mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

愛に生き、ある晴れた朝に、誇り高く散る

八千草薫吉永小百合なら、何歳になろうと、俺ダイジョブ♪☆」
という男ども少なからず存在し、アラサーにもいて恐れ入る
八千草薫:1931年(昭和6年)1月6日生まれ、吉永小百合:1945年(昭和20年)3月13日生まれ
前者はアラサー世代だと、俺のボケた祖母ちゃん年齢なのに~





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プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の映画化で、東宝が伊リッツォーリ・フィルム及びガローネ・プロと協同で製作し、撮影は一九五四年十月から三ヵ月、ローマのチネチッタで行われた。脚本は伊映画界の古参カルミネ・ガローネと東宝製作本部長森岩雄が共同で執筆し、「ファウスト」のガローネが監督にあたった。撮影は「河」のクロード・ルノアール、美術は三林亮太郎が担当し、メークアップ、結髪、衣裳等にも日本側のスタッフが参加した。出演者は日本から「宮本武蔵(1954)」の八千草薫、「潮騒(1954)」の小杉義男、「悪の愉しさ」の東郷晴子、「東京ファイル212」の中村哲、歌手の田中路子と高木清のほか宝塚歌劇団の人達、イタリアから新進のテノール歌手ニコラ・フィラクリディをはじめフェルディナンド・リドンニが出演、歌はオペラ歌手オリエッタ・モスクッチィ、ジュゼッペ・カンポーラ、アンナ・マリア・カナーリその他が受けもった。テクニカラーによる色彩映画。

http://movie.walkerplus.com/mv24136/
テクニカラーによる色彩は目に痛いので、白黒を持って来た
23歳の現役タカラジェンヌ当時の八千草さん、カワイ~過ぎる(隣の伊太利亜野郎が目障りだッ)
歌は吹き替えだけど、可憐な日本人形タイプ好きにゃ琴線くすぐるでしょ




…日本人形なんて正直、夜中に薄笑い浮かべる、髪の毛伸びるなど、ホラーの対象でしかないがね
大和撫子とやらを嫁に貰った欧米亭主、圧倒的多数で、夢ブチ壊されるらしいよ
今年の元旦、ウィーンフィルニューイヤーコンサートのハーフタイム中に
首席ヴァイオイリン奏者を退いたライナー・キュッヒル登場したね
ウィーンフィルいうと、日本産嫁を貰う団員が一時多くて、キュッヒルもその一人
昔々NHK歌謡コンサート出演時、「女王様怖いです」と日本語で答えとったわ




枕部分はこの辺にしといて
当記事、2011/12/17(土) 午前 4:51 Yahoo!独話別館を基にイジクリ回したものざます
(少しは丁寧な言い回しで書いてた頃だから、最近のガラ悪さ発揮と共存する理由だっての)




赤い靴履いてた女の子が誰かについては諸説ありますね(Wikipedia
海の向こう遥か遠い国へ渡る少女、飛行機でなく船での移動の時代であり、哀愁を感じます




遠い昔々、小さな子供が日本から海外へ渡るといえば


プッチーニ作曲♪蝶々夫人の幕切れ場面
待ちに待った夫ピンカートンが戻った喜びも束の間、自分は現地妻でしかなかったを知る蝶々さん
坊やは、ピンカートン夫妻が引き取り、正妻ケイトは立派に育て上げると約束する
蝶々さんはケイトを祝福し、坊やと今生の別れを済ませた後、自刃してしまう




幕切れ場面、1904年5月28日にイタリアのブレシアで上演された改訂版だと、ケイトは立ってるだけに等しい
ピンカートンが直接交渉を避けるため、領事シャープレスが、蝶々さんを説得に訪れる
シャープレスなんて如何にも頼りない名前だね
「今度お越しになられたメリケン領事さん、我々に挨拶して下さるし、イイ御方」
てな具合に、現地住民に親しまれるタイプの外交官なんて概ね、出世街道外れてるしな
19世紀末の日本と来れば、文化果つる世界の辺境だろうしよ、駐長崎領事=窓際族に決まってる
それはさておき、現行版に於けるケイトは、遠く離れた場所に立って様子を見守り
後で、蝶々さんの下女スズキさん(シャープレス?)に、「坊やは大事に育てますわ」と約束する
このケイト、1904年ミラノ初演版では、メッチャ態度悪く、聴衆の不評を買い、初演失敗に一役も買った
そりゃ当然だ
ケイト自ら蝶々さんの前に現れ、上から目線で、「坊やを渡してくれたら、ワタクシが立派に育て上げるわよ」
いくらピンカートン正妻といえど、聴衆の皆、判官贔屓に走り、「オマエ何様じゃ~」と怒ったわけ




オペラ結末に関する私見は後述するとして




蝶々夫人で有名なのはやはり


桃屋三木のり平イカの塩辛~じゃなくて、ピンカートンが戻るであろう♪ある晴れた日に
歌うは、ハンガリーの歌姫シルヴィア・シャシュ
映像は、1979年来日時のもの
ハッキリ言って調子悪い、でも全盛期(28歳)の映像だってんで
この人は演技力抜群、演奏会形式でも説得力見られます
蝶々さんは声楽面のみならず、演技面でも難役
日本人歌手だと、日本らしさを意識し過ぎる
外国人歌手は、理解するだけで難易度が高い
シルヴィアちゃんは、大仰な所あっても、万国共通の若い女性らしさでよろしいんじゃありませんコト?
蝶々さんが絶唱したから、アメリカ海軍の戦艦エイブラハム・リンカーンがやって来たと信じたいくらいにね




何故、万国共通でよろしいのか?
宮崎あおい主演で「蝶々夫人」をドラマ化...『蝶々さん』
“蝶々夫人”は悲劇ではない~オペラ歌手岡村喬生80歳、イタリアへの挑戦~
レコード史上サイテー誇るシューベルト♪冬の旅でも、シャベリは上手い岡村大先生、何やってんのぉは置き
近年ほとんどTV観ないのでようわかりませんが、何かスッキリしない話なのさ




第一に




「日本人に最も有名でありながら、日本文化へ様々な誤解を生んで来たオペラ♪蝶々夫人
「岡村大先生は、100年以上前に作曲された♪蝶々夫人は異国趣味が強く、日本についての正しい理解が云々」
何でそこまで「日本文化」に拘るんでしょうね
プッチーニの遺族が新演出を許可してくれない。『芸術には、時代考証などは不要』が理由」
これに尽きるでしょ
蝶々夫人は日本を舞台に描いたイタリアオペラであって、日本オペラじゃないんですから
長崎にフジヤマ見えるような、まァ誰が見ても違和感あるのはアレですがね
(喜)歌劇で現実認識を主張したらイエローやレッドカード多数、オペラ芸術の危機を迎えます
季節な劇団演出家はイタリアで現実認識演出を提供するも、それ以上でもそれ以下でもない出来ですぞ
なら、珍妙でも魅せる心打つ舞台がサイコー
てか、中国の映画監督・張芸謀チャン・イーモウ)を見習えよ
1998年、本物の紫禁城を舞台に上演された♪トゥーランドット演出を担当した
https://www.youtube.com/watch?v=1WO3ZyBIePo
そこは外せないポイント押さえた上で、欧州人歌手の自由度を認めた
別に中国オペラを上演するわけじゃなし、それでイイんだよ
○○文化がどーの、時代考証がどーの、細かい事言い出したらオペラ芸術なんて絶滅するがなバカタレ




第二に




プッチーニの思い描いた物語自体、哀しい結末を迎えるものの全くの悲劇ではない
よーく考えてみましょうよ
蝶々さんは決して、紅涙を誘うだけの悲劇のヒロインじゃありませんぜ
具体的に言えば、『意志の強い女性』


第一幕、婚礼の場面
ボンゾ(坊主)が蝶々さんのキリスト教改宗を知って怒鳴り込んで来る場面
ご先祖様に失礼どーたらと詰問されたって、蝶々さんに通じるか?
女は三界に家無し、貞女はニ夫にまみえず
夫に従う貞節な妻であり、ご主人様の信じる神様が自分の神様でもある、それだけの話
日本人だって、マトモな親なら、デキ婚や腐れシンママ許さん絶縁と娘に説教するんちゃうんかい?どおよ?
周囲から見れば幼い少女(15歳)であろうが、蝶々さんにすれば従順にして意志を通したまでの賢妻
必要言われたら、着物でなく洋装での登場かも(アタシが演出を担当すれば、そーする)




オペラ幕切れの場面だって、意志の強さがひしひしと伝わります
上海出身のYing Huangちゃんに言わせれば、「う~ん、死ぬ必要あったのかなぁ」
ピンカートンの不実知っても、坊やさえ残るなら、生き続けたでしょうね
「子供のために芸者に戻って恥を晒すよりは死を選ぶわ」、感情的になっているだけ
子供のためなら、母親なら絶対、逃げも死にもしませんよ
芸者に戻るか、何もかも承知で結婚を申し出た裕福な紳士ヤマドリ公に頭を下げる
実家は大村の没落士族の家であり、落ちぶれても誇り高い娘ながら
真に誇り高い女性なら洋の東西問わず、子供を守るために我を抑えて生きるもの
最後の生きる希望であった坊やを失い、女性だけでなく母である名誉をも失ったから、自刃を選ぶ
生き恥晒すを選ぶも、自刃を選ぶも、自らの意志によるもの

状況に流されるだけの悲劇のヒロインじゃ無理な相談なのです




子供取られた事で生きる意欲を無くす事が、版を問わず、自害を決心させる要因と思いますけど
追い込まれ度合の高い初演版の方が説得力ありますよ
考えてみ
大英帝国が放逐した清教徒というゴミの倫理基準が根強い19世紀末合衆国
石頭プロテスタントが主流となって築いた国に於いて
坊やは亭主が結婚前にもうけた子とはいえ、妾腹と言えよう
それを神の認める正妻がワザワザ受け入れる理由って、何?
・孤児を養子にでもいいけど、亭主の子ならワタクシの子との懐深いもの
この場合、実子を望めないらしい正妻が下の立場となり、妾に土下座するのが筋道なので、ケイトは該当しない
・子供が要るんだよ!坊やを寄越せ!!じゃないと、ウチが困る!!!
「子供いないと、相続対象外、離縁の危機などにより、夫婦ともに困る」
そんな事情が、ケイトの強硬姿勢を生んだと感じられてならない
ピンカートンは何しろ、♪さらば愛の巣を歌わず、逃げっぱなしだしな
とにかく甘っちょろい感傷を排除するのが、蝶々さんの物語に説得力もたらすと思う




これはあくまでアタシの持論なので聞き流してくれて構いませんが
現行版の最後の最後に、ピンカートンが「蝶々さん」と駆け寄って来るの、あれ何とかしてくれん?
逃げっぱなしでなけりゃ、彼はすでに自分の卑劣さを恥じ入っている
より一層の罪悪感を植え付けるのは如何なものか
前妻との子を切り捨て養育費払わんで、後妻とその子にかまける人間失格の屑男とまでは行かない
坊やが海を渡り、ピンカートン夫妻の下でアメリカ人として育ち成長する以上
父親の責任果たすピンカートンに重い十字架を背負わせるのは、蝶々さんも望まない気がしますけど
坊やに別れを告げる場面、坊やに目隠しをし、日米の国旗を持たせる
海の向こうに行っても母を憶えていて欲しく、目隠しは母の無残な最期を見せないためだけど
3年間も姿見せなかった父ちゃんの悪口吹き込まず、父ちゃんのお国の旗を持たせるとは
慰謝料と養育費ドロボー猫するBitch系腐れシンママ全員シネの母心だわ




なお、蝶々夫人には後日談が2種類
蝶々夫人その後…~歴史とはずがたり~
新作オペラ世界初演『Jr.バタフライ』4/6, 8, 10東京文化会館
母親の愛の強さが繰り返される前者がイイや
後者はどう聴いても、下手なワーグナーもどき~