今日も暇なので、昨日の続編をば
『アルプスの少女ハイジ』のヨーゼフ、寝てるフリしながら聞き耳を立て、飼い犬はミタ!w
『あらいぐまラスカル』『名犬ラッシー』『フランダースの犬』といった題名役を含め
世界名作劇場にとって動物キャラが、低年齢層視聴者を取り込む必須アイテムだね
『ペリーヌ物語』では、ブサ犬のバロン、ペリーヌ母娘の馬車を引くロバのパリカールが動物キャラとして活躍する
とりわけバロンが、ペリーヌの心の友としてペリーヌ窮地を救ったりしている
池のほとりで一人&一匹の生活中、散弾銃で撃たれ瀕死の重傷になったりもした
散弾銃は鳥さん狙っての誤射で、パンダボアヌ工場最高幹部の一人テオドールが撃った
テオドールは
ビルフランの姉(妹?)の息子であり、BBA隣席眼鏡の工場長タルエル同様、ビルフランの後釜を狙っている
従弟エドモンの訃報をタルエルともども秘かに喜んでいたら、直系ペリーヌの存在が判明しガックリの顛末にw
ハプスブルク帝国支配下のバルカン半島情勢といった世界史が登場したりする『ペリーヌ物語』
テオドールの件もまた、跡目争いなど低年齢層視聴者に障壁高い
パンダボアヌ工場周辺を見渡してみると、労働者問題まで描かれる
ミミ
女子工員専門の下宿に泊まっていた工員。
夜遅く工員の宿泊施設がどんなものかを視察に来たペリーヌたちの気配を感じ起きる。周りから寝ぼけているのでは?と窘められる。
( Wikipedia )
ある夜、ペリーヌがビルフランを女子工員宿舎に案内したのは、酷い環境を工場経営者に知らせるためだった
「わしは目が見えんぞ」、しかし宿舎出入り口に立っただけで鼻を押さえるほど不衛生な空気が感じ取れるからよ
女子工員が絡む問題にはもう一つ
チビュルス
女子工員から小さい子供を預かっていたおばあさん。
目を放した隙(というか本人は飲酒していた)に子供がマッチで火遊びしてしまったため火災が発生。
本人は何とか逃げたものの、死者2名、怪我1名という惨事を招いた。名前が出るが、登場は無し。
ハイジのデーテ叔母さんにも通じる問題が描かれる
デーテ叔母さんは、姉夫婦が亡くなり赤子の姪を引き取ったものの、子連れじゃ良い就職先が見つからない
たまりかねてハイジ父方祖父であるアルムおんじに押し付けるまで、薄給をやりくりしてウルゼルおばあさんに預けていた
預かる側は子供が怪我されたらカネ貰えないってんで、出来るだけ家遊びさせて見張るもんだけど
ブラック託児所に当たると虐待起きるなど、現実に、大昔の日本に於いても、少なからず見られたの
いや、日本では、現代の保育所でも少なからず…長くなるので置いといて
『ペリーヌ物語』が世界名作劇場屈指の難解ぶり、もうわかった?
個人的に、世界名作劇場に向く原作と向かない原作を選ぶと
向く作品:短編か中編、とにかく長過ぎない作品で、長編なら交通整理しやすい内容
向かない作品:文庫本一巻で終わらない風と共に去りぬ級長大作品
話を膨らませるにしろ端折りまくるにしろ、脚色の難易がポイントね
この点、1974年~1976年の3年間が、世界名作劇場絶頂期だったと考える
1974年は
『アルプスの少女ハイジ』(アルプスのしょうじょハイジ、Heidi)は、
スイスの作家ヨハンナ・シュピリ(又はスピリ)の児童文学作品である。
原題は『Heidis Lehr- und Wanderjahre』(ハイジの修行時代と遍歴時代、1880年出版)
及び『Heidi kann brauchen, was es gelernt hat』(ハイジは習ったことを使うことができる、1881年出版)である。
ドイツの文豪ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』
及び続編の『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』からその着想を採られたもので、
教養小説(成長小説)としての色彩を持ったものである。
キリスト教信仰に基づく描写が多く見られる。
作者も属するドイツ語圏スイスのデルフリ村(マイエンフェルト付近の架空の村。
イェニンス村がモデル)が舞台となっており、中盤にはゲーテの生地でもあるフランクフルトに舞台が移る。
ハイジがフランクフルトで、クララのおばあさまの絶賛推奨により読み書き習う背景には
聖書が読める=立派なキリスト教徒になれるようにの意味合いが強い
おんじが頑固爺から解放されるのも、ハイジが布教して回心させるっぽい展開である
新約聖書ルカの福音書(15:11 - 32)に登場する放蕩息子の例え話が根底に流れていると思う
元々は宗教色濃い作品だが、一般日本人に理解不能な宗教色を排除しても成立する内容であり
つまり、普遍性を持つ作品だから、Made in JAPANが海外輸出されても違和感無いわけ
ドイツ語圏が舞台なら、本や看板の文字はドイツ語で描くため
40余年前に西ドイツ在住した日本人主婦によると、「日本製アニメ?んなワケありま宣言!」だってよ
(日米の大学生が『キャンディキャンディ』を巡ってガーガー揉めたのも、米国側がMade in USAと信じ切っていた故にw)
ハイジの翌々年に放送された『母をたずねて三千里』
遥かな新天地の空に描いた絵~母をたずねて三千里~ - 心の旅路
エドモンド・デ・アミーチスの "Cuore" (『クオーレ』)の中の
Maggio (5月)の挿入話 "Dagli Appennini alle Ande" (アペニン山脈からアンデス山脈まで)
短い原作と比較してみてよ
原作では、ブエノスアイレス到着後、北上し続ける
アニメ版では、1976年1月4日から同年12月26日まで全52話を引っ張るため
原作では行ってないバイアブランカ、馬車で3週間要する遥かな南まで行かされた
つまり、遥かな北を目指すために、ブエノスアイレスに2回足を踏み入れた
大人でもキツイ道程なのに、10歳くらいのガキをとは児童虐待かいの点でまた泣ける
「山もなく 谷もなく 何も見えはしない♪」
主題歌は、製作スタッフの魂の叫びよ(理由は後述)
ともかく原作は話を膨らませないと1976年丸々引っ張れない短編
そこで、マルコを遠回りさせたり無賃乗車バレて日数や時間を掛からせたりする
このアニメで高評価点を挙げると、マルコがコルドバで知り合うパブロとフアナのインディオ兄妹
フアナが高熱出してるのに兄と祖父は祈るばかりで、マルコが医者を呼びに行くと、受付BBAが住所を聞いただけで無視される
貧民の暮らすサンイシドロ地区に高いカネ払えないからね
マルコが《イタリアの星》酔客どもからの募金を全部差し出したことでフアナは助かった
これは、マルコがお父さんを理解出来て成長した証明である
お母さんが単独でアルゼンチン出稼ぎ目的:「お父さんの作った借金の返済」
借金の理由:「高額な医療費払えない貧しい人々のために無料診療所を設立した」
お父さんが私財投げ打って借金してまでの志を、マルコはフアナを助けることで受け継いだ格好となり
再会果たしたお母さんの手術が成功した後、いつか必ず医師としてアルゼンチンに戻る宣言に至るのね
この辺りの描写は10歳の時に観て難しくなかったのがいい
社会問題と言えば、1975年放送の
知ってる?
ベルギーの風景が実は隣のオランダと間違えている事実をw
『フランダースの犬』が現地リサーチ無しだった反省により、『母をたずねて三千里』に当たって製作チームがアルゼンチンまで飛んだ
地球の反対側に位置し、直行便乗って一日近く、乗り継いでなら一日半、それくらい遠方に到着後
見渡す限り草原地帯とか、それだけで行き倒れ気分やろw
これも原作は短編(新潮文庫版では60ページほど)のため、序盤から中盤までのほとんどがオリジナルストーリーで占められている
描写ともかく原作通りに終わる、それは、主題歌に暗示されている
「忘れないよ この道を パトラッシュと歩いた♪」
ギリギリ目一杯の義理と人情をチョコっと(^_^)v - Sonntag Pause
元直木賞作家志望が「おねーさん、『歩いた』だから、過去完了形で歌ってるよね」
ブログ見りゃ知れる通り時制と接続詞と句読点に弱いアタシゃ、言われるまで気づかなんだw
『フランダースの犬』の何が問題かと言えば、Yahoo!の頃から何度も指摘してるように、ネロをあまりにも差別し過ぎの点だ
原作ではネロ15歳、アロア12歳(本作品ではネロ10歳、アロア8歳)という設定だった。
コゼツがネロを嫌っているのも、「(未だに)画家になろうなどと馬鹿げた夢ばかり見ている乞食」とネロを評しており、
その一方で美男子でもあったため、万が一アロアと間違いを起こされては困るからというのが理由だった。
年齢高い点に自立心欠如という評価が欧州に少なくなく、コゼツ旦那の偏見もわかる
しかしながら、原作だと、ジェハン祖父さんは長年寝た切り生活を思い起こすべし
子供が一人で在宅介護しながら、学校に通う余裕も職業訓練受ける余裕も無く、牛乳運びだけで生計立ててるんやで
スキマ時間に絵を描く趣味くらい認めたれは言うに及ばず、本格的自立果たす支援もしないでクソミソとかシバキ回したろか
21世紀基準やったら、村人全体が児相通報案件としてネット炎上やがな
と、そこまで考える小学生がいるかは置き、小学生ですら理不尽に感じる場面多過ぎるのが『フランダースの犬』よ
そして理不尽な現実が、社会勉強として役立つとしてアニメの価値を上げる
というのも
アニメの“世界名作劇場”を見て育った世代の人には、
ネロの格好のみすぼらしさとパトラッシュの薄汚さに驚きの ハリウッド版「フランダースの犬」です。
貧乏臭い格好は原作小説の表現に準拠しているのでしょうが、
その癖 ネロもパトラッシュも死なず、更にはいきなり生き別れた父親が現れてハッピーエンド
という原作者ウィーダも驚愕のハリウッド版エンディングも存在したりします。
DVD特典として収録されてるので興味のある方はDVDを探して観て見るのも一興かと(笑)
「原作通り死んじゃうと納得しないのがアメリカさん」、知る人ぞ知るトリビア
ま、死なないの一点に済んだら、強引に自分を納得させよう
ネロの父親登場、それは、反則過ぎる
ジェハン祖父さんはネロの母方祖父で、祖父さんは遠方に暮らす娘が死んだため、孫を引き取った
父方親族いないって、それ恐らく、ネロが私生児だからでしょ
村人の多くがネロを差別するのも、ド貧乏人+私生児が理由でしょ
子供が死にかけた後になって今更ノコノコ現れるとかズルイ!の極みじゃん
あるトンデモ説を採用するんだったら、父親登場を認めるけどね
トンデモ説とは?:「コゼツ旦那が、ネロの実父」
ネロ虐め側に回っていれば、疑い掛けられないとの浅知恵w
アロアと引き離したいに説得力が生まれるww
二千フラン届け出の感謝と死なせた後悔から「自分の息子にするんだった…」の原作と乖離しないwww
当記事題名の意味
「ハイジ、『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』の最終回で2回
『小公女セーラ』の最終回で1回
漢字変えただけじゃん、他に思いつかねーのかよと笑うトム・ソーヤー、彼の冒険最終回のサブタイトル」(^。^)y-.。o○