mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

新ニッポン紀行~百鬼夜行の忌明け~


1963年10月7日から1982年3月10日までの間にTV観てた、人生半世紀以上の耳に残る旋律と述懐しといて





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昨日2月7日に、ジジィ四十九日法要が菩提寺で執り行われた
午後1時からに合わせ、12時過ぎに、汚宅までタクシー呼んで出かけた
徒歩10数分だけど、骨壷・位牌・墓花・粗供養などを持って歩くのはシンドイがな




控え室でゴソゴソ中、ジジィから見て嫁の義妹、鬼婆の弟嫁が到着した
京都・城陽市に住んでいるので、堺東駅でトンカツ昼食済ませられるほど早目に出発したというの
12時40分、鬼婆が介護タクシーに揺られ、ホントに寺まで来やがった
それより少し遅れて、鬼爺夫婦が西区からクルマ運転して着いた
鬼婆の奴、自分自身の身内の顔見て御満悦
相変わらず、ジジィ従兄を呼んだのが気に食わないわけよ
ジジィ従兄、それと、予定変わって、従兄の義弟(妹の旦那)はというと
遅いので従兄携帯に掛けると、道路渋滞で遅れる、先に始めてくれとの事
そうしよかと思ったが、悪寒的中した結果により、全員集合しての法要開始となった




的中した悪寒とは?




鬼婆が御不浄済ませたいと言い出した
トイレ近いからわかるものの、半身麻痺の都合上、特養での日常通りスムーズな展開と行かない一騒動
到着遅れた爺さんたちには、法要開始遅れて有難かった
が、アタシゃ、「まさか…」
…そのまさかだったんだよ
予定では、本堂の側で拝んでサッサと帰るを、鬼婆本人が納得していた

実際には、本堂まで車椅子ごと乗り込んだ





鬼爺が一応、「止めとけ」とたしなめた
以前の経験値により、施設入所者の外出には神経使うをわかっていたの
介助者がずっと付き添わない場合、行動制限あるんだよね
鬼婆の障害は唯一つ、本堂に上る階段であった
鬼婆にとってラッキーだったのは
坊さんまで手伝って、車椅子のまま、階段上って本堂に入れてくれた事

菩提寺をも仕切る勢いの檀家の嫁って…婚家墓守を、逝ってもやっとけぃ





昨日の介護タクシーが他を回る時間の都合上、鬼婆は結局、納骨まで見届けおった
墓場には流石に車椅子で入れないが
ウチの菩提寺、墓場が古い区画と新しい区画に分かれている
ウチの墓は、古い区画に建っている
鬼婆の奴、何処ドコまで悪運強いのやら、控え室窓辺の真ん前に墓が建っている僥倖と来たから…
おまけに
兄夫婦と義妹だけの時には、ジジィ従兄たち呼んだへの嫌味垂れる
爺さんたちが来たら、外面良子ぶりを発揮する
アタシゃ当分、特養に行ってやるのは止しとくに決定~
何ゴチャゴチャ言われるか考えてみ
最後まで居座ったのも、アタシ監視して、いざとなれば自分が仕切る腹積もり?
ったく
いくら神出鬼没の認知症が面倒でも、まだカワイイのがおるわ

頭ダイジョブ系被介護ジジババ、始末悪さの点では最凶と断言してやる~





アタシゃ内心、法要の最中、読経に眠気催しながらも、「ジジィよか鬼婆の法要が助かる」
施主のアタシに次いで鬼婆が焼香する際、アタシが箱を車椅子まで運んだが、「焼鬼婆が嬉しいわ」
納骨では、墓石に向かって、「そこの住人たち、鬼婆はよ呼んでくれ」
なお、3月30日の百箇日法要、施餓鬼会だっけ、これはもうアタシ一人でやるわ
鬼婆が来ようとしたって、ココで会ったが百年目とばかりの勢いを持って阻止!




どーにか全終了後、京都の叔母さんと珈琲飲んだ
もうじき中学生になる孫がいて、70歳くらいのはずなのに、40代や50代でも通る可愛い顔で若い
意外とキツイ面持っている節を感じるものの、人当たり良いイイ女性である
でなけりゃ、糞コトメに、「お義姉さんにいろいろ面倒見て頂いたから」と御礼持たせてくれるかっての
糞コトメ、祖父さんの娘4人全員だけど、ここで言うのはウチの鬼婆のコトね
長男嫁についても、嫁同士ってどおよ?の殺伐とした現代に、高く評価していた
次男嫁に対しては人畜無害であったを抜きに
亡き姑、つまり祖母さんの、長男嫁への糞トメぶりに呆れていたほどだった
自分んちの嫁たちに優しいし、この人なら、子供たちから進んで在宅介護して貰えるわよと安心したわ




若いと思っていたら意外とジジババ、それは、鬼婆の呼ぶ所の「おっさん」、菩提寺の先代住職
息子の嫁かと思ったら、娘の友だちで寺を手伝っているというおねえさんによると
おっさんは80歳を過ぎ、寝込んでいないが、透析に通う身とか
そのため、娘の婿さんかしらん、後を譲って現在に至る
優秀な後継者がいて良かったわね
家や家族の形態が移ろい、昔ながらの檀家が少なくなって、寺の存亡に関わる時代にあって
御新規さんもいて、結構流行っているようだからね




真面目な話、いまの時代、寺の運営は大変だが、同時に、檀家の方もでしょ
昨日の夕方、近所の小中学同級男子お母さんと話した時
「四十九日と納骨を一日で済ませられてエエやん
菩提寺と霊園が別々やと、近距離内やない場合、一日では無理やで
お客さん沢山おってみ、お斎(会食)やお茶の時間を挟んだら、遠くまで移動出来へんもの」
アタシゃ漫然と、墓は菩提寺の中に持っているのが普通、別々でも近所やろの感覚だけど
俗世間に於いては、墓のある場所もまた、家や家族の形態が移ろいなんだよね




考えてみると、葬儀も、世の中様変わりしつつある
葬儀や法要に関する検索かけまくったため、葬儀社広告が嫌っちゅうほどPCに表示されるが
よく目に付くのが、NHKで紹介されたとかの「小さなお葬式」
ウチもそうだったが、ごくごく少人数、誰も身寄りいない的、とにかく最低限度の規模と予算が増えて来ている
これをよくよく考えてみれば、「現代の葬儀がむしろ、昔の葬儀より手間増えてカネ食うかもな」
現代でも、旧家、ド田舎の膿家といった、格式に拘る家庭や地域は少なくない
そういう所ならば、自分たちで準備し、葬儀社の手間を省け、出費は菩提寺への御布施程度に済む
そうじゃない所だと、坊さんをamazonで宅配して貰ったりカネが無駄に飛んで行きそう
初めての坊さん相手だったら、お互い相手を値踏みするとか、ちとメンドクサイ感じを受ける
ウチの鬼婆を本堂に担ぎ込んでくれたのも、戦前からの檀家という付き合い大きさが関係あるでしょ
毒親から逃げ切っている、付き合い続くも折り合い悪いなど、家庭の事情により
血縁馴れ合いを家族愛とぬかす系統のアホな家社会を拒絶するには有効だろうけど
伝統的な形を今後も受け継ぐんだったら、面倒嫌よは却って損する気がしてならない
どういうか、「核家族化が悪いわけじゃないが、計画性持って取り組む必要があるような」




カネ稼いどけば子供の教育や老後の心配無いと考える奴が如何にバカであるか
おひとり様人生サイコー主義、パパンママンに孫守りさせる貧乏共稼ぎ夫婦、オマエらもだよ
ぶっちゃけ、保育園落ちた日本シネいうよか、身の丈に合わない子供を無責任に作る貧乏人がシネと言いたいわ
厚生年金が年間14万円ばかり減額しちまう法案をアベちゃんが通そうと必死になっている現在
可愛い孫ちゃんのランドセル買う他、何くれと支援も減額せざるを得ないかも
孫守りさせたら介護が恩返し義務であり、場合によっては、葬儀を始めジジババ死後にも面倒続く
子供に事情あろうと、それに対応出来ない親の事情あればを想像すら出来ない小娘青二才が増えたね
自分の面倒は見て貰って当然、他者の面倒見るのは拒否なんて、人間失格の一言に尽きる
自由欲しけりゃ、それ相応の代償は払うを、親のカネ無駄遣いする受験勉強以前に学んどけ
ま、介護地獄と同じくらい、ジジババ死後の面倒は経験しないと理解困難だけど
人間は死んだらそれで終わりじゃなく、宗教によっては生者の財布を圧迫し続けるをほれメモメモ




それはさておき




鬼婆が、トイレ行きたいわ、本堂に車椅子で乗り込むわのせいで
介護サーヴィスも、坊さんにとって功徳の一つなんかい
頭丸めた坊さんアレルギーだっちゅうのに、気の毒になって同情した
少なくとも2018年年末の三回忌とやらまで

別口の介護保険料として、御布施を納付せなアカン気分よ