mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

鬼畜もまた、人間である(後篇)

枕部分記事から続いた





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砂の器’(1974年)、‘鬼畜’(1978年)、どちらも、野村芳太郎監督の松竹映画
ぶっちゃけ、アタシにとって疑問符多い、松本清張原作映像二大巨頭よ




火曜サスペンス劇場辺りでの清張作品ドラマ化を思い起こすべし
情に走る傾向あるじゃん
例えば
松本清張ドラマスペシャル・黒の回廊」
2004年3月23日(21:3-23:24)日本テレビ開局50周年記念作品
舞台は南フランス・スペインに設定されている
(原作では、デンマークイングランドスコットランド・スイス)
原作の登場人物の設定を残しつつ、犯行方法や犯罪発覚の経緯は概ねドラマオリジナルの形に脚色され
事件の背景は沖縄に置き換えられている
島田楊子がクロなんだけど
「過去に抱えるコレコレ云々のせいで、罪を犯したんだ~」と京本政樹が庇う場面でTV蹴ったわ!
島田楊子が演じた役は、原作の最後、まだ悪アガキしとった
情状酌量の余地あるとして、素直に罪を認めてからの話だっての
てか、京本、仮面ライダーに登場する地獄大使の衣装などパクッタ罪を認めよ
1971年4月3日 - 1973年2月10日放送シリーズで演じた潮健児の遺品から持ち帰ったんだってよ)




映画化された砂の器、タラコ唇原作者が気に入ったからって
この作品が、情に走る路線作った元凶でしょ


父親が存命中の設定となり、会いたいけど会えない背景に流れる
イライラして来るわ
TBS系列で、2004年1月18日から2004年3月28日までの「日曜劇場」枠を思えば、まだマシか
音痴の中居正広が、天才人気ピアニスト…それも耐えられない以上に
最後の最後、医療刑務所に収監される原田芳雄の横でハーモニカ吹く場面に、茶を吹く思いだった
とにか~く、主人公が羽田空港から国外トンズラ間際に捕まりTHE ENDの原作に劣る
乗るはずの飛行機が見えなくなり、全てが崩れ去った虚無感に勝るものは無い




中居版砂の器に、取り柄を探し出せば
成瀬あさみ:松雪泰子
劇団「響」の舞台役者。30歳。原作には登場しないオリジナルキャラクター
ですかね
未婚の母を持ち、現在絶縁している
母親の訃報を親戚から受け取り、母親の家に赴いたら、「本当に来ちゃった…」
「妹ちゃん何も知らないのよ」というが、あさみも妹なんて存在すら知らない
家を覗くと、あさみにとって継父が、妹という娘と一緒に泣いている
妻の連れ子であるあさみを虐待した継父、男手放したくないので虐待許した母親
あさみが家を離れ、邪魔者いなくなったおかげ様で、夫婦両方にとって実娘を囲んでのラブラブ生活堪能した
そんな鬼畜が、近所で評判の仲良しファミリーなんて笑わせるんじゃないよ
「何しに来た!」と喚く継父振り切って、遺骨の一部を分捕った場面がどうも引っかかるものの
あさみが少しは母親への想いを抱いていたという方向で許しとく




「夫婦の子供」の存在、これが、松本清張の鬼畜を左右すると見る




1歳の息子が、不自然な窒息死を迎えた
4歳の娘は、東京タワー展望台に置き去りが決まった
東京見物にワクワクし、外食も楽しんでいたら、向かいの席だっけ、オバちゃんがいろいろ質問して来る
住所は無論、名前もろくに言えない子だが、身元不明が確実を見込んでの捨て子計画なので
ウッカリ正確な名前を思い出されたら困るとばかり、父ちゃん慌てて娘を引っ張って席を立った
二人片付いた
しかし、まだもう一人、7歳と大きく、それなりの知恵持つ子が残っている!




映画版については、2014/7/20(日) 午後 4:34【復讐するは我に在り】

昨年だっけ、清張ドラマにちょっと調べたい事あってのYahoo!検索中、あるYahoo!ブログに行き着いた
ブログ管理人さんは原作未読のため、初めて接した映画版の強烈さに、長年トラウマ抱えた模様
愛人役の小川真由美は同じ野村芳太郎監督の‘八つ墓村’の時から、顔見ただけでビビるほど怖いが
嫁役の岩下志麻はどんだけ、亭主が他所でこしらえた子供たちイビリ回したやらの戦慄度数200%
映画観た人皆トラウマ抱える、無理おまへん話ざます
原作読んだ方なら、ド派手なイビリ場面描かずとも成立する物語であるをご存知でしょしね
ブログ管理人さんとmathichenさんに共通したのは
「何でもありみたいな昭和から、ファブ○ーズ仕様の物喜ばれる平成へ移って以来
陰惨な物語でも小綺麗に描かれ、問題をどぎつく深く追求しなくなった
子供の人権無視は、過去の問題じゃない
日本全国津々浦々、連日のように起き、幼い命喪われるニュースが報道されている
クサイ物に蓋せず解決望むためにも、映画版を昭和からの教訓として、後世へ残すべきだ」

「一部不適切と思われる表現云々」
販売用DVDケースに断り書きが見られる
作品が封印されないだけ恩の字とは思う
どうあれ平成基準だとアウトな残虐性だけに…「知らないおじさんだよ!」、嫌なのよね
宗吉に反省の念を起こすじゃねーか
起こしちゃダメよ
映画で言ったかどうか忘れたが、原作では、お梅が子供たちを見て「誰もアンタに似てないね」
菊代が托卵企んだ?は置いとく
お梅の言葉が宗吉を、「俺の子じゃないから…」と自分に言い聞かせ、罪に駆り立てる
そこん所、大事よ
原作の、石材の欠片から足が付き、警察の捜査始まる幕切れがシックリ来るわ




‘鬼畜’は、宗吉が主人公に見えるけど
「他人様の子供」など育てる気の無いお梅、嫁が、全ての鍵を握ってると見るわよ
【復讐するは我に在り】に

ワルキューレ第二幕、清張ドラマと似通ってますわな
人間の夫婦、神さんの夫婦、どちらも子供いない
亭主には、他所で作った子供がいる
人間の方は、二男一女
神さんの方は、双子+9人のワルキューレ娘たち
印刷屋亭主は、女房に仕切られ、女房による次男殺害を見て見ぬふり、娘を捨て子と長男を海にポイ投げ
神さんは、これまた女房に怒鳴られ、自ら手を下さないものの、唯一人の息子を見殺し
どちらの夫婦も最終的には、警察の捜査開始、神々の終焉と、破滅を迎える

印刷屋夫婦に、子供がいれば?
実子いたらいたで、夫の愛人が産んだ子供なんて嫁にとって汚物であり、継子イビリでしょがね
子無し嫁にすれば、不妊だろうと、選択子無しだろうと、亭主が外でボコボコ産ませるとは
商売繁盛に嫁の貢献大きい事を忘れ、愛人囲うとは何を一丁前さらしとるんじゃボケカス
嫁公認の二号でなけりゃ、裏切りであり、侮辱の一言に尽きよう




ボンクラ亭主も無論憎たらしく、ボンクラの血を引く餓鬼はもっと憎い
亭主は憎み切れないロクデナシなので
庄二を育児放棄の末、衰弱死させた直後、嫁から亭主に迫っちゃうを見ましょ
「嫁も、オンナでしたか」、亭主が改めて気づき、新鮮さを感じる
一蓮托生、罪の意識が蜜の味とばかり、燃え上がっちゃい
事が終わると、亭主は嫁の「他の餓鬼も片付けようよ」に同意せざるを得なくなるのがねぇ
超生身の男女であると同時に、自分たち以外は目に入らない鬼畜と化してるじゃん




情は情でも、欲の方で、松竹映画お得意の人情じゃないと言いたいわけ
映画版鬼畜が「時代の証言」みたいな価値持ちながらも、アタシゃ苦手な理由よ




…そこまで言うなら、アタシが最高級の‘鬼畜’を撮ってみろ?
これまた【復讐するは我に在り】に

ワーグナー師匠格曰く、「子供の人権や保護に関する考え方をクリアすれば、現代ドイツ版可能」
東洋では、兄姉が弟妹をお守りする鍵っ子文化が、いまでも辺境に行けば見られるのに対し
西洋では、子供だけで家に居ると、フランスでは4時間超えたら?、育児放棄と見なされ、警察が飛んで来る
東西の文化の違いを踏まえた脚色すれば、アホな中年男女の愛憎劇ドイツ編描けるいうのよ

子供イビリ描いた松本清張小説に、シェークスピアの‘マクベス’の要素を絡め
ドルトムント市井を中心としたドイツを舞台に繰り広げられる愛憎劇
♪garde-moi la derniere dance(ラストダンスは私に)、♪時の過ぎゆくままにが主旋律

エ?
「…仮に映像化されたら、どんな傑作なんでしょうね( ̄ー☆
何なら現代版マクベス夫人役を自分でやってもΣ\( ̄ー ̄;)(=◇=;) 」
清張ドラマの悪魔のような嫁役演じるのが夢なんやろ?そこへ、♪ワルキューレ演出まで?
アナタ大事な点を、この記事がmathichenさん恒例の長文とあって、もお忘れてる
「これでも、小学校卒業文集に『将来の夢:作家か俳優』
作家、こちらは、物書き分野ではブログが曲りなりにも達成した
映像分野がね、未だし
舞台、映画どちらか、オペラ演出に興味ある、出来れば男前の、専門教育受けた一団いない?
セスク級男前以上の男前の演出家志望なら、アタクシゃ演出助手に徹する用意あるわよ
ワルキューレの他、現代ドイツ版清張ドラマ映像化、共同制作しませんか?どお?