mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

精神との闘いに勝利する、神の聖なる子羊~炎のランナー~

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この映画、1982年に発表された第54回アカデミー賞に於いて、開けてビックリの穴馬となった
作品賞と監督賞が一致しない、それほど多くない例の一つである
当時16歳のアタシは、一致しないで喜んだけど↓





原題について

" Chariots of Fire " というタイトルはウィリアム・ブレイクの『ミルトン』の序詩"And did those feet in ancient time"からとられている。詩では "chariot of fire" と単数形。ブレイクがモチーフとしたのは、旧約聖書『列王記』においてエリヤが炎の戦車(Chariot)に乗って地上を見下ろすシーンである。

以下は詞の抜粋である。

    

Bring me my bow of burning gold!
Bring me my arrows of desire!
Bring me my spear! O clouds unfold!
Bring me my chariot of fire!

    

わが燃えたぎる黄金の弓をもて
欲望の矢を、槍をもて
雲よ散れ
わが炎の戦車をもて


この詩はチャールズ・ヒューバート・パリーによって1916年に曲をつけられており、英国では愛国歌として歌われている『エルサレム』である。映画のラストで聖歌隊によって歌われている。


Wikipedia炎のランナーより引用 )





エルサレムといったら


ウィリアム王子の結婚式で、一般日本人のお耳に馴染みが?




アタシにゃ


ロイヤル・アルバート・ホール祭り騒ぎ〆括りに皆で歌っちゃうで馴染み深い
9・11直後に物騒だというんで♪威風堂々と♪ルール・ブリタニアが歌われなかった2001年なんぞ
〆しか歌われへん聴衆が威風堂々と、我が燃えたぎる黄金の声をもって斉唱しとったわ




筋金入り映画マニアなら、’傷だらけのアイドル’の他に
トニー・リチャードソン監督の‘長距離ランナーの孤独’ってか
'Jerusalem' from 'The loneliness of the long distance runner
…よく考えてみれば
感化院に送られた主人公が、院長への抵抗として、長距離走の最後に立ち止まる
院長=権威に怒れる若者の信念と考えたら、信念ってスゲー





1978年のロンドン、ハロルド・エーブラムス追悼の礼拝が始まり、アンドリュー・リンゼイ卿がスピーチを行っていた。物語は、彼らが胸には希望を抱き、踵には翼をつけ、走ることに夢中だった時代へさかのぼる。

1919年、ケンブリッジ大学に入学したハロルド・エーブラムス。彼はユダヤの血をひいているため、潜在的な差別と偏見を受けており、その鬱憤をぶつけるように陸上競技にのめりこむ。障害物のアンドリュー、中距離のオーブリーとヘンリーとともに「ケンブリッジ大学4人組」として華々しい活躍をしていた。

スコットランドには、宣教師の家に生まれたエリック・リデルがいた。彼にとって、自らの才能によって競技会で勝利することは神の恩寵を示すものであり、つまり走ることは信仰と同義だったが、妹のジェニーは彼が陸上に熱中することを好ましく思っていない。しかし、父や兄は彼が競技を続けることを奨励し、スコットランド代表として大会出場する際には彼の伝道スピーチが併せて行われ、多くの人々が聞き入った。

1923年、ハロルドは競技会でエリックに敗北し、激しいショックを受ける。そこへサム・ムサビーニが現れ、ハロルドは彼から本格的な指導を受ける。一方エリックはジェニーに、中国へ布教に赴く決意と、その前にオリンピックに出場するという決意を伝えた。

ハロルドはケンブリッジ大学のトリニティとキース双方の寮長から呼び出され、非英国系かつプロコーチのムサビーニを雇っていることはアマチュアリズムに反し、大学にもふさわしくないと批判を受ける。二人に反論して退出したハロルドは、友人たちから、100mと200mのパリ五輪代表に選出されたこと、エリックも代表であることを告げられる。

ドーヴァーからパリへの出航の日、エリックは、記者から予選の日が日曜日(=安息日)であることについて質問を受け、初めてその事態について知る。敬虔なキリスト教徒である彼は、選手団長のバーケンヘッド卿に相談し、日程変更を掛け合ってもらうことになった。しかし、事態は好転しないまま、パリへ到着する。英国チーム最大のライバルは、近代的なトレーニングを積み、士気も高い米国チームであり、C・パドック、フィッチ、ショルツといった強豪選手が名を連ねていた。

5月4日、パリ五輪が開会した。期間中に開かれた親善パーティの席上、エリックはデイヴィッド王太子・サザーランド公・カドガン卿ら、英国オリンピック委員会の要人に引き合わされる。結局、対仏交渉は不調に終わっており、エリックは祖国と国王への忠誠のため出場するよう説得されるが、神への信仰はそれに勝るとして拒否する。そこへ貴族であるアンドリューが入室し、アンドリューが400mの代表枠を譲るので、エリックは出場種目を変更してはどうかと提案する。全員が賛成し、エリックは100mを棄権した。

200mに出場したハロルドは、パドックに敗北し、ムサビーニから叱咤される。100m出場を目前に、ハロルドは不安な心情をオーブリーに吐露する。直接、競技場へ行かないムサビーニは、ハロルドへの手紙にお守りを同封した。王太子の激励、アメリカの応援団、レースへの緊張が高まっていく。ハロルドは100mで優勝した。ムサビーニも、英国国歌吹奏とともに最も高い所に掲げられたユニオンジャックをホテルから見、ハロルドの優勝を知る。英国本国の人々も、彼の優勝を知り喜ぶが、ハロルドの心は晴れない。ムサビーニはそんなハロルドに深夜まで付き合って慰労するとともに、恋人と新生活へ歩むよう勧めた。

400mに出場するエリックを、アメリカ選手は警戒する。ショルツは旧約聖書の一節を記したメモをエリックに渡した。エリックはそれを握りしめてレースに臨む。要人や英国チームの選手達、そして妹のジェニーが見守る中、彼は優勝した。英国へ戻った彼らは、大歓声で迎えられるヒーローだった。エリックやアンドリューが迎えられ、静けさの戻った駅に、一人降り立ったハロルドは、愛するシビルと再会し、二人で肩を寄せあい歩み始めるのだった。

再び1978年、『エルサレム』の合唱で、追悼礼拝は終わり、アンドリューとオーブリーは「彼は勝った」と、ハロルドを思い出すのだった。






とりわけ、たかが人間如きに過ぎない祖国と国王がナンボのもんじゃい、全能の神を敬う者がね