグパーティー、早い話、乱交パーティーで、マンソン御大から強姦され、その時に妊娠したのがマシューだった

 

 

 

 

「あなたは、まるで彼のように見える」

テリーさんはどうやら、子供の父親がマンソンであると常に思っていたものの生物学的にマンソンの子供と確認していたわけではないよう

それが、見事なまでにマンソンの生き写しであるマシューの写真に、さぞかし衝撃受けたに違いない

 

 

 

実母に続いて実父にも連絡を取ったマシュー

こちらもすぐ返事が来て、その後には手書きのメモを複数送って来た

その一通が

君は、私も父を探したように父を見つけた

その浮浪者は真夜中に電車で去って、そして死んだ

そして、海上に失われました

 複雑な生い立ち持つマンソン自身の幼時期と比較したメモ

 

 

 

 

マンソンの母親は売春婦をやっていた16歳の家出少女キャスリーン・マドックス、父親はカール・スコットという男

母親から育児放棄されたため、数ヶ月の間、戸籍も無い名無しの赤ん坊として過ごしていた期間もあったが

生を受けてから数か月後には「チャールズ」と名付けられ

その当時に母が気まぐれで結婚していた男性の姓である「マンソン」を貰い受ける

5歳以降に成育環境がおかしくなったようで、親戚たらい回し・孤児院等の施設・少年院・刑務所を経験している

 

 

 

 

マンソンに一点だけ同情するとしたら、成長期に「父親不在」の点でしょね

父親の存在は男の子にとって、大人の男になるための見本だからね

その点、養子ながら両親の揃った温かい家庭に育ったマシューは幸運だったものの

「マンソンを愛していたくはありませんが、嫌うようなこともしたくありません」

「もしも電話でマンソンと話をするならば

『誰もがこれまで想像して来たチャールズ・マンソン像よりも、私は多くの点で、あなたがどんな人なのか理解出来る』」

…やはり「似た者親子」と感じる

 

 

 

 

マンソン&マシュー、ポランスキ、それとナタキン

立場異なれど、皆、当記事題名通りじゃね