mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

嘘吐きはドロボー猫以外、真実の口を持つ~ローマの休日~

外出る元気無いため、YouTubeで世界旅行した結果
エープリル何とかには1ヶ月早い備忘録をば





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真実の口(しんじつのくち、イタリア語: Bocca della Verità(ボッカ・デラ・ベリタ))は、ローマにある石の彫刻である。

ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)の外壁、教会の正面柱廊の奥に飾られている。元々は下水溝のマンホールの蓋であったといわれる[1]。海神トリトーネの顔が刻まれている。

手を口に入れると、偽りの心がある者は、手を抜く時にその手首を切り落とされる、手を噛み切られる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がある。

映画『ローマの休日』では、グレゴリー・ペック扮する新聞記者のジョーがオードリー・ヘプバーン演じるアン王女を驚かそうとして、伝説に基づき悪ふざけで「真実の口」に手を入れて、抜けないという演技をした。このときうぶな王女はそれを真に受け、恐怖のあまり叫び声を上げ、あげくに泣き出してしまった。

Wikipedia真実の口より引用 )

オードリー自身、伝説を真に受け、泣いたんだって
場面の真実味を持たせる目的とはいえ
オードリーの立場で考えれば、撮影現場が悪魔の集う地獄に思えるわい





30何年前、どっかの皇太子が、大学卒業を控え、学友たちとの飲み会に参加した際
会場に到着するや、居酒屋が即行、「只今、満席です」の札を入口にペタリ貼った
確かに、満席だった
多分サークル程度の参加者数で、本日は○○大学御一行様貸し切りな~りでもないのによ
どんな酔客が舞い込むやら対策として、厳選された身元正しい常連客=サクラが占めたというオチだけど




欧州きっての古い歴史と伝統を持つ某国のアン王女が、欧州各国を表敬訪問中
疲労感と自由の無い日々にウンザリし、ローマの街をフラフラほっつき歩くともなれば
嘘で嘘を固め、嘘の上塗りしないと、成立せんわな
それをわかって、王女をワザワザ『真実の口』へ案内するとは、ジョーも悪魔の一味???




「ワタシ、お料理だってアイロン掛けだって何だって、ちゃんと出来る」(腕振るう場所が無いだけよ)
生まれながらの王位継承者であるが、一生に一度だけ、『普通の女の子』を堪能する
当たり前に思える事が当たり前でなく得難い世界に生きる
身分低いが意識は高い系バリキャリ雑魚には永遠に理解不能な夢と悩みが伝わったからこそ
永遠の都での永遠の一日が、やがて国を背負う日々の中で休息を得る折の寄す処であろう
外野に土足で踏み込まれず、楽しいままを守ってやろう
ジョーは、王女を大使館に送り届けた後、特ダネ用のメモを粉々に引き裂いた所で、神さんへと変わるがね




王女がローマを去る日の記者会見で、今回の外遊地の何処が最も思い出深いかを質問されると
価値観ならぬ国も皆それぞれですから~の決まり文句を口にしかけるのを抑え
ローマで体調悪くして寝込んでるとの大本営発表が出た王女なのに、、「ローマが最高でした」
…嘘も方便というか、信じれば真実の口を持つってか




ローマの休日といえば

オードリー・ヘプバーンの起用

この作品で最初にヒロイン候補に挙がっていたのはエリザベス・テイラーであった。しかし、監督のフランク・キャプラが高額の製作費を要求したため、スタジオはキャプラを降板させ、代わりにウィリアム・ワイラーに白羽の矢が立った。ヒロイン候補にはジーン・シモンズの名前も挙がっていたが、ワイラーは「主役はスターである必要はない。アメリカ訛りのない、王女の風格のある女性が欲しい」として主役を自由にキャスティングできることを条件に、監督を引き受けた。そしてヒロイン探しに頭を悩ませて、ロンドンに行き、何人かの志願者に会っている。

この時、オードリー・ヘプバーンはまだロンドンにいてワイラーに会っていた。この後にワイラーは、パラマウント社ロンドン支社のリチャード・ミーランド製作部長にオードリーの写真と報告書をニューヨークに送らせている。1951年7月頃のことであった。

当時、オードリーは映画界では無名に近い存在で、体型も女優としては痩せすぎであったが、その彼女をロンドンのパインウッド撮影所に呼んでスクリーン・テストを受けさせ、そのフィルムを見たワイラーがヒロインに抜擢することを決めた。この時、緊張気味にフィルムに収まっていた彼女がテスト終了を告げられて、破顔した時の笑顔がとびきり良くて魅了されたと後に語っている。グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず自分と同等のクレジットを与えることに同意した。

しかし、彼女にはそれ以前に声がかかってブロードウェイで上演される『ジジ』の主役に抜擢されており、この直後に船でニューヨークに向かった。そしてブロードウェイでおよそ6か月の公演が続き、『ローマの休日』の撮影に入ったのは主演に決まってから8か月後の1952年6月であった。

Wikipediaローマの休日より引用 )

グレゴリー・ペックは確か、自分から、クレジットの序列を言い出したわよ
撮影地から米国のエージェントに
「どないなっとるねん」と連絡入れたら
「んなもん、ペックさん、貴方がトップに決まってますがな」
と返って来たもんで
「この映画はな、どない考えたかて、記者やなくて王女が主役や」
「俺は恥かきたくないよって、オードリーをトップにするか、俺と同等にせい」
ペックさんは厳命した
エージェントはスター様がそう仰るならとばかり、映画製作元のパラマウント社に伝えると
「アフォかい~」と断られたものの、エージェントも簡単には引き下がれないってんで
「承諾して頂かんと、お宅の会社、撮影中ブ~垂れまくりのスター様抱える羽目になりまっせ~」
スター様第二希望の同等に持ち込んだ次第





米国の地で余命何日のオードリーを、スイスに暮らす家族と過ごさせるためだったら
自腹切ったチャーター機に乗せて大西洋横断させるほど
悪役を演じても、素の善人ぶりが眼に現れたペックさんだけある




これを30年前に観た時にゃ

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イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県の有名な怪物公園内にある『地獄の口』状態
それもまた、最近何日も喋ってないけど基本シャベリ仕様が真実の口が告げとく