mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】

~midnight dribbler~(ウサギ畑でつかまえて)

切なる想ひも遠くなりにけり、しかし傷が癒える日は訪れないの覚悟を持って

25歳と50歳では、同じ物事に対して異なる反応示すもんだよね
28歳の時にも少し考え込んだが、50歳の現在にはひたすら泣ける事での更新をば





チャイコフスキーの♪エフゲニー・オネーギン第一幕、「タチヤーナの手紙場面」後半
手紙の場面全曲は、Renee Fleming as Tatyana "Letter's Scene" Eugen Onegin
もうちょい幅広く検索したけりゃ、https://www.youtube.com/results?q=evgeny+onegin+opera
作品を講義する大賢者Wikipedia様は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%B3




Elena Prokina - Tatiana Letter Scene - Puskai pogibnu ya - Eugen Onegin, Amsterdam
エレナ・プロキーナというと、1994年、英国グラインドボーン音楽祭でタチヤーナを歌った
上流階級が幕間に、小綺麗な庭園でピクニックする事で有名な音楽祭ね
NHK-BSが何作品か衛星生中継した時も、1時間半ほどのハーフタイムが設けられた
ちなみに、ピクニック中にわんさか飲んだ酒が回って来るとあって
ピクニック後の幕では、酔っ払いだらけ客席の反応が良過ぎる音楽祭とも説明しとく




プロキーナは1994年当時、30歳過ぎ
本来が女優志望とあって、16歳の文学少女をこれと不自然無く演じ切った
「貴方のためなら、私は死んでもいい」
一目惚れしたオネーギン青年に恋文したためる手紙の場面、TVの前で泣いた28歳、他ならぬアタシだ




第3場 ラーリン家の庭の一隅

庭の茂みの向こうから農民の娘たちの歌声が聞こえている。自分の手紙を読んでオネーギンはどう思っただろうか、と考えているタチアーナの前に、出し抜けにオネーギンが現れ、彼女を動揺させる。オネーギンは手紙をくれたことに一応の礼を述べるものの、自分は家庭生活に向かない人間であり、タチアーナのことも妹のようにしか思えない、と告げ、あなたは自分を律することを学ぶべきだ、とも諭す。冒頭の娘たちの合唱が再度聞こえてくる。

第一幕、この場面、オネーギンは一見、都会のインテリ青年が田舎娘をバカにしていて鼻持ちならない
辛気臭い文学少女の理解者には違いないけど、オナゴとしては歯牙にもかけていないんだよ
オネーギンは実際、田舎者への偏見が隠せない部分持っていたと思う









第1場 ラーリン家の広間

それから数ヵ月後のラーリン家の広間。タチアーナの「聖名祝日」の宴が開かれている。ラーリナ夫人が招いた近隣の地主とその家族、縁者たちが、軍楽隊の生演奏とふるまわれた料理を楽しんでいるが、そうした光景もオネーギンには田舎くさくて無粋なものと感じられ楽しめない。オネーギンは自分をこの会に誘ったレンスキーへの腹いせに、オリガをダンスのパートナーに指名し、レンスキーの不興を買う。やがてフランス人のトリケが現れ、タチアーナの美しさを讃える歌を披露し、一同はそれにやんやの喝采を浴びせるが、なおもオネーギンの機嫌は直らず、レンスキーがオリガと踊る約束をしていたコティヨンまでオリガと踊ろうとする。激高したレンスキーは激しい言葉でオネーギンを罵り、決闘を申し込む。オネーギンは申し出に応じ、一同は騒然とし、タチアーナとオリガは泣き崩れる。

第2場 水車小屋・冬の早朝

決闘の場所とされた早朝の水車小屋。レンスキーは自らが連れてきた立会人のザレツキーと共にオネーギンが現れるのを待っているが、約束の時間となっても彼は姿を現さない。レンスキーは人生とオリガへの未練を吐露する(アリア「わが青春の輝ける日々よ」)。やがてオネーギンが立会人のギヨーと共に姿を見せる。オネーギンとレンスキーはここに至ったいきさつに後悔の念を覚えながらも、促されるままにピストルを手に向かい合って立つ。銃声が響き、レンスキーが倒れる。ザレツキーがレンスキーの死を確認すると、オネーギンは恐怖のあまりその場にうずくまる。
第3幕再度聞こえてくる。

第二幕で、少し気が変わる
純情なレンスキーをからかい過ぎた報いとはいえ
「親友と信じていた者さえ、自分をただの軽佻浮薄な遊び人と見ていたのか…」
オネーギンの絶望感が伝わって来る
というのも




第一幕、タチヤーナの恋心を退ける場面、オネーギンは傷ついた心を吐露している
高等教育受けられる階級育ちであるものの、20歳頃に、親戚の爺さん介護に駆り出された過去を持つ
身体介護は使用人任せにせよ、話し相手などに拘束された
同年代が青春謳歌するを尻目に、死に損ないと向き合う日々を送る
誰だってヒネくれるでしょ
タチヤーナからの告白時点では、まだ青二才だから
タチヤーナの、華やかさは見られない、しかし、家庭の女主人たるには相応しい貞淑な気質を見抜けなかった
としてもね




第1場 サンクトペテルブルクの大舞踏会

それから数年後のサンクトペテルブルクのある貴族の邸宅での舞踏会。オネーギンは決闘の後の数年間を外国での放浪生活のうちに過ごし、その後帰国してこの舞踏会に顔を出したのだったが、未だレンスキーを死なせたことへの呵責の念に苛まれており、心満たされぬ日々を過ごしていた。洗練された、上品ないでたちの客たちはポロネーズ(「エフゲニー・オネーギンのポロネーズ」として単独で演奏されることも多いオーケストラ曲)を踊り、それを終えるやそこここにいくつもの話の輪を作るが、場に馴染めぬオネーギンは一人でいる。やがてグレーミン公爵が夫人を伴って姿を現す。一同は夫人の美しさに目を奪われ、口々に彼女を讃えている。オネーギンは程なく公爵夫人がタチアーナであることに気づき、タチアーナも客がたたいている陰口からオネーギンの存在に気づく。オネーギンがグレーミンに彼女との間柄について問うと、タチアーナは自分の妻であり、自分の寂しい日々に光を投げかけた大切な存在だと、グレーミンは語る(アリア「恋は年齢を問わぬもの」)。オネーギンはグレーミンによってタチアーナに紹介される。かつての彼女からは想像もつかない、気品に満ちたタチアーナの様子に、オネーギンはたちまちに惹かれてしまう。

第2場 グレーミン公爵邸の一室


部屋着姿のタチアーナがオネーギンから手渡された恋文を手に困惑していると、オネーギンが入って来る。あなたはかつて自分を拒絶しておきながら、なぜ今になってこのようなことを、目的は財産か名声か、とオネーギンを非難し、自分はすでに結婚した身だ、とオネーギンを拒むタチアーナ。しかしオネーギンはなおもタチアーナの手を握り、抱きしめようとする。タチアーナはいっそう強い調子でオネーギンを拒絶し、部屋を後にする。一人残されたオネーギンは呆然と立ち尽くす。

第三幕大詰め、どんな録音と録画でも、「ちょ…オネーギン、無事に済むんかい?」
アタシゃ一応、文芸部出身で小説家志望だったんで、プーシキンの原作読んだし現在も持ってるけど
原作ではさ
「部屋着姿のタチヤーナが、涙流しながらオネーギンの恋文を読む所に、オネーギンが現れ
タチヤーナも、『私には本棚があれば、幸福』のように、華やかな公爵夫人が決して幸福と言えないを匂わせる
レンスキーを喪った妹オリガ、彼女が婚約者没後1年そこらで、条件良い男にサッサと嫁入りする尻軽したため
姉タチヤーナは母親に急かされる格好で、公爵様の求婚を受け入れざるを得なくなった模様
いま現在のタチヤーナとオネーギンが対決する部屋の外に、公爵の気配が伝わる
公爵とオネーギンの決闘が予想される」
…何もかも遅きに帰した、時計の針は逆回し出来ず「青春は遠くなりにけりに」にせよ
Hvorostovsky & Fleming - Eugene Onegin - Final Scene
タチヤーナの「全て、終わりよ!」に対して、オネーギンの「何たる恥辱!」
オネーギンの言葉は、タチヤーナ自身の思いを代弁すると思うの、アタシだけだろうか!?
「オネーギンにとってタチヤーナが真の伴侶であれば、タチヤーナは公爵夫人として安定しても幸福じゃない」




社交界の花形と謳われたって
戦地で傷を負った、45歳にはならないものの20歳そこらには爺さん亭主に尽くす姿が
「さあ、いつ、どこのイケメンと不貞犯すやら」の目に耐えていると言えようぞ
東京・錦糸町辺りへの出稼ぎ美女多かろうと、貞操観念堅固なタチヤーナって、ロシア女性の規範らしくとも
若い娘が自分の意思と感じられず釣り合わない結婚すれば、ま、仕方ない
タチヤーナを幸福に出来るはずのオネーギンに見る目無かったと言えばそれまでだけど
死に損ないとか再起不能とかに支配される介護って、マジ、怖いよな

軽く考え舐めた口利く無病息災組、オマエらこそ即行で地獄見ろクソッタレ

28歳の時には頭に浮かばなかった点が、、50歳現在、真理として鉄の信念化してるのが怖かったりする