mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

幸福の条件(中篇)

前篇から続いた




毎年、いくつもの「幸福度ランキング」が発表されるよね
ここ3年ほどのものを検索してみた結果
スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか
幸福度世界1位「北欧の楽園」に学ぶ老いと死』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510
どうやら、食事・健康面に原因があるわけではなさそうだ。寝たきりゼロの秘密は、むしろ介護と医療システムそれ自体にある。

基本的な前提としてスウェーデンの高齢者は、子供などの親族と暮らすことをしない。夫婦二人か、一人暮らしの世帯がほとんどで、子供と暮らしている人は全体の4%に過ぎない(日本は44%)。

これは「自立した強い個人」が尊ばれる伝統に根差したもので、高齢者に限らず、若者も義務教育を終えた16歳から親の家を出て一人暮らしを始めるのが普通だ。だからといって家族関係が希薄というわけではなく、近くに住んで頻繁に交流する家族は多い。

独立して生活している高齢者が体調を崩し、誰かの世話が必要になった場合でも、家族が全面的に介護することはありえない。

「コミューン」と呼ばれる市町村にあたる自治体が高齢者の希望に沿う形で、サービスを提供することになっている。そして介護は在宅サービスが基本だ。

「日本では要介護認定されれば、在宅サービスを利用してもいいし、施設サービスを利用してもいい。これは、当該の高齢者や家族が自由に選べる『選択モデル』です。

一方でスウェーデンでは要介護状態になったら、できるだけ在宅での介護が行われます。介護付きの特別住宅に入りたいと申請しても、それを認めるかどうかは『援助判定員』というコミューンの専門職員の判断に任せられる。本当の人生の終末期にしか施設に入ることが許さない、『順序モデル』が基本なのです」


スウェーデンがここまで在宅介護と順序モデルにこだわるのには、2つの理由がある。1つは先ほども述べた「自立した個人」を尊ぶ文化。できるだけ最後まで自分の家で自分の力で暮らしたい、暮らしてほしいという考え方からくるものだ。

そしてもう1つは財源の問題だ。スウェーデンでは、介護の財源はすべて税金でまかなわれている。老人になれば誰でも少ない自己負担(上限が月1780クローナ=約2万5600円)で、介護サービスを受ける資格がある。

ただし、いくら税率の高い高負担国家でも、老人の面倒をすべて税金で見るのは限界がある。施設で24時間介護を行うよりも、在宅で何度も介護士を派遣するほうが結局はコスト的に安く上がるため、在宅介護が推奨されるのだ。

スウェーデンを始めとした北欧諸国では、自分の口で食事をできなくなった高齢者は、徹底的に嚥下訓練が行われますが、それでも難しいときには無理な食事介助や水分補給を行わず、自然な形で看取ることが一般的です。

それが人間らしい死の迎え方だと考えられていて、胃に直接栄養を送る胃ろうなどで延々と生きながらえさせることは、むしろ虐待だと見なされているのです」
省略した内容からも、「地上の楽園だぜ」と羨ましくなる
1200年代か、中世の時点で早くも、国王が在宅介護環境を考える国だっただけある




『専業主婦率2%のスウェーデンは幸福度が世界トップレベル! 働く女性を幸せにする2つの条件とは』
http://woman.type.jp/wt/feature/1615
50年前のスウェーデンは今の日本と同じだった?

「確かに北欧諸国は女性の社会進出が進んでいますが、それは決して国民性や文化的な背景によるものではないと思います。なぜなら、かつてはスウェーデンを含む北欧諸国でも『男性=稼ぎ手、女性=家事・育児労働』という役割分業が一般的だったからです。

ところがスウェーデンは1960年代に入って好景気に沸き、多くの企業が人手不足に。そこで政府は労働力を補うために、女性も外へ働きに出てもらおうと考えました。今の日本でも安倍政権が女性の活躍推進を掲げていますが、国の経済が動機というのは、まさに同じ状況ですよね」

だが、いきなり国から「専業主婦をやめて、仕事をしなさい」と言われても、そう簡単に女性たちが納得するわけはない。

大崎さんによれば、当時のスウェーデンでも女性たちから疑問の声が上がったという。「これまで私たちが無償で育児や介護をやってきたのに、女性が外へ働きに出たら、こうした地域の福祉は誰が担うのか」と。

そして女性たちは各地で集会を開き、この問題について議論を始めた。

「そこで出た結論は、『女性の代わりに福祉を担う保育所介護施設などを増やす必要がある』というものでした。そして実際に仕組みづくりを進めるため、女性たちが政治にどんどん進出していったのです。

その結果、育児や介護支援サービスの拡充に多くの予算が配分され、法律や制度も仕事と家庭を両立しやすいように変わりました。家計を一手に担っていた男性も、家事や育児に参加できるようになったのです。税金は高くても、いざという時には守ってもらえる福祉社会ですから、気持ちにもゆとりがあるのでしょう」

現代社会には、4つの“Work”がある

子どもを産んだ後も無理なく働き続けることができて、家事や育児もパートナーとの協力が当たり前であれば、スウェーデンの人たちの幸福度が高いのも納得だ。だがそれ以上に、「仕事」の捉え方が日本とは大きく異なるのではないかと大崎さんは話す。

「つい先日、国連が“Work(仕事)”をテーマとするレポートを発表しました。その中で、現代における仕事には次の4つの種類があると定義しています」

1、賃金を得て働く『有償労働』
2、家事や育児、介護などの『無償労働
3、社会や地域に貢献する『ボランティア活動』
4、趣味で創作をしたり、習い事をしたりする『創造的活動』


「日本人の多くは、“仕事=有償労働”と考えますが、収入を伴わない無償労働やボランティアも立派な“仕事”なんですね。そしてスウェーデンの幸福度が高いのも、4つの仕事をバランスよくこなせるからだと考えられます」

家事や育児にゆとりが持てるから、ボランティアや創造的活動にも積極的になれる。だから、ただお金を稼ぐだけではなく、社会に貢献することで得られる充実感ややりがい、趣味の創作活動で得られる喜びを手にできるのだ。

「ライフステージごとに考えても、若いころは有償労働に集中し、子育て中は無償労働のウエイトを増やし、子どもが手を離れたら有償労働とボランティア活動や創造的活動を並行して楽しむ、といったバランスが取りやすい。これも幸福度の高さにつながっているのでしょう」
主婦が、フルタイムで就労し、帰宅後には家事や育児を一手に担う、そんな環境じゃない
稼げ!俺の親の世話するのも、嫁の仕事だ!!お前の親なんてシラネ!!!なんて男の屑ってか
10年ちょい前、カタルーニャ人共稼ぎ夫婦がNHKの取材に、「子供の監督責任は親にあるでしょ」と答えたけど
共稼ぎでも最低限度必要な男女共同の仕事が当たり前の意識は、他の欧州諸国にも見られるであろう
「専業主婦なんて穀潰しのくせに!」と、支援申し出た専業姉を罵倒した妹はといえば
仕事行く身なり整えられないのに、高い0歳保育に預ける=無計画に子供作る方が、社会の穀潰しとは大違いね
男女双方が家庭での責任を果たし、産み育てる女に高等教育与えて元取れるほど、高い知的水準環境ならば
それなりの理由持つ専業主婦迫害しているわけじゃないし、主婦の外での就労大いに結構と思う




【世界一幸せな国】世界ランキングに見る、デンマークの驚くべき「20の真実」
http://epmk.net/ranking/
評価のポイントは「一人当たりGDP」「社会福祉」「健康寿命」「人生選択の自由度」「寛大さ」「汚職の少なさ」など




『【納得!】北欧諸国が世界幸福度ランキングで上位にいる10の理由』
http://miraie-future.net/feature/happiness_ranking/
1:医療費がかからない
2:学費がかからない
3:インテリアを楽しむ
4:親しみやすいキャラクターが存在
5:世界中で愛されているブランドが存在する
6:ギスギスしていなくておおらか
7:他人に親切な人が多い
8:労働時間が短い
9:家の優先度が高い
10:物質的価値から幸福度を算出しない




『最新版「世界幸福度ランキング2017」の結果発表! ダントツの1位に輝いたのは?』
http://www.huffingtonpost.jp/yuma-nagasaki/world-happiness-survey-2017_b_13964526.html

1位 フィジー(89)
2位 フィリピン(79)
2位 中国(79)
4位 ベトナム(78)
4位 インドネシア(78)
6位 パナマ(77)
6位 パプアニューギニア(77)
8位 パラグアイ(74)
8位 バングラデシュ(74)
10位 アルゼンチン(72)
10位 メキシコ(72)

日本を含む「先進7ヶ国(G7)」のランキングは?

25位 日本(55) ※昨年は28位
29位 カナダ(50)
33位 アメリカ(48)
35位 イギリス(47)
37位 ドイツ(46)
44位 フランス(43)
52位 イタリア(38)

幸せなイメージのある北欧5ヶ国は?

13位 アイスランド(70)
22位 ノルウェー(56)
22位 デンマーク(56)
26位 スウェーデン(54)
52位 フィンランド(38)

中国の場合、国全体での調査ではなく都市部に限定されているので、だいぶ偏りがあるとして
日本人がイメージする「家族」は親・兄弟姉妹・子供・孫あたりですが、フィジー人の場合、自分と同じ村や島に住む人たちも家族の一員としてカウントしたりします。

「つながり」の範囲がすごく広いので、結婚式や葬式、出産祝い、誕生日会などの集まり(フィジーでは「ファンクション」という)が日常的に発生します。

ファンクション(集まり)があると、参加者たちが分担して準備・運営等を行うこととなり、まさに各自が機能(=ファンクション)することが必要になります。

人は「誰かに必要とされている」「誰かに貢献できている」と感じるとき、幸せを実感しやすいので、頻繁に集まりがあることがフィジーの幸せを作っている1つの要因なのでしょう。

また、集まり(コミュニケーションの機会)を量産することでコミュニティの結束が強化され、幸せの源が持続可能なものへと発展しています。

「家族」という言葉の範囲が村単位のコミュニティであるフィジーでは、他人の幸せも家族の幸せとして感じることができるので、不動の幸福先進国として君臨し続けているのでしょう。



後篇へと続く